笑顔

いつもと同じ時刻。

いつもと同じ太陽。

いつもと同じ一日…になるはずだった。

「いやぁぁぁっ!??」

しかし、それはなまえの叫び声によって変わってしまった。

「どっ…どうしたの!?」

慌てて台所に駆け込んできた家の主とも言える芭蕉。
そこにいたのは床に座り込んで怯えるなまえ、さらになまえの指差す先には……

「ね…ね、鼠!!」

もう泣き声にも近い声をあげるなまえは普段の笑顔と元気はない。
指差された鼠は気にする事なく手にした食べ物にかじりついている。

「……鼠だね。」

てっきり物取りが入って来たと思った芭蕉は、小さく胸を撫で下ろした。
しかし、この鼠を放っておくわけにはいかない。
食べ物や衣類などに噛み付かれてしまっては使い物にならなくなってしまう。

「う、うう…芭蕉さぁん。」

何より鼠がいるとなまえが怯え家事はおろか普段の生活までままならなくなってしまうだろう。

「よし、このマッスル松尾…略してマッスオが鼠を退治してあげよう。」

そういうと芭蕉は裾をめくり意気揚々と鼠に近づいていく。
しかし、鼠は自分に対する敵意を感じ取りコソコソと物影に消えていった。

「うあああっ!隙間に…隙間に隠れちゃいましたよ!?」

鼠の動きひとつひとつに反応して怯えるなまえ。半泣きで芭蕉に縋り付くなまえを芭蕉は慰めるように抱きしめた。

「大丈夫だよ、私が守ってあげるから!」

「ほ…本当?」

「さっきは逃しちゃったけど、この松尾を信じて!!」

「はい!」

涙で濡れたなまえの目元を優しく拭いながら芭蕉が微笑むと、なまえは安心したのか弱々しく笑顔を見せた。

そこからは芭蕉と鼠の一騎打ちである。

なまえの悲鳴が上がるたび芭蕉はどんなときも駆け付けて鼠を野外へ追い出そうと工夫をする。
鼠も負けじと物影に隠れてしまうので長期戦となった。

「もう…やだ、今日は曽良兄さんの家にお邪魔したい…。」

芭蕉の背中にぴったりとくっついたままなまえは呟いた。
芭蕉の動きに合わせて着いて回るなまえはもはや芭蕉の影と言っても過言ではないだろう。

「えぇっ、松尾頑張ってるのに!?」

「だって、芭蕉さんがいなくなるとすぐに私の前に出てくるんですよ…」

弱々しく芭蕉の着物を握る手も搾り出すように出された声も震えてしまっている。今にも泣き出してしまいそうななまえ。
芭蕉は震えるなまえの手に自分の手を重ねた。

「…なまえちゃん。」

暫くすると背中からなまえのスンと鼻を啜る音が聞こえてきた。恐らく恐怖に耐え切れず涙しているのだろう。

「ごめんね…私はなまえちゃんを守れてなかったみたいだ……」

芭蕉が重ねた手を強く握ると、それに応えるようになまえも芭蕉の手を握り返した。

「そんなことありません!芭蕉さんがいるから私はこうやってこの家の中にいられるんです」

ただ、やっぱり鼠は怖いです。と小さな声で囁くなまえは芭蕉の広い背中に顔を埋めた。

「ねぇ、芭蕉さ…」

「しっ、静かに!」

なまえが顔を上げ芭蕉に話し掛けようとすると、芭蕉は緊張した声で制止する。
その一言でなまえは理解した、目の前に鼠がいるのだと。

「芭蕉さん…」

「大丈夫だよ、ゆっくり後ろにさがって隣の部屋に行っててね」

「いいの?」

「大丈夫、この部屋はすぐ外に通じるから今度こそ追い出せると思うよ」

そういうと芭蕉は近くに置いてある箒を持って静かに鼠に向かっていく。
なまえは言われた通り鼠を視界に入れぬようゆっくりと芭蕉から離れた。





















「なまえちゃん!」

バタバタと足音をが聞こえたのとほぼ同時に芭蕉の嬉しそうな声が芭蕉庵に響き渡る。
別室で祈るように座っていたなまえは立ち上がり襖を開いた。

「芭蕉さん?」

「やったよ、ちゃんと追い出した!!」

「!!」

喜びを体中で表現する芭蕉になまえは勢いよく飛び付くと、ふらふらと不安定に足元をおぼつかせたが力強く受け止めた。

「芭蕉さん…凄い!」

「こんなことマッスル松尾…マッスオに任せればお茶の子さいさいだよ」

見上げると自慢げに鼻を高くする芭蕉がいる。
そんな芭蕉の表情になまえに笑顔が溢れてしまう。

「ふふふ、ありがとうございます。」

「ううん、なまえちゃんのためなら簡単だよ」

自分で言いながら照れているのか芭蕉は耳まで赤く染め、なまえと目が合うとキョロキョロとせわしなく泳がせた。
嬉しさと愛おしさに身を任せたなまえは再び芭蕉にしがみついた。

「芭蕉さん…!」

「ぐぇぇ…なまえちゃん、くび…首締まって…る」

勢いがつきすぎたのか、力が入り過ぎたのかうっかり芭蕉の首を締めていたらしい芭蕉は徐々に青ざめていく。

「あっ、ごめんなさい」

大慌てで解放すると、二人は目を見合わせて笑いあった。

「ふふっ…」

「……あはは」

なまえの心からの笑顔に芭蕉に幸せが込み上げ、右手をのばしなまえの頬にそっと触れた。

「よかった。」

「え?」

「なまえちゃんが笑ってくれて」

一瞬驚いた表情をしたなまえだったが、芭蕉の言葉の意味を理解したなまえは芭蕉の手に自分の手を重ね笑った。






















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かすみさんリクエスト
笑顔/芭蕉
fin
2010.10.21

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テーマ「人外ファンタジー」
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