*運命の糸

病院の天井に延びた真っ白い糸。
点滴のチューブとは違う細くて真っ白い糸は不思議なことに私の体から延びているというのに、残念ながら誰にも見えていない。
その糸は風が吹いても揺れないくせに、私が見えるようになった時には何故か途中でこんがらがっているから余計に気になってしまう。

「触らない方がいいよ。」

するはずのない声に私は延ばした手を引っ込めてしまった。
体を起こすのも辛いので首だけ動かすと窓の外に「大王」と書かれた帽子を被った男がへらへらと笑っている。

「入ってもいい?」

男は私の答えを聞く間もなく窓を擦り抜けて入ってくると、窓の淵に腰掛けた。

「…なんで?」

窓から入って来たことと、何故糸に触っていけないのかという意味で尋ねると男はにこやかに答えてくれた。

「ん?たぶん触ったら切れてしまうから。」

そう言われて視線を糸に戻すと確かに天井近くの糸が少しほつれているように見える。

「オレ、こんなに綺麗な糸を見たの初めてなんだ。」

男はうっとりとした表情で言う。
その表情はどこか熱に浮かされたような色っぽさを含んでいて私の胸がドクリと跳ねた。

「そう…」

「ねぇ、なまえ。」

名前を教えた記憶はないのに男は私の名前を呼んだ。

「ああ、ごめん。人間ってまず自己紹介するんだっけ?」

たぶん私は不思議そうな顔をしていたんだろう、男は大慌てで自己紹介を始めた。

「オレは冥界の王、閻魔。こっちでも結構有名だろ?」

「閻魔…大王。」

「そうそう!んで、なんでオレがなまえを知ってるかというと…」

閻魔はにこやかに笑うと静かに指をさした。
その先にあったのは私の体から延びる白い糸。

「この糸?」

「そ、こんなに綺麗な糸は初めてであんたのことを調べてこっちに来ちゃったわけ。」

「ふぅん。」

突然のことなのに私はこの男の言うことが全て本当だと信じることが出来た。
私が素直だから、とかそんなのではなく。
この白い糸が見えることや、空にも近い私の病室、そんな窓をすりぬけて私の部屋に入って来るところとか。
この男がすること全てが人間業ではなかったから。

「閻魔は白が好きなの?」

「ん?そんなことないけど、この糸は別かな。」

「?」

私が首を傾げると閻魔は腕を組んで私と同じように首を傾げながら考え出した。

「なんて説明すればいいんだろう?」

うーん…と頭を抱え込んで間もなく、閻魔は顔をあげ膝をポンと叩いた。

「そうだな…この糸はなまえの命…心なんだよ。」

「この糸が?」

「そう。オレは今までいろんな奴の糸を見てきたけどこんな綺麗な糸は見た事がない」

閻魔の声に反応しているのか糸が静かに揺れている。
私はこの糸が揺れているところを見るのは初めてで、糸から伝わる振動に少し不思議な気持ちになった。
しかしその振動は嫌な感じではなく、なんとなく心地良さを感じさせてくれる。

「それでわざわざ見に来たの?」

視線を閻魔に戻すとそこには相変わらずニコニコと微笑む閻魔が窓の淵に腰掛けて私を見つめている。

「…まぁ、そんな感じ。」

「そう。」

閻魔の笑顔につられて私も微笑むと、閻魔は指で頬をかいた。

「ねぇ、もっとなまえの近くまで行ってもいいかな。」

「どうぞ。飽きるまでご覧になってください。」

私の返事を聞くと閻魔はゆっくりと私に近づき、私の体を横たえているベットの上に腰掛けて、真っ白い糸を無言で眺めた。
二人分の重みがあるはずなのにベットはギシリとは鳴かずただ静かに閻魔を受け入れている。

「………。」

間近に見る閻魔はとても美しく儚い造形物のようで触れたら壊れてしまう、そんな錯覚を私は覚えていた。
いつもと同じ沈黙なのに閻魔がそこにいるだけで別のものになっているように思える。
閻魔の視線が熱くて私が見られているわけではないのにとても恥ずかしい気持ちになり私は瞳を閉じていつもの沈黙を取り戻そうと試みた。

「なまえ」

私の努力も虚しく閻魔はその沈黙を壊し、私の鼓膜を揺らした。その声に反応するように瞼を開き閻魔を見つめた。
閻魔はゆっくりと視線を下げ私を見つめた。真っ白い糸を見つめるのと同じくらい熱い視線が私に降り注ぐ。私の体の中がカッと熱くなるのを感じた。
私は声を出すことを忘れただその熱い視線に応えるように閻魔の瞳を見つめ返した。

「今日、本当はなまえを見るだけにしようって思ってたんだ。」

「?」

言葉の意味がわからなくて首を傾げるが閻魔は構わず話を続ける。

「白い糸の持ち主はどんな娘なのか、それがわかればいいって決めたんだけど。」

閻魔の視線がほつれた部分を射ぬき、糸がゆらりと震える。
緊張しているようなそんな震え。
私はごくりと唾を飲み込んだ。

「でも、やっぱり欲しいな。」

閻魔は独り言のように呟いて静かに立ち上がる。
やっぱりベットはギシリと鳴かなかった。

「糸と一緒になまえをオレのものにしたい。」

「え、閻魔…」

「なまえ、オレのものになってよ。」

笑顔。
今まで生きてきた中で沢山の笑い方を見たけど、この笑い方は初めてだ。
体の中から震えてしまうような恐怖心があるのに拒否できない絶対的な支配力。
私はただ、その笑顔を見つめることしかできず浅く呼吸を繰り返した。

「なまえ」

たぶん、初めから私に選択する権利はなかったのだと思う。
優しい閻魔の声が聞こえたのと同時に白い糸が切れる音が体に鳴り響き体の感覚が消えてしまった。





















「目をゆっくり開いてごらん。」

閻魔の声がさっきよりも近くに聞こえる。私は指示通り瞼をゆっくりと開いた。
目の前には病院の天井と閻魔の笑顔。

「え、んま?」

「さあ、行こう。」

そういうと状況の理解できていない私の手を力強く引っ張り歩きだした。
私の体は軽々しくその力についていく。

「ちょ…待って……!」

閻魔に連れられ体は前に進んでいく。
振り返ると白い部屋が少しずつ遠くなり、その中心のベットには私が横たわっていた。

「!!」

真っ白い部屋と同じくらい白い私は人形のようにピクリとも動かない。そもそも私はここにいるのだから、あそこに私がいるというのはおかしなことなのだ。
状況が理解できない私は混乱する頭で必死に考えるが答えは出てこなかった。
ただ、わかることは閻魔の手が温かいということ。

「ね…、どこに行くの?」

恐る恐る閻魔に問い掛けると、少しだけ私に視線を寄越した閻魔は嬉しそうに目だけで笑った。

「オレの城」

「…………城?」

私が首を傾げると閻魔は突然立ち止まり私を強く抱きしめた。

「なあ、なまえ。」

「ちょっ……!なななっ何!?」

「怖がらなくていいよ。オレ、なまえをずっと大切にしてあげるから。」

見上げると私の顔を覗き込んで嬉しそうに笑う閻魔と目が合った。
その瞳はまるで宝物を手に入れた少年のようで、私は唯頷く事しか出来なかった。


















‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

運命の糸/閻魔
fin
2010.09.25

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -