海の日

「何ジロジロ見ているんですか。」

曽良は読んでいた本を中断してめんどくさそうに顔をあげた。
目の前には自分を真っすぐ見つめる妹弟子が座っている。

「え?いや…。」

慌てて目を反らしたなまえに、曽良はため息をついた。

「何度も言っていますが、僕は海の日に限って笑ったりしません。」

「だって、芭蕉さんが言ってましたよ!」

「ですから僕はそうだとは言っていません。」

相変わらず師匠の芭蕉が適当に言ったされごとを信じているなまえは朝からずっとこの調子で曽良に着いてまわっている。

「じゃあ、曽良兄さんはいつ笑うんですか?」

曽良の顔を覗き込むように前のめりになって見上げているなまえ。
なまえが前のめりになることで先ほどより少しだけ二人の距離が縮まった。

「なまえは僕が笑ったところを見たことがないというのですか?」

少し呆れた表情の曽良の問いになまえは首を傾げて、視線を少し反らした。
おそらく過去を振り返っているのだろう。

「貴女の前では笑っているつもりだったのですが…。」

気付いてもらえないとは残念ですね、と言うと曽良は悲しそうに眉をひそめた。

「兄さん…?」

見慣れない曽良の表情になまえの胸が跳ねて、徐々に頬が熱くなる。
なまえはごまかすように俯いてその場を乗り過ごそうとしてみるが、その変化を曽良さ見逃さなかった。
目の前にいるなまえに近寄り、柔らかな頬を冷たい掌で包み込めば完全に首まで赤く染まる。

「なまえ。」

優しく名前を呼んで無理矢理目を合わせると、なまえは驚いているのか大きな目がよりいっそう開いた。

「な…んですか、曽良兄さん」

頬に触れていた手で目にかかりそうになっている前髪をどかしてやる。
なまえは警戒しているのか肩に力が入り、表情がぎこちない。
曽良は前髪を指に絡ませながら呟いた。

「…前髪が伸びましたね。」

露になった額を優しく撫でてやると心地良いのか赤く染まった顔のまま嬉しそうに微笑んだ。

「そうですね。また切ってください。」

肩の力が抜けて甘えと信頼に満ちた瞳に了承の意味を込めて目を細めるとなまえはますます嬉しそうに笑った。

「兄さん、今笑いましたね。」

「そうですか?」

「はい。今の表情でしたら確かに何度か見たことがあります。」

何で芭蕉さんは知らないんですかねぇ?と首を傾げるなまえに曽良は顔を近づける。

「貴女にだけ、特別ですから。」

そう言うと額にキスをして曽良はニッコリと微笑んだ。



















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海の日/曽良
fin
2010.07.19

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