「二人羽織をしようと思う」

「…………え?」



部屋に呼ばれたからどんなお説教を食らうのかと冷や冷やしていたのに、斎藤さんの口から二人羽織という言葉が出てわたしはポカーンと口を開けていた。

突然の一言に開いた口が塞がらない、というか、何これ?どうしてこうなった?



「二人羽織…って、あれですよね?あのー…」

「うむ、大体合っているだろう」



だけど、ポカーンと間抜けに口を開けていたところで斎藤さんの口からはその続きは紡がれない。

仕方なく、聞き間違いではないよねという意味を込めて復唱しながら口を開けば、説明も何もしていないのに大体合ってるとか言うし、何これ、余計意味が解らない。

というよりもこんな日中、いつもならばお仕事をしているだろう斎藤さんが自らの部屋にわたしを呼んで、何を言うのかと思えば、これ。

以前、斎藤さんに部屋に呼ばれたときは洗濯物の畳み方をレクチャーされたり、洗い物がしっかり洗えていないだとかお説教染みたものを食らったから今日もそうだと思い、項垂らせながら目の前に座れば、これ。

というよりも、主語もなく、突然、二人羽織をしようと思う、なんて言われたら流石のわたしでも受信出来ないと小首を傾げた。

まず今日の斎藤さんは朝から落ち着きがなく、彼にしてはそわそわしている感じ丸出しで何処かおかしいとは思っていた。

それに今の説明にしても主語がないところが斎藤さんらしくないし、斎藤さんの説明染みた口調は素晴らしいの一言だというのに、今日に限って何でこうなのか。

彼の真意も話の意図も見えないともう一度小首を傾げれば、流石に彼も気づいたのか、咳払いをひとつ。

それから眉を顰めれば、静かにいつも通りの口調でわたしに向かって声を掛けた。



「どうやら明日、宴会をするようでな。会津のお偉方も居るらしく、幹部が全員付き添うことになった。その折、何か見世物をしろと副長から言伝があったのは今朝のこと…」

「あ、ああ、そういえばさっき聞きました、平助から。左之さんは腹芸があっていいよなぁ、とか言ってた気が…」

「うむ。前回は俺も副長に命を受け、左之の元で腹芸を学んだのだが…」

「…えっ?斎藤さんが、腹芸?あれやったんですか?」

「ああ…だが、俺にはその…ああいったものは、向いていないようでな…今回は別のものをと直々に言われてしまった…」

「…………」



そらそうだろう、なんて口が裂けても言えなかったのはわたしが小心者だろうか。

いや、流石のもえこだってきっとこんなしょんぼりした斎藤さんの顔を見たら言えなくなるはずだ、こんなにも肩を落とされたらこれ以上突き落とすことなんて鬼じゃない限り出来そうにない。

だけど土方さんが他のにしろと言うほどのレベルだ、きっと斎藤さんの腹芸は見るに耐えなかったんだろう。

それどころか想像しようにもノリのいい斎藤さんが全く頭に浮かんでこなくて、想像すれば想像するほどわたしの眉間に皺が寄る。

働け!わたしの妄想力!今こそ力を発揮すべきだ!と努力してみても、びっくりするほど真顔で身体だけくねらせている斎藤さんしか浮かんでこない。

事務的というか、リズムに乗れてない可哀想な彼ばかり浮かんでくる。

いや、そうだろう、だって現にいつも接している斎藤さんはお酒が入ったところでノリが良くなるわけでもなく、悪ふざけをするわけでもなく、彼が羽目を外すことなどありそうもない。

想像するだけで可哀想になるくらいだ、きっと正面から見た土方さんはもっと不憫な気持ちになっただろう。

喩えるなら、授業参観で当てられたにも関わらず黒板の前で半泣きになりながら解けない我が子を見るようなそんな感じ。

まあそんなことはどうでもいいとしてだ、詰まるところ何か芸を披露しろと命を受けたんだということは理解できた。

そして斎藤さんがこうしてわたしに話を持ってくるということは、わたしに協力を要請しているということだろう。

真面目な斎藤さんのことだ、今日ずっと考えて出した結論がその二人羽織だったと、そういうことなのだと理解して、わたしはひとつ頷いた。



「解りました、それで二人羽織をしようと思ったんですね。でも二人羽織はふたり居なければ出来ない」

「ああ、元々は平助に頼もうとも思ったのだが平助は平助で考えがあるらしくてな。総司には男同士で重なるのは御免だと断られた」

「……ああ、凄く言いそうです」

「しかし、女のあんたに頼むのは俺としても、その………」



どんどんと申し訳なさげに語尾が小さくなる斎藤さんはほんのり頬を染めて視線を落としてしまい、そんな仕草をされてしまえば特に人の気持ちに敏感ではないわたしだって彼が何を悩んでいるかは検討が付いた。

二人羽織はふたりの身体が密着する、特に後ろ側になる人は見えないように褞袍を被って今のこの時期、暑苦しいの一言だ。

総ちゃんが御免だというのも無理はない、どちらにしても男同士で密着するなんて嫌だって思うのは健全な男としては当たり前の反応だし、だからと言ってわたしに頼るしかない斎藤さんだってその事実を解っているものだから口篭る。

そういえば何度もわたしに声を掛けようとして、いや、何でもないと顔を背けていたっけ。

言い出しづらかったんだろうなぁ、けどもう頼れる人がわたししか居なかったんだろうなぁ。

でもそんな斎藤さんの気持ちとは裏腹に、わたしとしては前になっても後ろになっても斎藤さんと密着出来るのならば何も問題なんてないのだ。

利点を挙げるのならば、後ろなら斎藤さんに全力で抱きつける。

ぴっとり背中に張り付いてもそのときだけは文句も言われないだろうし、その体温を存分に楽しむことが出来るし、何よりも匂い嗅ぎ放題じゃないか。

前になってもおいしいことしかない、二人羽織と言えば何かを食べさせて貰うのが一般的で斎藤さんに後ろから抱きしめられた上にアーンして貰えるのだ、これ以上おいしいシチュエーションはないと踏む。

つまり、断る要素なんて何処にもない、余すことなく斎藤さんを堪能できる絶好の機会ではないかと、真顔でなるほど、なんていう顔をしながら内心は小躍り状態だった。



「いいですよ、斎藤さんに腹芸なんて似合わないです。あんなの左之さんにやらせておけばいいんですよ。二人羽織じゃ練習が必要ですよね、斎藤さんがお暇でしたらしましょうか」



なんて、ちょっと左之さんに下がって貰って、小躍りを隠しながらとんでもないことを平然と吐いて退けた。

そう言えば、直ぐ様すまないという言葉が零れて斎藤さんが少しだけ項垂れる素振りを見せる。

見遣れば本当に申し訳なさそうな顔をしていて、こういう斎藤さんも悪くはないけど、いつもみたいにきりっとしている斎藤さんのがやっぱりらしいなぁ、なんて思いながら、わたしは颯爽と源さんに褞袍を借りに静かに席を立った。

とりあえず褞袍と箸、それから流石にご飯はないから大福を貰ってきてそれを箸で掴んで後ろから食べさせようという話になった。

なったはいいんだけど、どちらが後ろか前かで揉めるのは必須で。

だけど、わたしの腕の長さでは斎藤さんを後ろから抱き込んで尚且つ大福を食べさせるには限度があると踏んだ斎藤さんは呆気なく後ろを選んだ。

後ろは姿が見えない、もしかしたら最初からそれを狙っていたのではないかというほどのあっさりとした決めっぷりに内心、本当は二人羽織の前に出し物なんてやりたくないんだろうなと同情の気持ちを隠せない。

普通に考えて斎藤さんに出し物をしろという土方さんが鬼に見える、いや、一応、鬼なんだけど。

流石に幹部全員に出し物なんかさせなくたって、左之さんだけで充分じゃないかなぁ、そう思いながら斎藤さんがやりやすいようにと、盆を置いた目の前に膝を着いて、彼が覆い被さるのを待った。

小さな咳払いと共に、失礼するというはっきりとした声が聞こえ、はいどうぞと零してみる。

だけどわたしが小躍りしながら冷静で居られたのはここまでだった、だって、



「…………っ、」



ふわりと漂った空気が冷たかったのは一瞬、すぐに背中に感じた温もりはわたしの背筋から心臓に何とも言い難い電流を流す。

気恥ずかしいのか密着出来ず距離を置く、その背中越しの距離感と斎藤さんの緊張が伝わって酷く耳許が熱を持った。

思わず握り締めてしまったのは腿の上に置いた拳、きゅっと握ると同時に肩が強張って、その所為で斎藤さんからすまんという声が零れる。

こんな空気にするつもりではなかった、いつものようにおちゃらけていればいいのに何をかまととぶっているのか、そう自分に叱咤してみるけれど、どうにも沸き上がってしまった熱が収まらず、大丈夫ですと声を張り上げるしかない。



「へ、平気です!ごめんなさい…く、擽ったかっただけで…」

「………そう、か…いや、すまん、やはり流石に女子とは、」

「い、いえ!平気です!あの、もう遠慮なくぶつかっちゃってください!その方が……」



その方が幾らかまし、それは本音だった。

だってタダでさえ斎藤さんの温もりなんて初めてだし、いつもギャグ要員だからこんなおいしいシチュはないし、どちらかといえば避けられてる方が多い。

だからおいしいとか思ったところでわたしには免疫がなかったと、今更気づいたところで後の祭りで、こうなったらいつもの如くギャグで行こうと無駄にドーンなんて効果音を入れてみた。

だけど、とりあえず顔を出したままやってみようと出してくれた案に、わたしは頷いたことを後悔したのだ。

顔を出したままということは前を見るべく斎藤さんの顔が真横に来るということだ、わたしの背中と斎藤さんの胸が密着して、尚且つ斎藤さんに後ろからアーンして貰う。

これに気づいたのは彼の胸がわたしの背中にぴったりと密着して、視界に彼の腕が映ってからだった。

耳許で斎藤さんが呼吸をする音が聞こえる、口唇を開く音も聞こえるし、鼻から息を吸う音も、小さな吐息も全部。

ふわふわとした彼の髪の毛が耳許と首筋を擽って、だけどびくんと反応したらまたその口唇から謝罪の言葉が零れてしまうとわたしは硬直した。

目の前では大きく骨張った斎藤さんの手が綺麗な動きで箸を取り、大福を掴む。

背中では熱いほどに密着した温もりが離れずに背を擦って、あまりの緊張と動悸に腕が震えるのを抑えるだけで精一杯だった。

見開いた眼が乾いて痛みを訴える、だけど今はそれどころではない。

ゆっくりと口許に近づく大福だけを見つめれば、迫り来る大福が何故か恐ろしいとさえ思えて。

発狂して大声を上げたい気持ちが沸き上がり腰が退けるけれど、退いたところで背後には斎藤さん、わたしを包み込む両の腕も斎藤さん、逃げ場なんてどこにもない。

ぴたりと口許で止まった大福に生唾を飲み込んだのは何故だろう、解らない。

だけど、おいしいという状況が素直に喜べないほどに緊張してパニックを起こしかけているわたしには、口を開けるという簡単な動作も侭ならなくて只管大福を睨みつけるしかなかった。

そんなわたしを怪訝に思ったのか、斎藤さんが若干上擦った声でみうこ、と呼んで。

それが耳許で聞こえるものだから堪え切れず、わたしは大きく反応した後、思わず彼の顔がある方を振り向いた。



「…………あっ、」

「…………っ」



振り向けば凄く近い距離、こんなにも近い距離で彼を見た人はどれだけ居るだろうかというほどの間。

突然かち合った眼と眼はお互いに揺れていて、だけど近すぎる余りに変に逸らすことも出来ず、眼を見開いてお互い静止する。

やばい、どうしよう、何この雰囲気!

いや、おいしい、おいしいんだ!でもこんなの耐えられない!心臓が持たない!どうしてこうなった!

どうにかしなければ、どうにかしなければ、どうにかしなければ!

そう思ったところで突然のことに頭が真っ白になっているわたしには何も浮かばず、だけどどうにかしなければという思いだけが思考を支配して動けない。

斎藤さんだって意を決して大福を掴んで、予定なら後はわたしが食べるだけだった。

斎藤さんのことだ、コツを掴めば見ていなくとも心眼を開いてやるだろうし、二人羽織は失敗した方が面白いという。

だからそんなに練習などしなくてもいいからあと1、2回で終われるはずだった、というのに。

馬鹿!わたしの馬鹿!何でいつものようにおちゃらけられないの!

でも、そうやってどんなに叱咤したことろでばくばくと煩い心臓は止んでくれず、硬直した身体も動かない。

どうしよう、どうしたら、どうすれば、どうにもならん!

時間にしてみればほんの数秒、だけどぐるぐるとパニックに陥ったわたしは眩暈にも似た気持ち悪さを覚え出し、頭の中だけじゃなく目の前も真っ白にしかけた、そのときだった。

陽気な声と共に横の襖が遠慮の欠片もなく、がらりと開いたのは。



「一くん、新しく来た竹刀なんだけどさぁ、道場の…方……」

「……………」

「……………」

「………ごめん、お邪魔しちゃったね」

「…そ、総司…っ!」



突然の来訪に思わず離れたのは、別にふたりの間に何かやましいことがあったからじゃない、それは明白だ。

だけどお互いそうしてしまったのはきっと条件反射であって、ここまで斎藤さんとシンクロすることが出来たのは二人羽織の所為だろうか。

待て、違うんだ、なんて言いながら大福をほっぽりだして総ちゃんを追いかけて行った斎藤さんの後ろ姿を見届けながら、おいしい状況だったにも関わらず深い溜息を吐き出したわたしは、シリアスには向かないのだと、今夜、もえこに泣きつくんだろう。





結局、宴会当日、左之さんと一緒にノリの悪い腹芸を披露した斎藤さんはどうなったかと言うと。

想像通り可哀想なことになっていたけれど、案外そのノリの悪さがお偉方にウケて盛り上がっただなんてオチに、わたしはひとり、二人羽織じゃなくて良かったねと目を背けたのだった。





end
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