床に就いていても眠りが浅ければ夜が明けたのも何となく感覚で解るもので、そんな中、わたしは久しぶりに夢を見た。

夢の中のわたしは、兄様に手を引かれ母様と父様の背中をふたり仲良く小走りで追っていて、追いついたら邪魔になるとも構わず遠慮なしに母様の足に絡み付いていた。

危ないですよと優しい声を掛けながらわたしの頭を撫でる母様の手は冷たくて、だけど気持ちがいいと目を細める。

これが夢であると見ながらにして解るほどわたしの思考は正常で、だけど身体は如何ほども動かない。

目線は小さい頃の自分のそれで、だから背の高い父様を見るには見上げなければお顔が解らないし、歩みを進める風景が全て威圧的に見えた。

わたしが足に捕まり続けている所為か、母様はいつまでもわたしの頭を撫で続けて、だけど離れなさいとは咎めない。

ゆっくりと母様の顔を見ようと顔を上げれば真っ直ぐにわたしを見遣りながら口許を綻ばせて、そんな母様の顔を見ていたら、なんて優しい表情を作る人なのだろうと胸が熱くなった。

きゅっと目を瞑れば目尻からぽろぽろと涙が溢れて、思わずしがみ付いた母様の着物の袖を掴む。

それからわたしの口から零れたのは行かないで、という言葉だった。

何故急にそんな言葉が出てきたのか、何故急に涙が溢れたのか、夢の中の出来事は解らない。

だけどわたしは今必死にその袖口を掴んでいて、悲しいわけじゃないのに、胸は温かいはずなのに本気で縋っていた。










「…………起きたか」



ぐらりと視界が揺れたのはついさっき、先程見ていた筈の夢の中のか細い音とは違い瞼を持ち上げるたび耳に届くのは重みのある音。

数度瞬きを繰り返せば見慣れた天井が目に入り、ぼやけた視界の横に人影が映る。

頭の重心を右に傾ければ首が唸り思った方向を向き、思考と行動が一致しない夢から自分は覚めたのだと理解に至った。

それから視界に映った人の名前を呼んでみたけれど、起き抜け過ぎて声がうまく作れなかったのかひゅっと鳴ったのは喉。

だけど声が届かなくてもわたしを見下ろしているその人にはしっかり届いたようで、一度肩を竦めるといつもの口調で口唇を開いた。



「無理をするな」

「…………」

「喉が腫れ上がるのは流行り病だそうだ。2、3日熱は引かぬだろうが直に良くなると先生が仰っていた」



静かに淡々と、でも何を言われているのか直ぐに理解出来なかったわたしは傾けた小首を更に傾けて眉を顰めた。

斎藤さんは何の話をしているのだろう、流行り病とは何のことなのだろう、そもそも何故わたしの部屋に斎藤さんが居るのだろう、起き抜けの思考回路はうまく繋ぎ合わさらない。

だけど、何を仰っているんですかと口にしようと唾液を飲み込んで、要約自分の身体の異変に気がついた。

高が唾液を飲み下しただけ、それだけなのに喉に出来物でも出来たかのような異物感と痛みがわたしを襲う。

確認のためにもう一度、とわざと喉を鳴らしてみたけれど間違えようもない不快感が纏わり付くだけでその事実は変わらなかった。

喉を擦るためにゆっくりと布団から上げた左腕は酷く重い、伸ばしていた腕を折るだけで骨が軋んで痛みを発し、衣擦れるだけで肌が粟立つ。

この感覚は紛れもなく熱があるときに襲い掛かる症状で、わたしは自らの喉を抑え込むと同時に顰めた眉を戻すことなく斎藤さんへと視線を向けた。

斎藤さんは特に普段と代わりなく心情の汲み取れないお顔をしているようにも見えるけれど、見下ろされている所為か何処か威圧的に見える。

いや、見下ろされているから威圧的に見えるのではない、わたしに後ろめたさがあるからそう見えるのだ。

後ろめたさとは何だと言えばひとつしかない、そう昨日までの自分の行いと耳に蛸が出来るほど聞いた斎藤さんの苦言を思い出し、ぶつかった視線から逃げるように眼球を動かした。

だけどわたしは知っている、そんなことで斎藤さんから逃げられるわけがないことを。

そう思うと同時、彼が小さく溜息を吐いて、



「何を言いたいか、解るな?」

「…………」

「床に伏せている者に小言を漏らしたくはないのだが、あんたにははっきりと言っておかねばならん」

「…………」

「あんたはこの浪士組の女中として良くやってくれている、それは解っている。だが体調管理を疎かにする者に女中が勤まるとでも思うか?」

「…………」

「隊士のことを優先的に考えてくれるのは有難いことだ、だがあんたには必要以上の仕事は与えていないはずだ………解るな?」



はっきり言う、と言いながらも言葉を濁し、問いかけるように綴るのは、咎めているのではなく解らせようとしてくれている証拠だとわたしは知っている。

だからこれ以上彼を悩ませないためにもと肯定の意味を込めて頷けば、再び聞こえる小さな吐息。

土方さんに解らせろと言われたのだろうか、嫌な役目をやらせてしまったと思えば肩が竦んで枕から頭が落ちてしまいそうになる。

わたしは数ヶ月前、壬生寺の境内で倒れているところを保護され、数日八木さんにお世話になっていたというだけの身分だった。

唯一の肉親だった兄を病で亡くし、遠縁がいると聞いていた為身寄りを求めて京まで来たのだけど、文を出してもわたしを迎えに来る者は誰もいなかったのだ。

2日待てど連絡など付かず、そうこうしている内に宿代も無くなり食べるものも無くなり仕方なく知らない街を放浪し壬生まで来てしまったという話すのも躊躇う経緯で。

あの日は小雨が降っていて、せめて屋根のあるところに泊まりたいと目についたのが壬生寺だった。

お腹は空いているわ、小雨が降る中外で寝た所為か体調を崩し、夜が明けても起き上がれずに居るところを発見されて保護されて。

これからどうしようかと熱のある頭で考えているときに、身寄りがないのならば少し手伝ってくれないかと八木家の奥様に言われ今に至るわけだ。

それは斬った斬られたという話が浪士組に浮上していた真っ最中のことで、奥様があまり関り合いを持ちたくが無い為にわたしを架け橋のようにしたのだと聞いたのはつい最近。

それでも身寄りも何もないわたしには衣食住があるだけで有難い為、わたしに出来ることならば何でもやろう、追い出されてしまわないように努めようと走り回っていたのだ。

だけど頑張り過ぎて空回りしたり裏目に出るのはわたしの悪い癖で、思い返せば確かに最近睡眠不足だったなぁなんて今更も甚だしい。

ご飯もろくに食べずばたばたと走り回ったりもして、永倉さんにも何をそんなに忙しないんだと笑われたっけ。

斎藤さんもここ数日は特に小言が多いなと思っていた、きっとわたしの顔色がいつもより優れなかったのだろう。

その度に大丈夫ですと零していたはずなのに、現状、全く大丈夫ではない状況で、だから凄く後ろめたい。

そういえば昨日少し喉に違和感があったっけ、気にならないふりをして放っておいたのは確かに自分だ。

隊士の方の中にも寝込んでいた人も居たのだし、早めに床に就いていればこんなことにはならなかっただろうか、なんて。

思い返してみたところで結果は結果、こうして流行り病を貰って斎藤さんの手を煩わせていれば有難迷惑としか言われなくて当然だった。

何度も言われていた、与えられた仕事だけやってくれればいいと。

用がないときは部屋に居ればいいと、だから屋敷をうろうろするなと何度も何度でも。

それでも稽古後の生傷の耐えない隊士さん方を見ると薬箱を用意したくなるし、手持ち無沙汰になると考えたくもないいつか此処を追い出される日を考えてしまって動かずにはいられなかった。



「……すみません…でした」

「そんな掠れた声を無理に出さんでいい」

「…で、でも…」

「解ればいい、と言っている。これからは自分の体調を過信するな、寝込んでからでは遅いのだということを肝に命じておけ」



俺達は寝込んだ女中の面倒を看る為に此処に居るのではない、そう付け足すともう一度溜息を吐き出し、斎藤さんは桶に浸してあっただろう手拭いを手に取って絞るとそっとわたしの額にそれを宛がった。

肩が震えるほど冷たい手拭いは、どれほど桶で冷やされていたのだろうか。

少し呆れるように、突き放すように言われた言葉と同じくらい冷たさのある手拭いは、だけど馴染めば自然に顰んだ眉の皺が無くなるほどに気持ちがよくて。

同時に前髪を巻き込んでしまったのが気になるのか、斎藤さんの指がわたしの髪を掻き上げて、そんな手が手拭いよりも気持ちいいと思わず目を瞑ってしまう。

この感覚、何かに似ている、そう思ったのと再び目を開けるのはほぼ同じで。

だけど何かを思い出すその前に、わたしの思考は斎藤さんの次の言葉で掻き消えた。



「……行かないで、というのは」

「………え?」

「俺に言った言葉ではないのだろう?」

「…………」

「手を………」



主語を言ってくれなければ意味が解らないと、彼を見遣れば言い辛いのか今度は斎藤さんが視線を逸らす。

それから少し何かを考える素振りを見せたかと思えば、再び小さく呟いた、手を、と。

同時に変化が訪れたのはわたしの右手、くいっと引っ張られる振動が伝わって。

何事かと視線を自分の右手に向けるべく更に頭を傾ければ、枕元より少し離れて布団から投げ出されている自分の手が見えた。

その手は何故今まで気付かなかったのかというほど斎藤さんの白い襟巻きの裾をしっかり掴んでいて、だけどあまりの驚きに言葉が出ない。

意識をすれば、ぎゅうっと、爪が掌に食い込むほどに強く握り締めているのが解る。

何故今までこれに気がつかなかったのか、まさか熱の所為で感覚が麻痺したなど、とても言い訳のできる代物ではない。

ゆっくりと力の篭った指先を解けば、やがてするりと抜ける襟巻き。

見遣ればわたしが握り締めていたそこだけがくっきりと皺になっていて、どれほど長い間そこを握っていたのだろうかと戸惑う心を隠せなかった。

それから思い出したのは斎藤さんのさっきの科白だった、行かないで、と。

わたしは、その言葉に、覚えがある。

その言葉は勿論、斎藤さんに言ったのではなくて、夢の中で、母様に、



「わたし……何か言ってました?」

「何かとは?」

「………寝言、とか」



本来ならば、こんな風に襟巻きを掴んでいたことに対してすみませんと零すのが先だと思う、それは解っていた。

だけど混乱した思考の先に出た言葉は全く検討違いなそれで、でも確かめずには居られなかった。

夢とは何とも果敢無いもので、ついさっきまで見ていたはずなのにもう大部分を忘れてしまっている。

きゅうっと胸を締め付けた気持ちも、感覚も覚えているはずなのに此処にはもう残って居なくて、だけど覚えている限りを繋ぐと他にも何か、確か何かあったと視線が泳ぐ。

それから斎藤さんを見遣れば、彼は言ってもいいものかと考えているのか視線を落としたまま口を閉ざしていて。

だからわたしは失礼を承知でもう一度、その襟巻きをそっと指先で撫で下ろした。

斎藤さん、と呼べばそれで済んだこと、だけど声が出なかった。

そんなわたしにふと視線を戻してくれる斎藤さん、だけどまだ何か思うところがあるのかもう一度視線を逸らして。

それから再びわたしと向き合うと、ゆっくりとわたしに向かって手を伸ばす。

頬に触れた斎藤さんの指先は桶に浸けていた所為か手拭いと同じくらい冷たくて、思わず目を瞑れば瞼の上を斎藤さんの指の腹がなぞった。

何?と思う暇くらいはあった、けれど、



「夢の中で泣かれたとて……何もしてやれん…」



聞いたことの無いような声色が閉じた瞼の向こう側で聞こえるから、胸が高鳴って再び瞼を上げることが出来ない。

きゅうっと胸の奥が高鳴ったのは真っ直ぐに見据えられたからか、それとも触れられているからか、彼の声が優しいからだろうか。

ううん、きっとどれでもなくてどれも間違っていないんだと、気恥ずかしくなって顎を引いてしまった、けれど。

名残惜しさの欠片もなく離れてしまったその冷たい指先が寂しいと静かに瞼を開けて視線で追えば、途端にお顔ごと背ける斎藤さん。

それから一度咳払いをすると、俺もあんたに付きっ切りという訳にはいかないと零して徐に立ち上がり、くるりと綺麗な姿勢のまま踵を返してしまう。

だけど、一瞬だけ見えた斎藤さんのお顔に母様が被ったのはきっと気のせいじゃないとわたしは笑ってしまって。

その声に少し気分を害したのか、襖を開けると同時に何がおかしいと上擦った声が聞こえるから、わたしは喉の痛みに鞭を打って声を張り上げた。

ありがとうございます、そう零せば、仕事が一段落したら様子を看に来ると声が聞こえて。

それからゆっくり眠っていろ、と聞こえると同時にその襖が閉まるから、わたしは襖越しに見えなくなっていく斎藤さんの影を目で追いながら掠れて届かないだろう声で呟いた。

斎藤さんの手、凄く気持ちよかったです。

優しくて何処か懐かしくて、母様みたいな手ですね、そう目の前で言ったらまた気分を害すだろうか。

もう一度撫でて貰うにはどうしたらいいだろうか。

わたしは数刻後、再び斎藤さんが様子を看に来てくれるだろう時まで、寝ないで考え馳せて居ようと思う。





冷たくて暖かい





END
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