晴天麗らかな日和が途切れて早一刻、通り雨だと思ったそれは強く降り続き賑やかな街の通りも心なしか活気がなくなる今日の午後。 わたしは彼是一昨年ほど前から手伝いをさせて頂いている甘味屋の屋根を雨の強さに合わせて調節していた。 お団子が美味しいと評判のうちの店は普段ならば、お茶菓子にと持ち帰る人や休憩がてら腰を降ろしていく人で賑わっている時間。 だけどここ三日ほどはちらちらと降っては止みを繰り返す激しい時雨の所為かとんとその足並みすら引かせていた。 雨が降ったくらいでは京の街の活気は消えたりしない、だけどそれも三日も続けば路上は乾かぬ雨溜まりだらけで歩くことすら億劫に為るというもの。 雨の所為でお日様は見えないけれど、まだ日も高く上っている時間だと言うのに街から人影も雑音も消え失せてしまっていた。 聞こえるのは途切れることのない雨音、湿った空気の所為で旦那様が蒸している団子の匂いもどこかそそる気にもなれない。 ほんの少し見遣った旦那様の顔は思ったとおり浮かない顔をしていて、ひとつ零した溜息にはもう今日は店仕舞いかと言葉が聞こえたような気がした。 「あー…疲れた、」 「あ、いらっしゃいま…総司さん!」 「こんにちは、ユメちゃん。酷い雨だね、熱いお茶貰える?」 「ええ、勿論」 「あとお団子ね、いつもの」 「畏まりました」 ほんの少しだけ気を緩んだ矢先、突然の来客に、その声に一瞬心臓が跳ね上がる。 振り向いた先に居たのは週に一度は必ず足を運んでくれる新選組の沖田総司さんだ、だけどこんな酷く足許の悪い中来てくださるとは思っていなかった。 見遣れば前髪を雨に滴らせ、傘を持っているはずなのにどこか全身が酷く濡れている気がする。 今日はそんなに風が強かっただろうか、足許は膝辺りまで泥が飛んでいて、たとえ走ってきたとしてもああはならないだろう。 浅葱色の羽織を着ているところを見ると巡察の途中だったのであろう、だけど他の隊士が一緒の様子も見られない。 これはきっと、総司さん風に言う面倒なことがあったということなんだろうなと、横目で見遣りながら店の中に戻った。 それでも巡察の途中でこうして団子を食べに来るくらいだ、表情を見ても言うほど大事ではなさそう。 怠けていると副長さんに怒られますよ、以前も羽織姿のままで来たときにそう言ったけれどお団子食べるくらい大丈夫だよと言って笑っていた。 戒律に厳しく仲間であろうと平気で斬り捨てるという恐ろしい噂の新選組の幹部だとは思えない、きっと怖くないように接してくれているのだろうけれど。 団子を蒸すため常に湯気が立ち篭り湯が沸いている店では熱いお茶を淹れることなど訳はない。 気に入ってくださってるのかいつだって注文されるのはみたらし団子で、一人で食べるときは一本、持ち帰るときは大体十本ほど。 以前、僕は食が細いんだと言っていたのできっと屯所の誰かに買って帰っているのだろう、そんな彼を見て怖い人だとは思えなかった。 急須に茶葉を入れお湯を注いで少しだけ蒸らし、静かに急須を回しながら茶葉を馴染ませる。 同時に軒下の腰掛に座っている総司さんの背中を見遣れば、やっぱり寒いのかほんの少しだけ身震いをしたのが見えた。 動いている間というのは体温はあまり低下しない、だけど動かすのを止めると途端に低くなるものだ。 気温はそれほど低くないにしろ、あんなに全身を濡らしていたらそれこそ体調を崩してしまう。 そう思ってわたしは近くの引き出しから大きめの手拭いを三枚取り出して胸許に仕舞い、淹れたばかりのお茶とお団子をお盆に乗せて総司さんの元に急いだ。 「お待たせしちゃってごめんなさい」 「ん?そう?全然待ってないけど」 「これ、使ってください。寒いでしょう?」 「ありがとう。ユメちゃんは気が利くね、いいお嫁さんになるよ」 「あ、あり、がとう」 「貰い手がないみたいだけどね」 「総司さん!」 恥ずかしくて思わず声を張り上げてしまったのは失敗だった、そう思ったのは奥で団子を蒸していた旦那様が噴出して笑ったからだ。 総司さんはいつもこうやってわたしをからかう、勿論、それが厭味を含んでいることは百も承知。 二十二にもなって嫁いで居ないわたしは旦那様や奥様にはしょっちゅう、色んな人に世話を焼かれるものだ。 だけど一番言われて痛いのは総司さんだ、こうして冗談交じりに言ってくれるからまだ救われるけれど、彼はきっと気付いている。 わたしが自分に気があること、慕っていることに気付いている。 そんなのは旦那様だって解っているはずだ、だけど総司さんは気付いていて素知らぬふりをしているし、わたしも口に出すことはない。 この思いは口に出したところで叶うことはないのだ、そして世間にも祝福されることはないのだ。 新選組の人は局長さんを始め、好んでうちの店のお菓子を買って行ってくれる謂わばお得意様。 幹部ともなれば羽振りも良く、そんなお客様だからこそ旦那様は何も言わないが、本当はあまり好んでいないことわたしはよく知っている。 旦那様だけではない、町の人なんてみんなそうだ、京の治安を守るなど大義名分を抱えてはいるが結局は血生臭い争いしか生んでいないと、毛嫌いする人が多い。 だから本当はかなり前から言われていた、出来れば止めて欲しいが人の心だから慕うのは仕方がない、だけどその先に未来などないのだと。 生憎と言ってはおかしいが、総司さんはわたしをからかって軽口は叩くものの、口説いては来ない。 一度だけ、僕の為に毎日お団子を用意してくれるのならお嫁に貰っても良いよ、なんて言ったことがあったけれど、すぐに冗談だけどねと付け足された。 総司さんだって解ってるんだ、自分たちが町民に好かれていないことを。 ううん、総司さんだけじゃない、新選組の人たちはみんなそんなこと解ってる。 それでも、人斬りと罵られようと蔑まれようとひとつの信念の下命を掛けて戦う様をわたしは嫌いになることは出来なかった。 「うん、やっぱりここのお団子が一番美味しいね」 「ですって。聞きましたか?旦那様」 「聞かなくても解ってますよね」 「京で一番だと自負されてますからね」 人通りを見越して今日はもう客は入らないと思ったのか、奥で掃除を始めた旦那様の高笑いが聞こえた。 総司さんは世渡り上手だ、こうして褒められれば誰だって悪い気はしないし、上手く行けばまけて貰える。 案の定、気分を良くした旦那様がわたしを呼びつけるのに大して時間は掛からなかった。 どうせ今日は団子を余らせてしまうだろう、二度蒸しして味を落とすよりも出来たてをお得意様に食べてもらった方がずっといい。 掃除の手を止めてお皿に一本乗せたお団子をわたしに手渡すと、旦那様はそのまま慣れた手付きでたれを付けたばかりの団子を包みだす。 本数は十本だ、さっきまで浮かない顔をしていた癖に今は余程機嫌がいいらしい。 手早く綺麗に包まれたお団子とお皿に乗ったお団子を持って総司さんのところへ戻れば、彼はわたしの手渡した手拭いで髪を拭きながら既に食べ終わってしまった団子の串を咥えて暇を持て余していた。 総司さんは食べるのが早い、きっと好きなものほど食べるのが早いのだろう。 だから早く声を掛けなければ居座っているのなんてほんの僅かしないときが多い。 戻るなり口に咥えた串をお行儀悪いですよ、と一言添えて新しいお団子を手渡せば、母上みたいだね、子供も居ないのにとまた憎まれ口を叩いた。 お皿を受け取るなり振り返り、奥にいる姿の見えない旦那様にお礼を告げるとすぐに団子に手をつける総司さん。 見遣った湯呑みの中にはもうほとんどお茶は入っていなくて、これは新しく淹れなおさねばと傍を離れようとしたら先にいらないよと返されて手持ち無沙汰だ。 「平気、長居しないから。もう行かないと怠けたのが解っちゃうでしょ」 「やっぱり怒られるんじゃないですか」 「うん、でも土方さんが怒ってるのはいつものことだから」 「そんなこと言って、」 「お茶は要らないからここに座って。ひとりでこんなとこ座ってるなんて見栄え良くないでしょ」 言いながら片手で団子を頬張りもう片手で隣に座れと腰掛を叩く、お行儀はあまり良くない。 だけど総司さんという人はどこか子供っぽさを残しているから魅力的なんだろうと、わたしは自然と口角を上げて彼の隣に腰掛けた。 お盆を抱えたまま、横目で総司さんを見遣れば新しいお団子を頬張ってもぐもぐと食べていて、まるで愛玩用の動物のようだ。 そんなことを言ったら何を言い返されるか解らないから絶対に口にしたりしないけれど、喩えるのなら猫。 自由気ままに生きて、嫌なものは嫌、楽しいものは楽しいとはっきりしていて、何より気紛れで先が読めない。 だけど局長さんの話になると別人のように人が変わるのが彼の面白いところ、相当慕っていらっしゃるのだろう、局長を語る総司さんの瞳はいつだって輝いている。 串に刺さっているお団子はあと二玉、それを食べきってしまったらまた総司さんと会うのは暫く先だ。 そう思えばこの隣に居る時間が妙に神聖な気がして来て、いつだってこの時ばかりは色々な思いが渦巻くの。 こうして想う人に会えるわたしは幸せだとか、もっとお団子を食べに来てくださればいいのにとか、この短い時間がわたしにとっては宝物と同じ。 だから本当ならば、隣で座っているだけでなく、もっと色々な話をすればいいのだけど、何故かいつだって隣に居るだけで胸がいっぱいになる。 会えない間は今度はこの話をしてみよう、あの話をしてみようと色々考えるのだけど、おかしいな、会えばそんなもの全て吹き飛んでどこかへ行ってしまうんだ。 いいの、これで、週に一度、四半刻にも満たないこんな時間だけれども、それでもこうして肩を並べていることが出来るのだから。 一度視線を街中に戻せば、まだ降り続けている雨はさっきよりも少しだけ弱くなっているように感じた。 小雨というには幾らかまだ強いけれど、そういえば、総司さんが暖簾を潜ったときは結構強い飛沫が地面を舞っていたっけ。 帰って欲しくはないのだけど、それでもまたこんな風にびしょ濡れになってしまうのならばと総司さんに声を掛けようと横を向いた。 next |