それにはじめがあそこのケーキが好きなのはずっと前から知っていたし、だけど見た目の所為か印象の所為か、甘いものが好きだなんて誰も知らない。

そうなればケーキを買ってきてくれる人は居ないだろうし、花束だけじゃお腹は膨れないしって思ったからだ。

それに新作が出ていた、どうせはじめの顔見たら何でも許しちゃうんだろうなぁなんて思ってたから、仲直りしたら一緒に食べようと思って自分の分も買っていて、だけどどうしてこうなったのか。

ううん、それは考えなくても解ること、わたしがひとり暴走していたというそれだけのことだ。

詰まるところ、これは詫びじゃない、はじめもわたしが騒いだことで呆れてるかもしれないけれどわたしの方が怒ってるんだから、なんて思っていたからあまりにも予想外の形勢逆転にわたしの思考が追いつかない。

いや、いつだって喧嘩するときはわたしが謝ってる、早とちりもすれば迷惑を掛けるのはいつだってわたしだったから。

でも自分が悪いのはすぐに解るし、はじめの怒った顔格好いいけど怖いから恐縮してすぐ謝っちゃう、悪い癖。

それでも今日は絶対わたし悪くない、だけど会いたくなっちゃって惚れたが負けかなんて思って此処へ来たから予想外過ぎる空気に言葉が出なくて奥歯を噛み締めるしか出来ない。

だけどそんなわたしのことなんかお見通しなのか、はじめは小さく、だけどわざとらしく溜息を吐いて、



「……すまなかった」

「…………えっ?」

「悪かったと言った」

「……………」

「心配を掛けるようなことをしたのも、こうして入院する羽目になったのも自分の不注意だ。あんたが心配することくらい、予想は付いていた」

「…………」

「それを、解りきっていたことを咎めたのはお門違いだと思ってな。心配を掛けた原因を作ったのは紛れもなく俺だ…すまん」



小言が来る、そう思って身を小さく仕掛けた瞬間の予想外のはじめからの謝罪に耳を疑い、視線だけゆっくりと上げるとバツの悪そうな顔をして目を泳がせ口唇を歪ませているはじめが映った。

いつも強気で冷静なはじめがこんな顔をするのを見るのはどれくらいぶりだろうか、ああ、そうだ、好きだと言ったあの時以来だ。

あの時も凄く慌ててて、なんか妙に周りを気にしたりなんかして、そんな気にしなくても周りはもう何年も前から知ってるよと言ったら余計に沸騰しそうになっていたっけ。

何度も好きだと言うわたしに解ったからもう言うなと声を張り上げて、ついでに彼女にしてくださいと思いっきり目を見て言ったら耐え切れなかったのか口許を手で押さえ、それから小さく頷いたね。

あの時とは少しだけ違うけれど、それでもその心地悪そうに言葉を綴る姿はあれ以来で、だけどそんなはじめも凄く好きで胸の奥が酷く擽られる。

狡いなぁ、狡いよ、はじめは。

ううん、全然狡くない、はじめは何も悪くなんかない。

だってはじめの一挙手一投足に勝手に胸高鳴らせているのは、わたしなんだから。

はじめのすることやること全部、ううん、はじめという存在そのものがわたしの心を掴んで擽って離さない。

視線ひとつ向ける仕草ひとつすら愛おしくて、惚れたが負けとは良く言うけれどわたしは一生はじめに首っ丈なんだろうな。

そう思えば心配を掛けられたことなんて凄くどうでもいい気しかしなくて、わたしは思わず力の入ってしまった指先でケーキ箱を少し歪ませるとはじめの名を呼んだ。

だけど視線を合わせてくれないはじめは未だバツの悪そうな顔をしてそっぽ向いている。

確かに勝手に心配したとは言え、馬鹿かなんて言われたのは傷付いた、だから謝って貰えたことにホッとしている自分も居る。

でも騒いだ上に花束を投げつけたのはわたしで、どちらが悪いと言えばわたしが悪いんだ、だから今謝るべきなのは、



「ごめんね、わたしが悪い」

「……いや、元はといえば、」

「違うの!大丈夫だって聞いてたけど……騒いだのはわたしが悪いし、勝手に余計なことまで心配しておいたくせに花投げるとか…うん、ないよね。ごめんなさい」

「…………余計なこと?」

「………頭打ったって聞いたから、はじめが記憶喪失とかになってわたしのこと忘れちゃったらどうしよう、とか」



素直にそう告げれば途端にはじめの眉間に寄ったのは大量の皺、それから怪訝な顔を露にして逸らせていた視線をわたしに向ける。

その口からは何も出てこないけれど、何が言いたいのかくらいは解っていた。

あんた、馬鹿だろう、そう言いたげな顔。

だからそう言われる前に、だって仕方ないじゃないと付け足した。



「わたしのこと忘れられたら、わたしの存在だけじゃなくて、わたしがはじめを好きな気持ちも忘れられちゃうんだよ…そんなの嫌だ」

「…そうだな、そうなったらの話だが、長年あんたが俺の周りをウロチョロしていたことも忘れるだろうな」

「でしょう?やだよ、わたしの7年間を事故ひとつで無駄にしないでよ!」



また自分勝手なことを言った、そんなことは解っている。

だけど本音なのだから仕方がない、はじめに忘れられるなんてそんなこと、わたしの中では最大級にあってはならないことだもの。

嫌われるのだって怖い、だけどそれ以上に忘れられるなんてそんなのは御免だ。

そう告げれば何がおかしいのか、はじめが眉を顰めたまま、ふっと口角を上げ噴き出して、それからゆっくりとわたしの頬に向かって手を伸ばした。

するりと長い指先が頬を撫で、触れているのか触れていないのか程度の微弱な力がこそばゆいと首が竦む。

だけど、はじめからこうして触れてくれることは滅多としてないと胸躍らせていると、はじめが口を開いた。



「忘れない」

「………はじめ?」

「他の何を忘れようと、ユメ、お前だけは忘れない」



言いながら指を顔のライン通りに滑らせて、それから顎先をくいと持ち上げると同時、ゆっくりとはじめが近づく。

だけど、忘れないなんて突然の言葉に金縛りにあったような衝撃を受けているわたしには、身動きひとつ取ることができなくて。

瞬きすることも忘れてしまったのか、微笑んだままのはじめを見遣って数秒、次に動けたのは互いの口唇が重なったと理解するとほぼ同時だった。

ケーキ箱に食い込ませた指先がぴくりと動いて、それからぱちりぱちりとゆっくり瞬きを繰り返す。

軽く触れる口唇の隙間から小さく声が漏れて、だけどほんの一瞬離れた瞬間にかち合った視線が恥ずかしいと逸らせば再び重ねられる口唇。

戸惑ったのは別に初めてのキスだからじゃない、はじめからこうしてキスを貰えるのはベッドの中以外はないからだ。

強請れば部屋の中でもしてくれた、だけど学校じゃ誰も居なくたってしてくれない、公共の場なんて以ての外。

だから病室というこんな場所ではじめからキスしてくれるなんて、夢でも見てるんじゃないだろうかと思考が全く追いつかない。

でもこの温もりも感触も本物だし、くれるキスもはじめのいつものそれで、何よりも高鳴りすぎて痛む胸が夢なわけがないとゆっくりと目を瞑った。



「どうか、してるな」

「はじ、」

「いつも居る人間が居ないというのは調子を狂わせる、と言ったら、それは単なる言い訳か」

「………どういうこと?」



口唇をほんの少し離した距離で、まるで独り言を言うようなはじめの呟きに小首を傾げれば微笑む声が聞こえる。

それからもう一度、今度はしっかりわたしの頬に手を添えると、はじめもほんの少しだけ小首を傾げる素振りをして、



「俺はどうやら、あんたに弱いらしい」



そうわたしにだけ聞こえる声で囁くと、今度はもっと深くと口付けられ、わたしから次の言葉を奪った。

きゅんと苦しくなる胸の痛みに耐え切れなくてケーキの箱を落としそうになる、けれど落としたらケーキがぐちゃぐちゃになるとかそんなことよりも、はじめのキスが終わってしまうんじゃないかと思って耐えるしか出来ない。

本当はいつものように抱きつきたくて、いつものように甘えたい。

だけど今はされるがままがいいんじゃないかと、本能がわたしにそう告げるから、ただ舌を絡ませることしか出来ないときつく目を瞑って。

くちゅりと咥内でお互いの唾液が交じり合う音がする、それが鮮明で何故だかとても気恥ずかしかった。

ゆっくりと頬から首の後ろに回されたはじめの手がこそばゆい、だけど酷く優しいから身悶えることも出来ない。

ちゅ、と、はじめにしては珍しく音を立てて離された口唇からは、離すと同時に互いの口唇から吐息が漏れて息が上がる。

でもそれ以上に目の前のはじめの目が、何とも言えず艶っぽい色をしているから堪らなく、わたしは静かにその首許に額を付けた。



「わたしのが弱いよ」



はじめに弱い、弱すぎる、こんなんでどうしよう。

泣き声交じりにそう呟けば、互いに依存しているなと言葉が返ってきて。

はじめがわたしに依存している?何それ?まるではじめがわたしのこと凄い好きみたいじゃない、そんな素振り一度もしたことないのに。

眉を顰め見上げれば、何処か揺れる眼でわたしを映すはじめの顔はびっくりするほど可愛い。

でもそんな可愛い顔から奏でる声はいつも通りの低い声、ただ違うのはほんのり囁くような声色というそれだけで、



「していないと、思っていたのだが」

「………」

「どうにもあんたが恋しくて仕方がなかった」



言いながら片腕でわたしを抱きしめるはじめの腕は、それでも充分過ぎるほど温かい。

だけど温かい身体以上に沸き上がった血液の所為か、急激に熱の篭った体内がどうにも熱いと、わたしは鼻先のぶつかったはじめの鎖骨に口唇を落とした。










俺は、あんたが思って居る以上にあんたに惚れている。

そう聞いたこの耳はおかしくなったのか、ううん、そうじゃない。

だとすれば、慣れない病院生活でいつも煩いわたしが居なくて寂しくなったのか、そう思えばなんか否定しきれない自分も居る。

素直に思ったことを口に出せば、俺もこんな風になるとは思わなかったなんて落ち着かない素振りで襟足を何度も弄るはじめが可愛い。

だからこんな風って?と聞き返せば、今度はしつこいと言わんばかりの視線が飛んでくる、だけどその眼が優しいからちっとも怖くない。



「気づけば、」

「え?」

「気づけばあんたのことを……何でもない」










口唇からぽろり




end
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