急に飛び出してきた犬を助けて自分が跳ねられるだなんて、はじめらくして怒ることも馬鹿らしいと思った。

病室の窓際で、飼い主のおばあちゃんがお見舞いを持って何度も頭を下げる姿を見れば尚のこと、それにはじめが優しい表情で返すから肩を竦めることしか出来ない。

事は遡ること5日前、朝のホームルームで担任の先生が突然、斎藤が朝事故に遭って病院に運ばれた、そう告げたことから始まった。

毎朝、学校の校門前で服装チェックをしている風紀委員の彼を見掛けないだけで不思議に思っていたのに、無遅刻無欠席が当たり前である彼の姿がないだけでも不安に感じていたのにその一言は、まるでわたしに爆弾を落としたと同じ。

あのときのわたしの取り乱し様と言ったらなくて、席を立つが早いか先生に何処の病院だと食って掛かるが早いか、朝から大騒ぎをして今では酷いからかわれようだ。

先生の、命に別状はない、たぶん、という言葉が信用出来なくて、病院に行くんだ、はじめの無事をこの目で確認するんだとボロボロと泣きながら喚いたというのに。

なのに、本人は病室で大袈裟だとけろっと言って退けた、それが気に入らなくて、こんなにも心配したというのに心配かけてすまないの一言もないだなんて信じられないとわたしはあれっきりお見舞いになんて行ってやらなかった。

だけど、気になって何も手が付かないのはわたしがはじめに惚れ過ぎている証拠だった。

確かに思えば先生は凄く冷静というか、無事を知っているからこそだろうけれど笑いながら事故ったなんて言ったっけ。

でもあの時のわたしは担任に、こいつふざけてんのか、とか本気でそう思ったほどに心配していて。

過剰に心配して大騒ぎをして、それを耳にしてしまえばはじめが呆れても仕方が無いんだけれど、それでもそれだけ心配したんだから一言くらいあっても良かったと思うの。

それなのに、顔を見た途端溜息なんか吐いて、それから何を言うかと思えば大騒ぎするなだ、なんて。

そんな扱いされてムッとしたわたしは絶対悪くない、絶対にだ。

大事に至らなかったと言えど脚には包帯を巻いて肩も脱臼して利き腕を骨折している、わたしにとってははじめがそんな姿でベッドに横たわっているのが既に大事だというのに、はじめはわたしの気持ちなんて全然解ってない。

それでも安心したのと苛々したのと、一緒に病室まで来た友達にからかわれたのとで居た堪れなくなったわたしは、お見舞いのお花をはじめの顔に思い切り投げつけて病室を走り去った。

頭を打っているから検査も含め、2週間もすれば退院出来るだろうなんて後から聞いたけれどもうお見舞いになんて行ってやらない、そう思っていた。

そう思っていたけれど、毎日顔を合わせていた人に会えなくて辛抱できなくなったのは、完全にわたしの方。

4日間、電話もなければメールもない、昨日お見舞いに行ったはずの友達から何か伝言があるわけでもないはじめに痺れを切らせて、わたしは駅前のケーキ屋さんまで遠回りして病院に足を運んだのだ。

文句言ってやる、心配かけてすまんの一言くらいないの?って。

わたしがはじめが好きで、好きで好きで大好きで、そんなの解りきっていることなのに、はじめに何かあったら心配するに決まってるのに。

大騒ぎして、それも教室で、あんたは馬鹿かなんて、そうやって呆れるだけなの?って。

そう文句を言ってやるつもりだったんだ、わたしのはじめへの気持ちを舐めているのかと。

それなのに病室の扉に手を掛け中を覗き込んだ瞬間、おばあちゃんに柔らかい表情を向けるはじめの横顔を見つけてしまったら一気にそんな気持ちが飛んでしまって、その場から脚が動かなくなってしまったわけです。

毒気を抜かれたとはこのことなのか、皺皺の両手にぎゅうっと右手を握られて何処かこそばゆそうな顔をしているはじめ。

そんなはじめの顔を見たら、ああ、そうだ、この人はこういう人なんだって、自分の利益よりも相手のことを考えてしまう人なんだって納得してしまって溜息しか出て来なくなっていた。

見遣っていれば帰るのか席を立つおばあちゃん、特に足腰に問題は無さそうだけど少しだけ前屈みに腰が曲がっている。

歩けないからベッドを降りられないはじめがほんの少しだけ歯痒そうな表情を見せて、それからおばあちゃんが扉に向かう様をゆっくりと見届ければ。



「…………あ、」

「…………ユメ」



扉のところでひとり、ぼうっと突っ立っていたわたしと目が合うのは必須で、だけど勢い任せに来てしまったのに毒気を抜かれてしまったわたしにはその視線がほんの少しだけ居た堪れない。

わたしを見つけたときの一瞬の目の動き、本当に一瞬だったからあんな微妙な差、付き合いが長くなければ解らないだろう。

だけどわたしには解る、ほんの少しだけ目を細める仕草、あれはあんまり気分がいいときにする仕草じゃない。

たらりと背中に嫌なものが走る、怒っているわけではなさそうで、だからこそ扱いが困るときのはじめがそこに居る。

怒ってはいない、だけど機嫌がいいときの表情じゃない、喩えて言うのならば言葉ひとつでその眉間に皺を寄せる直前の微妙なところ。

そんなはじめの表情に、わたし何かしたっけ?騒いだだけだよね?と過去の行動を思い出しているわたしの横を笑顔で通り過ぎるおばあちゃん。

部屋に高校生ははじめしか居ないからか、はじめのお見舞いだと踏んだだろうおばあちゃんはペコリとわたしにお辞儀をして。

条件反射でお辞儀を仕返すと同時、このまま入ったらあの雰囲気に押し潰されそうだと、思わず玄関まで送りましょうか?なんて声を掛けてしまった。

だけど返って来たのは孫がすぐそこの待合室で待ってるから大丈夫という言葉、それからありがとう、なんて。

いや、わたしはただ、勢いで来たはいいけれど予想外の反応を見せたはじめに勝手に毒気を抜かれ勝手に圧倒され、居た堪れないとおばあちゃんと一緒に逃げたかっただけだ、ありがとうなんて言われたら余計に居た堪れない。

だけど最近の子は優しい子が多いのねぇ、なんて笑顔で呟きながら待合室へと去っていくおばあちゃんの背中から花が飛んでいる気がして何も言えないと、わたしは再び肩を竦めた。

さあ、逃げる口実がなくなった、どうしよう。

この扉を開ける前までは文句言ってやる気満々だったのにどうしてこうなったのか、その理由ははっきりしている、はじめのあんな柔らかい表情を見たからだ。

だけどそれだけじゃない、自分のことしか考えてなかったのははじめじゃなくてわたしだって気づいてしまって文句どころか申し訳ない気持ちが胸を刺す。

考えてみればそうだ、命に別条はない、ただ骨折しただけだと言われたのに早退してはじめのところに行くと、隣のクラスからも野次馬に来た人まで居たくらいわたしは騒いだ。

今行ったら迷惑だという先生の言葉にも食って掛かったし、今思えばあそこまで騒ぐ必要はなかったとそう思う。

出るわけがないはじめの携帯に何度も電話を掛けて、病状を確認しに行った先生から頭を打って脳震盪を起こしたから一通り検査するらしいけど平気みたいだとか言われてまた騒いで。

でもわたしは必死だったの、漫画の読み過ぎと言われたらそれまでかもしれないけれど、もしかしたら記憶を失くしちゃったんじゃないかとか、検査したらもっと怖い病気が発見されたんじゃないかとか。

はじめにとってもしかしたらわたしはただの彼女でしかないのかもしれない、だけどわたしにとってはじめは特別なんだもん。

はじめとは小学校の頃から一緒だった、小5のときにわたしが転校してきて、それでクラス委員長やってたはじめに色々良くして貰って、気づいたら好きになってた。

というよりも一目惚れに近かった、7年も前のことだ、だから普通なら覚えているわけがない、だけどわたしは覚えている。

初めて会ったあの時、どんだけ胸の奥が高鳴ったか、忘れたくても忘れられない。

わたしは最初から結構露骨にはじめに纏わり付いていて、あからさまもいいくらいアピールしてた。

だけど興味がないのか全然気づかないはじめがそこに居て、わたしがはじめを好きだってこと学年全員知ってるのに当の本人が知らないなんて形式になったあれは今でも不思議で仕方がない。

確かに好きだと言ったことはなかった、だけどあからさまだった、バレンタインも誕生日も部活の応援もはじめに関することはストーカーかというほど調べていたし、いつでもどこでもわたしの姿が目に付いたはずだ、なのに。

卒業式にボタン貰いに行ったとき、はじめは言った、あんたは高校も同じだろう?俺からボタンなど貰ってどうする、と。

正直、何を言ってるんだろうと思った、いや、はっきり言わないわたしだって悪いんだろうけど、あまりにもぽかんとした顔で言うものだから腰が抜けそうになって。

小5のときからずっと好きなんだけどと言えば理解したのか、顔を真っ赤にして今更だろうと溜息が出たっけ。

それから付き合いがあるわけだけど、結局わたしははじめに丸々5年間片思いをしていたわけで現在7年目、この気持ちは微塵も寂れてなんか居ない。

今だって本気ではじめが世界で一番格好いいと思ってるし、はじめ以上なんて何処にもいないと思っている。

この好きで好きで仕方がない気持ちが先走ってしまうのは今に始まったことじゃない、いつだってはじめはじめで、何よりもはじめ優先で、だけどそれは自分の我侭なんだろうなって気づいてしまった。

はじめのことを思ってるからの行動じゃない、はじめを好きな自分の気持ちに歯止めが効かなくて、自分の気持ちばかり優先している。

何事も度を越せば迷惑でしかないなんていつしかはじめも言っていたっけ、わたしのこういうところが悪いって、きっとそう言いたかったんだろう。

心配したのも勝手、平気だっていうのを喚いて騒いだのも勝手、募り募って出た言葉が馬鹿かという一言だったのかもしれない。

それに気づいてしまった今、ケーキ片手にお見舞いを装ってはいるけれど顔を見ることすら困難で、未だに扉の前から動けずに居る。

見遣れば4人部屋の中にははじめしかいなくて他のベッドは蛻の空、おばあちゃんの去ってしまったそこは酷く静かな空間。

いつまでもこんなところで棒立ちしていても何も始まらないのは解っている、だけどどうしたものかと視線を上に舞わせると同時、耳に金属音が届いた。

様子を伺うようにチラリと視線をやれば、はじめが片手で立て掛けてあるパイプ椅子を開こうとしている。

きっとも何もない、わたしが来たから椅子を用意してくれようとしているのだろう。

そんなことは入院患者がするものじゃない、わたしが自分でやるべきだ。

そう思ってはいるのだけどどう反応していいのか解らなくて、利き腕でもない右手でぎこちなくパイプ椅子を開くはじめをぼんやりと見遣っていた。



「………いつまでそこに立っている?」

「…………」

「座ればいいだろう?」



カシャンというパイプと床が擦れる音、それから座り易いようになのかほんの少しだけ角度を変えてくれる気遣いに眉が顰む。

だけどそこまでして貰ったら黙って突っ立っているわけにもいかず、わたしは気づかれないように小さく溜息を吐き出すと、徐に脚を踏み出した。

窓際のベッドは日当たりがいい所為かカーテンが掛かっている、きっと昼間は日差しが暑いだろう。

でもそんな雰囲気など微塵も感じさせないはじめはわたしがパイプ椅子に手を掛けると同時に傍にある小さな冷蔵庫に手を掛けて、中から買っておいたのだろうお茶を取り出してテレビの上に静かに置いた。

自分の分は飲み掛けがあるのか1本だけ、冷蔵庫を閉めるのとわたしが座るのはほぼ一緒。

足許にバッグを置いて、流石に食べ物であるケーキの箱は膝の上にと置いて座り直せば、お茶を渡すと同時にはじめが口を開いた。



「この間は随分な見舞いをしてくれたな」

「…………え?」

「それは詫びのつもりか?」



突然の振りに何のことだと思わず顔を上げればはじめの視線がケーキ箱に向かっているのが目に付いて、ゆっくりと数回、視線の合わないはじめとケーキ箱を行き来する。

それからもう一度小首を傾げれば、途端にその綺麗な顔が歪むからわたしは慌てて視線をぷいと逸らしてみせた。

あれ?この間?詫び?随分な見舞い?あれ?わたし、何かここまではじめのご機嫌を損ねることしたっけ?

したと言えば学校で騒いだことと、その所為でここへ来てみんなにからかわれたこと、あれ?なんかもうひとつ忘れている気がする。

そう思って顔を背けたまま記憶を探るよう、視線をぐるぐると巡らせて見れば、テレビの横にふたつある花瓶に刺さった内の小さな花瓶が目に映って視線が止まった。

見覚えのある花、花には詳しくないから名前なんか知らないけれど、早く元気になるようにと明るいオレンジ色を選んだのは確かわたし。

それから事を思い出したのは、はじめの口から忘れたのか?という声が零れるのと同時だった。



「………ごめんなさい」

「…………」



そうだ、わたし、はじめの態度にあまりにもムッと来過ぎて花束ごと投げつけた、そんなこと忘れるなんて信じられない。

でもこのケーキはその詫びのつもりじゃないし、だけど開口一番に零すほどだ、忘れていただなんて言ったら絶対にお説教が始まる。

はじめからしてみれば見舞いに来ておいて花束をぶつけて帰るとは何事だというところだろう、いや、はじめじゃなくても普通はそう思う。

だけどわたしはあのとき、はじめの言葉に傷付いて、ついだ、つい頭に血が上ってバシンと。

そんな言い訳が通じる相手じゃないのは充分解っているつもり、だから色んな言葉を浮かべるけれどどれもこれも口には出せなくて、わたしは一言呟いたまま俯いた。

ケーキを買ったのは喩え怒っていたとはいえ、見舞いに行くのに手ぶらで行くのもどうなのだろうかと思ったからだ。




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