冷え性が悪いのか、昔から苦しめられている便秘は年を追う毎に深刻になっていき、酷いときには一週間出てくる気配もないなんてことがある。

だけどそんな便秘も昔からお付き合いしていればどうってことない、便秘が解消されるときに激痛と共にお腹が下ることだってその痛みこそ慣れないものの生活の一部になっているから別にいい。

良くないのはそう、学校でその激痛が来ることだ。

小汚い話だけれど一週間、溜まりに溜まったものは一度の激痛ですっきり爽やかとなれるはずもなく下手すれば半日くらい苦しむことだってある。

勿論すっきり爽やかになれることもあるけれど大抵は難産で、3回目くらいにもなれば頬がこけたんじゃないかと思うほどにげっそりとなるのだ。

家ならばまだいい、お兄ちゃんにまた便所とお友達やってんのかと笑われるくらいで済むんだから。

だけど学校ならばそうは行かない、何度も授業中にトイレに行きたいと挙手をすれば、オイ、あいつうんこだぞうんこ、なんて陰で言われ兼ねない、そんなのは御免だ。

休み時間にすればいいという話なのだけど、そんな都合良く休み時間にゴロゴロと来るわけでもないし、大体休み時間の女子トイレは女子の井戸端会議場になるのがいつものこと。

そんなトイレで落ち着いて出来るわけもないのが現状で、わたしは仕方なく3時限目の終わり辺りからギリギリと痛み出したお腹を必死に抑えて授業に耐えていた。

だけど我慢にも限界というものがある、元々堪え性のないわたしに繰り返す便意を抑えられるわけなんてないし、何よりも耐えれば耐えるほどに訪れる痛みは威力を増していく。

そんな限界が来たのは5時限目の移動教室へ行く途中、友達のまりちゃんと本館1階の廊下を曲がった直後だった。



「………ぃっ、ひ」

「……ど、どうしたの?ユメちゃん?」

「……ん、ぅ、あ…」



突然ギリギリと腹部を襲った激痛に耐え切れずに廊下に膝を着いた、臓器が圧縮され、だけどパンパンに詰まった異物がその圧縮をさせまいと食い止めている。

喩えるならば生理痛に近い痛さだ、生理痛は臓器を雑巾のように絞られる痛みだけれどこっちはぎゅうぎゅうと揉み込んでくる痛さで、わたしはあまりの痛みにお腹を抱え込んだままその場で声にならない悲鳴を小さく上げていた。

やばい、これはやばい、思考の大半がやばいという言葉一色に染まっていく。

だけど悲しいかな我慢し過ぎた所為で便意はなく、ただ腹部が苦しいほどに痛いというそれだけのこと。

だからトイレに駆け込むわけにも行かず、かと言って大丈夫だと言える痛みでもなく、わたしは肩を揺すりながら大丈夫?と声を掛けるまりちゃんの言葉を無視してその場で歯を食い縛り続けた。

でも歯を食い縛ったところで痛みが引くわけもなかった、我慢しすぎた所為だろうか、行き場を無くした奴らが一致団結してわたしの身体に総攻撃を仕掛けてきている、そんな感覚がする。

今ならお腹が痛いと言って保健室に行くフリをしてひっそりとトイレに篭れるかもしれないというのに、こんなときに限って便意じゃなくて腹痛だけ。

わたしの身体は何でこんなに空気が読めないのかと自分を戒めてみるけれど何の効果はなく、仕方なく廊下の壁に沿って蹲るしかなかった。

そうこうしている内に耳に届いたのは予鈴、鳴り終ると同時に後ろからどうした?という声が聞こえて、ユメちゃんがお腹痛いってと説明してくれるまりちゃんの声を聞きながら、わたしは声を掛けてくれた人物の方に向かって恐る恐る振り向いた。

クラスの男子だ、席も遠いしあんまり喋ったことなかったから声で解らなかったけれど、確かサッカー部かなんかの。

きっと見上げたわたしの表情は酷い顔をしていたはずだ、目がかち合った瞬間、眉を顰められて大丈夫かと問われたそれだけで自分の顔が容易に想像ついた。

でもそんな風に心配してもらったところで大丈夫なんて言葉が出せる状態ではなく、わたしは深く溜息を吐くと同時に視線を元に戻して。

再びぎりりと臓器を圧迫し始めた痛みに歯を食い縛ると同時、わたしの肩からまりちゃんの体温が消えた気がした。

それからポンと背中を叩かれたのは体温が消えたすぐ後、まりちゃんが少し離れ、その影が消えきらないうちに乱暴な衣擦れの音が聞こえる。

ふいと視線を横に向ければわたしと目線を合わせるようにしゃがみ込んだクラスメイトが居て、とりあえず保健室に行こうかと零しながらわたしの肩に腕を回した瞬間だった。



「おい、誰の妹に何してやがる」

「………お、に…」



ドスの効いた声が耳に届いて、同時に背筋が強張り、だけどすぐにホッと気持ちが和らんだのは気のせいじゃない。

あまりの突然の声に驚いたのか、クラスメイトは思わずわたしの肩から腕を離して、離れた体温を確認しながらわたしも徐に振り向いた。

そこにはスーツの上に白衣を着て、少しだらしなさ気に前を開けっ放しにし、連絡簿らしき黒いファイルで肩を叩きながらわたしとクラスメイトを見下ろしているお兄ちゃんが居た。

わたしのお兄ちゃんはわたしの在籍している高校の卒業生で、現保健医の先生、だからここに居てもおかしいことは何ひとつとしてないのだけど問題は、



「ちが……お兄…原田先生、お腹痛……」

「…………またか、」



極度のシスコンであることだ、各言うわたしもブラコンだから何も言えないのだけど。

クラスメイトと言えど男であることには変わりない、見ず知らずの男が自分の目の前で妹の肩に手を回している、その事実がお兄ちゃんの表情を酷く曇らせている。

以前体育の時間ハードルに躓いて転んだときに脚も挫くというオマケが付いて、仕方なく永倉先生におんぶして保健室まで運んで行って貰ったことがある、そのときのお兄ちゃんの表情と言ったらなかった。

永倉先生が、お前、ユメちゃんが可愛いのは解るけどよ、お前にそんな目ェギラ付かせられてちゃこの子彼氏なんて出来ねーぞ、なんて言ったっけ。

別に迷惑じゃない、お兄ちゃんは大好きだからあの大きな手で優しい眼をしながら頭を撫でて貰うのが好きだから全然迷惑なんてない。

だけどこういうときに困るのは確かだ、お腹が痛くて痛くて仕方がないのに、出来れば声を張り上げたくなんてないのにこうして真っ先に説明を入れなきゃいけない。

その事実がちょっぴり苦痛で、だけどお腹痛いと訴えた瞬間、わたしのお腹事情を解ってくれているお兄ちゃんは小さく溜息を吐くと同時にその曇らせた空気を蹴散らした。

まるで補足するかのようにまりちゃんが、動けないから彼が保健室まで連れて行くって言ってたところなんですよ、なんて付け足してくれて、今はそれが何よりも有難い。

状況を把握したと言わんばかりに小さくひとつ頷いて、それからお兄ちゃんがわたしの許に近づいたのは当たり前の行動で。



「解った、ユメは俺が連れて行く…っても戻るだけだしな。お前らは授業に行っていいぞ、次は誰だ?」

「山南先生です」

「あー…実験室か…解った、休ませるからって伝えてくれ。あー…それからお前、」



悪かったな、そう言いながらクラスメイトに一言零すと、お兄ちゃんはファイルをわたしに手渡し、それから動けないと解っているからなのかひょいとわたしを持ち上げて、そのまま振り返ることもなく保健室へと脚を運んだ。

扉を開け、ベッドに寝かせて貰うけれどあまりの痛みに身体を丸め込んでしまうのはわたしの悪い癖。

身体を丸めたって痛いの治んねーぞ、そう言われるのはいつものことで、だけど痛みの所為か真っ直ぐ身体を寝かせられない。



「また我慢したのか?」

「…………だって学校じゃ出来ないもん」

「自分で体調悪くしてどうすんだ、新八なんかお前、朝に2回、さっきもう1回篭ってたぞ」

「永倉先生と一緒にしないでよ…」



ぷぅ、と頬を膨らませればそりゃそうだけどよ、なんてけらけらと笑う。

そんなお兄ちゃんの声と笑顔、この時間はいつ便意が来ても構わないという雰囲気がわたしの気分を軽くさせる。

だけど腹痛までは治まってくれなくて、そんなわたしに気づいたのか、お兄ちゃんはファイルを机に戻すとわたしの枕元に再び戻ってきて腰を下ろした。

じぃっと見つめられる視線が擽ったい、風邪でも引いて熱があるならまだしも病状は便通を我慢した所為からの腹痛、ギャグにしかならない。

だけど囁くような声で擦ってやろうか?なんて言うものだから、思わずその声に頷いてしまった。

きっと下腹がぽっこりとしているだろう、そんな腹を擦らせるなんて幾らお兄ちゃんでも頂けないのだけど優しさに甘えたくなるのは、わたしに向けられる笑顔が誰に向けるよりも優しいからだ。

ほれ、なんて言いながら丸まったわたしの身体を仰向けに寝かせるお兄ちゃん、それから苦しくないようにと折ったスカートの腰許を元に戻されて。

そうしてゆっくりと這わされた手が優しくて恥ずかしいのだけど気持ちがいいと、わたしは薄っすらと目を細めた。

決して押すわけでもなくマッサージしてくれるわけでもない、薬に頼るなと言うお兄ちゃんは薬も出してくれなくて、だけどこの手はいつだって優しくわたしを撫でてくれた。

ハンドヒーリングというやつだろうか、ただ擦られる、それだけで治るわけなんてないのに、温かみを感じる頃には痛みも少しずつ和らいでいく。

痛みが和らぐと同時にわたしに襲い掛かるのは便意じゃなくて眠気だ、これも昔からそうだった、お兄ちゃんに優しく撫でられると安心するのか眠くなるんだ。

誰よりも格好よくて誰よりも優しくて、わたしがピンチのときにはお母さんよりもお父さんよりも頼りになるお兄ちゃん。

そういえば永倉先生言ってたね、彼氏出来ねーぞ、なんて。

でもそれはお兄ちゃんが変な虫が付かないようにと眼を見張らせている所為なんかじゃない、お兄ちゃんが格好良すぎてお兄ちゃん以上の人が居ないだけなんだよ。

だけど言ってあげない、お兄ちゃんが調子に乗ると困るから。

わたしがこの学校に入学した当初、一応学校ではお兄ちゃんて呼ぶなよ、俺もお前を妹扱いしないようにする、なんて言ってたくせに今ではこれだ。

お兄ちゃんはわたしを甘やかしすぎていると思う、だけどそんなお兄ちゃんに甘えているのはわたしで、どっちもどっちだな、なんて思ったらついうっかり笑ってしまった。



「………何笑ってんだ」

「んーん……お兄ちゃんの所為でお腹痛いの治ってきちゃったと思って」

「教室戻ってもいいが、どうする?」

「……眠くなっちゃった。それに、」



お兄ちゃんの手がなくなった途端に痛くなる気がして、そうゆっくりと息を吐き出しながら答えれば、お兄ちゃんが小さく笑った気がした。










やさしいゆめをみればいいよ










「おやすみ、ユメ」



サボらせんのは今日だけだぞ、そう言いながら身体に布団を掛けて髪を数度撫でる手。

その手が優しいから、わたしが見る夢はいつだって優しいの。

猛烈な便意と共に起きるのは数十分後、それまで気持ち良くおやすみなさい。






end
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