でも返って来たのはいつも零される小言ではなくて、



「……夕飯は?」

「………え?」

「夕食は済ませたのか?」

「………うん」

「…そうか、ならいい。風呂は沸いている、することがないのなら先に入れ」

「……………は、はじめ?」



ふい、と、まるで無理やり背けられたようにわたしを視界から消すと、そのまま振り向くこともせずにリビングへと姿を消すはじめ。

いつもだったら心配しているというのにあんたはと、姉をあんた呼ばわりして頭ごなしにこっ酷く叱り付けるというのにまるで興味なんかないと言わんばかりに背を向けるはじめ。

そんないつもと全く違う行動に思わず声を掛けたのにそれも無視されて、わたしは慌てて踵を返したはじめの背中を追ってリビングへと脚を踏み入れた。

と、同時に香ったのは今夜の夕食だろうか、この匂いは間違えるはずがない、ビーフストロガノフ。

前にわたしが食べたいと騒いで無理やりはじめに作らせたとき、凄く美味しかったからまた食べたいって駄々を捏ねたあれだ。

そんな匂いに再び脚を止めてしまったけれどと、リビングを通り越してキッチンへと向かったはじめの姿を眼で追えば、目的の鍋を温め直すように火を点す姿を眼が捉えて。

あれ?もしかして、もしかして、はじめ、



「………ご飯、食べてないの?」

「……今から食べる」

「…………待ってた?」

「……帰ってくると思っただけだ」



問いに返って来るのは短い肯定の言葉、だけどそれだけで解るはじめの気持ちが痛いと、わたしは思わず奥歯をきつく噛み締めた。

先週もわたしは遅くなった、だけど立て続けに2週遅くなったことは今までなくて、でも今週も遅くなったのには理由がある。

勿論、はじめにはその理由は全く関係ないし、ただ単に友人の内のひとりが明後日誕生日だからという理由に過ぎない。

日曜日はやっぱりみんな用事があって、彼女本人も彼氏と予定があるとなれば今日お祝いするという自然の成り行きだ。

だからはじめだって今週も遅くなるとはきっと予想していなかったんだと、そう解る。

一月に2回は遅くなると言えど、はじめに睨まれるのは怖いもので2週間はじっと大人しくしていたのが普段のスタンスだった。

今日お祝いしようとなったのも前々から決まっていたわけじゃなく、お昼ご飯のときの話の流れからだったわけで、だからわたしも予想だにしていなかったといえばそうなるのだ。

でもはじめにしてみればそんなことは知ったことではないし、それに我が家は母が牛肉が強いと言って余り食卓に出て来ない。

だからこれを作るのははじめしかいなくて、いつもなら帰ってくるはずのわたしの帰りを待ってお腹が空いているだろうにご飯を作って待っててくれてたんだなんて、そう思えば余計に言い訳の言葉なんて出てこなかった。



「……はじめ、ごめん……」

「………別に構わん」

「で、でも、」

「少し意固地になっていた…そうだな、あんたが何時に帰ろうが俺の口出しすることではなかったな」



そう言いながらもわたしの方はちらりとも見ない、怒っている、口では自分の関することではなかったと言いながら怒っている。

もしも、心からそう思っていたならはじめは、わたしを見遣りながら眉を顰めてそれでも柔らかく笑うのに。

それがないということは、その言葉は心からの言葉ではないということで、はじめにそんな科白を吐かせてまでわたしは何をしているんだろう。

いつしか母が言ってたっけ、わたしのことを本当の意味でお姉ちゃんって呼んでくれるのは世界中何処を探してもはじめしか居ないんだって。

だから喧嘩しないで仲良くしなきゃダメだって、可愛がってあげなきゃダメだって、喩え生き別れるようなことがあっても兄弟は変わらなくて、だから何かあったら真っ先に心配してあげなさいって。

口癖のように言っていたあの言葉にいつだって先に頷いていたのははじめの方、この世ではじめのお姉ちゃんはユメしか居ない、はじめは男の子なんだからお姉ちゃんを護ってあげるんだよなんて、凄く真剣に頷いていたのを思い出す。

忘れていたのはわたしの方で、思いやりが足りなかったのもわたしの方だ。

親からしてみれば子供は幾つになっても子供であるように、はじめにとってもわたしは幾つになっても頼りなさげな姉であり、そんなわたしを心配するのがはじめなんだから、



「はじめ、」



子供じゃないんだからとか、そういうのは関係ないんだ。

はじめがわたしを心配するのにそういうの、関係ないことだったんだと、足許にバッグを下ろすと同時、わたしは入ると煩だろうなんて怪訝して脚を踏み入れなかったキッチンの中へと歩を進めると、皿を手に取ろうとしたはじめの服の袖を掴んだ。



「ごめん……心配掛けないように気をつける…」

「……………」

「だから……ん、と、怒んないで?」

「……姉の科白ではないな」

「………そういう、可愛くないこと言う!」

「こんなことを言わせているのはあんただろう、姉さん」



言いながら、ふっと笑みを浮かべたはじめの顔にホッとしたのは事実、その顔が堪らなく安心するのはやっぱりわたしがはじめを頼りにしているからだろうか。

今度から遅くなるのならば一言言えと、まだ少しだけ納得がいかない表情を浮かべながら、それでも譲歩してやると言わんばかりの科白に内心、素直じゃないな、なんて思いながらわたしも一回り小さい皿を手に取った。

それからちょっと食べるとご飯を盛るはじめに皿を出せば、太るぞなんて遠慮の欠片もない言葉が返って来て。

わたしのために作ってくれたんでしょ、と零せば別に隠すことなく肯定の言葉を零す可愛い弟。

過保護でもいい、いつまでもずっと可愛いままで居てくれますようにと、なんか少し多すぎる気がする盛られたご飯を見遣りながら口許を緩ませて願った。

わたしもはじめもいつか、何処かの誰かと家庭を持ってこんな風に当たり前に過ごして来ていた日々を無くす日がやってくる。

わたしははじめじゃない誰かに護られて、はじめはわたしじゃない誰かを護る日が、必然と訪れるのだと思う。

兄弟水入らずで過ごせるその日まできっとあとほんの僅か、長い人生に置いてのほんの4分の1の短い時間、あとどれだけはじめに本気で心配して貰えるのだろう。

その日まであと少し、あともう少しだけ、君が一番わたしに近い人。










たまゆら






end
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