初めて通された3階の給湯室の造りは他と大して変わらない、だけど経理の給湯室よりも若干広いかなと一周見渡すと同時。

背後で原田さんがさっきの人に、こっちだ馬鹿、とからかうような声が聞こえ、わたしは肩を揺らして小さく笑い声を上げた。

正直な話、どうして経理に配属されてしまったのだろうと残念でならなかった去年の4月。

隔離されているような部署であるそこは女の園で、特に柵はないけれど一風変わった面白いことも何もなかった。

だけど2年目で部署異動があることはないと言われていたし、期待するのならば3年目。

何の変哲もない日常だけど不況なんて騒がれている今、条件のいい会社を辞めるほど先が見えないわけでもない所為でこうして此処に居るけれど、せめて総務のどこかであればそれも少し違ったんじゃないかななんて、人の所為もいいところだろうか。

だけどそう思うのとは正反対に経理で良かったかもしれないと思う自分も此処に居た、それは原田さんと話をするといつも思うんだ。

どうしてそう思うのか、気付いているような気付いていないような、気付きたくないような気付きたいような、そんなもやもやとした気持ちが溢れるのだけど、その答えは明確にしない方がいい気がして、わたしはいつだっていろんな物を押し殺していた。



「それなぁ、そっちの赤い袋のを3つとこっちの箱を3つ……重いぞ、持てるか?」

「重くないですよ、大丈夫です」

「紙袋に入れてくか、持ちやすいだろ?」



わたしがお土産の袋に視線を落とし、はっきりしない心持でどこかふわふわと佇んでいると、原田さんは珈琲カップをテーブルの上に置いて紙袋を取り出した。

がさがさと詰めるお土産の箱にはおたべと書いてあって、何処に行ったのか一目瞭然なお土産じゃないかと自然に口角が上がってしまう。

一通り詰め終わればしゃがみ込んだまま、ほれ、なんて上目遣いで見遣って紙袋を渡すその仕草は反則物。

とくんと一瞬、大きく音を立てた心臓にいかんいかんと口唇を一文字に噤んでほんの少しだけ気を引き締め直してみたけれど、ダメだなぁ、全く崩れようのない端整な顔立ちがわたしの視覚をそこに釘付けてしまってどうしようもない。

不相応だと解っているからまだいい、最初から諦めているからまだいい。

だけど素直なわたしの心臓は大きく音を立てて身体を震えさせ、その紙袋を受け取るのも必死の作業になってしまって。

気持ち少し震えながら受け取った紙袋を抱え込むと、わたしは素早く踵を返すために体勢を整えた、だけどそれと同時、



「なぁ、」

「…………っ、」

「お前、顔色白過ぎねぇか?飯ちゃんと食ってんのか?」



血色悪ぃぞ、そんなことを言いながらゆっくりと立ち上がってわたしの頬を撫でる原田さんの手の甲。

冷やりと少しだけ冷たい指先が柔肉を押し潰さない程度にそこに触れて、気を引き締めたはずの心音が酷い音を奏でた。

気持ち一歩後ろに下がったのは嫌だったからじゃない、触れられている事実によろめいたからだ。

袖口からふわりと香るのは香水の匂いだろうか、それにしてはきつい匂いもせず鼻孔に優しく香る、だったらこれは原田さんの匂いだろうか、甘い匂いに眩暈がしそう。

思わず見開いてしまった眼、だけど視界は安定もせず揺れ動くばかりでしっかりと前を見据えられない。

声も出せずにその場で硬直している内、そんなことは慣れっこなのか、何でもないと言わんばかりの原田さんはゆっくりとわたしの頬から指を外し、それから何をするのかと思えば徐に真横にある冷蔵庫に手を掛けて静かにその扉を開け放った。

中から取り出したのは手のひら大の大きさのカップ、だけどさっきの衝撃が大きすぎてそれをまじまじと見つめることが出来ない。

そんな内心パニック状態のわたしの抱え込む袋の中に取り出した何かを入れ込むと、原田さんは言った。



「飯、食ってないんだろ?朝飯はちゃんと食っとけ」



飯の変わりにゃならねぇけどな、そう言いながらニィ、と歯を見せて笑う原田さんの笑顔が眩しすぎて口許を歪めると、わたしは徐に視線を紙袋の中に落とした。

中に入れられたのは朝食りんごヨーグルト、おたべの箱の上にポツンと乗せられたそれを見て、わたしは小さく声を漏らす。



「ヨ、ヨーグル、ト?」

「今朝、くじで当たったんだよ。そんな真っ白な顔してちゃ、心配になんだろ?」



確かにお腹は空いている、気を抜けば腹の虫が鳴りそうだけど、白いのは元からです、なんてこんな現状言えやしない。

言ったら折角の気遣いを無駄にしてしまう、そう思って片言になってしまいそうな震える口唇で生唾を飲み込むと、小さくありがとうございますと声を零した。

もしかしたら震えていたかもしれない、だけどそんな微妙な違い、流石に解るわけがないのか気にすることもないのか、原田さんはテーブルに置いた珈琲カップを掴むと一度口付けて、それからゆっくりと扉口まで脚を運んでいく。

そうしてもう一口、既に結構冷めてしまっているだろう珈琲を喉に流し入れると、ふっと視線をわたしに向けて、それから口角を上げてもう一度囁くように言った。



「御礼は今度弁当でも作って来て貰うかな、なぁ、」



言うが早いか一歩前に出るが早いか、後ろ手にじゃあなと手を翳してそのまま仕事に戻ってしまう原田さんの背中を見つめながら、わたしは願ってもいない急展開に心臓が持たないと、動いてくれそうもない脚に力を込めてその場に立ち尽くしていた。

面倒なことは嫌いだ、だけど面倒なことも愉しいと思えるのならば、そんなきっかけは欲しいと思って居た、だから、何かが恋なら苦しくてもいいかもしれないと、もう目の前には居ない骨張った背中を残像の中映しながら小さく肩を竦めた。




















緊張よりもトキメキの方が大きくなったら、もう戻ることなんて出来ないじゃない。

早速お弁当の中身を考えてしまっているわたしは、もうもやもやと出来ていた数分前には戻れないと、締め付ける胸の疼きを抑える為に紙袋を強く腕の中に抱いた。





end
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