午前11時、コンビニのアルバイトなんて仕事は大体1日のやることが概ね決まっている。

別に何処の会社だってバイトだってそうに決まっているだろうけれど、本当に毎日毎日同じことの繰り返し。

違うことと言えば新商品が入ってきたときに微量に上がるテンションくらいだ、それも慣れてしまえば感動なんて塵に等しく薄い。

最初こそはこぞって食べてみようかな、なんて気にもなっていたのだけどそんな気もなくなり、特に手が出ることがなくなったのが丁度4ヶ月目くらいのこと。

そんな特に刺激の欠片も見当たらない同じことの繰り返しを内心、馬鹿馬鹿しいなんて思いながらもわたしは今日もついさっき届いたばかりのパンを配列の通りに並べていた。

夜間の人から引継ぎをして廃棄を引き、レジ接客をしつつ品出しをしてFF商品を処理。

新聞やら雑誌やらいらないものは返品作業をしていればあっという間に時間は過ぎる、案外忙しくないように見えて慌しい。

納品用のトラックが着く頃には一息吐いてはいるけれど、無理なのは承知でもう少し早く来てくれれば昼時の混雑の対応が楽になるのになぁ、なんて思ったことは少なくなかった。

そんな風にいつも通りにおにぎりを並べ切りお弁当を出し終わる頃、ふと時計を見遣れば針が差しているのは11時15分。

そろそろかな、そう思いつつ後ろを振り向こうとしたと同時だった、聞き慣れたドアの開く軽薄な音と共にキィ、とゆっくり扉が開いて、



「いらっ…しゃいませ」

「……今日は一段とやる気がなさそうだな」



気持ち少しだけ肩を竦ませながらも姿勢良く、グレーのスーツをぴしっと着こなしたそのお客は爽快な足取りで真っ直ぐお弁当コーナーの目の前に居るわたしのところまで歩を進めると、一瞬で周りにひとりのお客も居ないことを悟ったのか大分手前でわたしに声を掛けた。

いつもならばこの時間は多くても3人は入れ替わり立ち替わりで居るはずだ、雑誌を立ち読みしたりちょっとした必要品を買ったり。

だけど徐に中腰状態だった身体を起こし辺りを見渡せばそんな人影はゼロ、まあこの人が小さく話し掛けて来ない辺りがそれを物語っているかと。

わたしは溜息にも似た吐息を吐き出すと同時、ぴたりとお弁当コーナーの、ううん、わたしの真ん前で脚を止めた彼を見遣りながら忙しく動かしていた手をゆっくりと止めた。



「やる気がないわけじゃないんだけど」

「そうか、そう見えたが」

「刺激はないよね」

「仕事などそんなものだ」



それを言っちゃおしまいだ、そんな風に彼が言った言葉に心の中で返事をすると、わたしは腰に手をあて小さく伸びをしてみた。

チラリといつもこの時間に店を訪れる彼に目を遣れば、いつもと同じようにきりっと出来る男臭をぷんぷん漂わせている見た目まんまのエリート会社員だ。

裏の十字路の交差点の直ぐ横にある、あの有名な井上物流の社員さんだ、一流企業だよ、一流企業。

360℃どんな角度から見ても格好いいわ、スーツは様になってるわ、なんかダダ漏れている色気は半端ないわ、高給取りだわでぶっちゃけ文句の付けようが無い。

そんな人とどうしてわたしみたいなしがないコンビニのアルバイトが喋っているかと言うと、それは遡ること丁度1ヶ月前、やっとわたしが此処に慣れ出した頃の話だ。

その日は丁度早番で上がる直前、高校時代の先輩である君菊先輩がこのコンビニの扉を開けたことが全ての始まりだった。

女子高だった我が校のマドンナでみんな憧れだった君菊先輩、その人の父親が井上物流の上役として働いていることは頭の片隅にはあったけれど完全に忘れていたわたしは、久しぶりに再会した先輩に酷く驚いた。

先輩とは同じ部活で一緒だったし、面倒見がとてもいいので凄く可愛がって貰った記憶しかない。

覚えていてくれたのは勿論嬉しかったけれど、それよりも高校時代よりももっと綺麗になっていて、流石だなぁなんて感動の方が大きくて。

そんな先輩は一言言ったのだ、今から会社の人とみんなで呑みに行くのだけど暇ならば一緒に行かないか、と。

いやいや、幾ら先輩でも冗談はやめてくれとどれほど思ったか、先輩は知らないんだ。

何故わたしみたいな安月給のコンビニアルバイターが一流企業のエリート達に囲まれて、どうせ微塵も解らないような話を聞きながら酒を呑まなきゃいけないというのだろうかと。

はっきり言ってお堅いのは嫌いである、自分にはそれ相応の場所というのがあり、それ相応の付き合いというものがある。

その容量を超えてしまえばどうなるかなんてそんなこと、考えなくてもすぐに解ることで。

そんな惨めで窮屈な思いをするのが目に見えて解るというのに自ら飛び込んでいくほどわたしは馬鹿ではないと、やんわりとお断りをしたはずだった。

そう、断ったはずだったの、一緒にその扉を開けて出るまでは。

何がどうなってそうなったのか知らないけれど外には備え付けの灰皿を囲んで煙草を吸っている男の人が3人居て、わたしと親しそうに話をしている君菊先輩を見て彼らは言った、その子も行くのかと。

いやいやいやいや、何でそうなる?何でそうなんの?おかしいでしょうよ、どうしてそうなったんだよ、ちょっとそこの赤毛のお兄さん。

だけどはっきりNOと言えない日本人代表のわたしはしっかりとした意思表示が出来ないまま、彼が放ったその言葉にその場で硬直してしまって動けなかった。

言うんだ、言うんだわたし!わたしはそんな堅苦しい呑み会になど行かんと!

でもわたしがそう思い顔を上げた頃には爽やかな笑顔を浮かべて豪快に笑う、栗毛の短髪の如何にも大雑把そうなお兄さんが、いいねぇ、可愛い女の子なら何人でも大歓迎だなんて抜かしやがった。

待て!待て待て待て待て!だからどうしてそうなった、誰が可愛いんだ、誰が、わたしか?お前の目は節穴か?こんなチビで頭にアホっぽいお団子乗ってる女の何処が可愛いと言うんだ!

そこで初めてこの状況が不味い方向に向かっていることを悟ったわたしは小さく声を零した、いや、と、遮るように。

遮ったはずだったの、だけどその声が小さかったと気付くにはほんの数秒遅かった。

わたしを興味無さそうに見遣ってから黙って煙草を吸い続けていた何とも知的そうで美形なお兄さん、彼がふんっと鼻で笑って、それから吐き出すように言葉を綴ったのだ。

いいんじゃねぇか?お前のダチなんだろ?ひとりくらい増えたって誰も何も言やしねぇよ。

いや、言えよ!そこは部外者連れ込むなって一言言えよ!何なんだよ、井上物流!貧乏人舐めんじゃねぇよ!高給取りが呑みに行くような店に行ってわたしの財布が耐えられるわけないだろ?

だけどそんな風に口端を引き攣らせたところで時既に遅し、この人が全ての決定権を持っていたのだろうか。

その言葉と同時に3人共火種の点いた煙草を灰皿に落とすと、よっしゃ!今日はとことん呑むぜ!なんて見知らぬはずのわたしの肩をばっしばっし叩いて、まるで連行されるかの如く有無を言わさず連れて行かれたのだ。

わたしは内心、ドキドキして仕方が無かった、いくら君菊先輩が居るとは言っても何処に連れて行かれるかも解らない、何人人が居るかも解らない状況で冷静で居られるほど大人じゃない。

解っているのは一流企業のエリートがそこに勢揃いしているということだ、無理無理、そんな重圧、耐えられない。

ちょっと呑んで酔って気持ち悪くなったふりして帰ろう、そうしよう。

そう心に決めてわたしはただ只管、鼻の下をでれっと伸ばしながら君菊先輩に話しかけている短髪栗毛のお兄さんの横を酷く居心地の悪い気持ちのまま歩いていた。

だけど、辿り着いた店はわたしが想像していた店とは180℃とは行かずとも120℃くらいは違っていた、その名も魚民。

は?何だと?魚民?魚民って全国何処にだってある安い居酒屋の代名詞じゃない、あれ?井上物流って一流企業…あれ?

わたしはどんな想像をしていたというのだろうか、一流企業にどんな妄想を駆け巡らせていたというのだろうか。

一流というからには入る店も着るスーツも靴も一流で、なんて勝手な妄想をして居たわたしはその現実を受け止められず、思わずポカンと口を開けたまま居酒屋の入り口で立ち往生をしてしまった。

でもそんなわたしなどお構いなし、短髪栗毛の彼、永倉さんと言った気がする、その人が今日は俺らの貸切だからなと言って背中をずいずい押して来たのをわたしは未だに忘れない。

グイグイと背中を押されて下足箱に辿り着けばそこに見えるのは大量の靴、靴、靴。

もうやだ、帰りたい、そう思ってもここまで来たら帰る術など何処にもなくて、わたしは君菊先輩の背後霊にでもなったつもりでひっそりと後ろに隠れその敷居を跨いだのだった。

自分がチビであることを良かったと思ったのはこれで何度目だろうか、きっと数えるほどもないと思う。

あまりにも多い人数を視界に入れないよう、本当にぴったりと君菊先輩の後ろにくっ付いてただ真っ直ぐ彼女の綺麗なお尻のラインだけをジッと見つめていると何だか変な気分になってきたりして。

思わずわたしは変態か、と自己ツッコミを入れながら顔を上げた先、目が合ったのが今目の前でお弁当を吟味している彼、斎藤さんだった。



「斎藤さんてパンとか買わないんだね」

「パンは腹持ちが悪いだろう?」

「……そうかなぁ?あんまり気にしないけど」

「…そういえばあんたは、あの時もあまり食べていなかったな」

「………ああ、あれは、」



ゆっくりと、だけど作業の手を止めるとすぐに混雑時はやってくる、その時までに品出しが終わってなければ苦労するのは自分だと解りきっているわたしは口と一緒に手も動かす。

真後ろを向きながらなんて失礼だろうと気持ち少し彼の方を向きながら、慣れた手付きでパンを並べて行くと同時。

言われて思い出したのはやっぱり1ヶ月前のあの呑み会、だけどその先の言葉は紡がなかった。

食べ物など口に出来るはずが無かったのだ、見渡す限りエリートなんだと思えば場違いな空気にひとり圧迫されて死に掛けていたんだから。

奥の席には上役だろうか、結構お年をめいた方も居て、だけどわたしが座り込んだ周りにいたのはみんな若い人たちばかりだった。

それも右を向いても左を向いてもイケメンパラダイス、何この会社、まるで夢のようじゃないかと生唾を呑み込んだあの感覚も忘れられない。

なのにどうしてああなったのか、気まずい雰囲気のまま、君菊先輩と傍に居た女の子二人とだけ少し話して1時間ほど。

そろそろお暇したいと残り少ない梅酒のグラスを傾けたと同時だった、よっ!左之、待ってました!その声が聞こえたのは。

上半身を脱いだ赤毛のお兄さんが上役に一礼すると一段高い壇上の上に一人立ち、何をするかと思えば突然腹芸を遣り出したのだ。

思わずぶはっ、と噴出してしまったのは仕方が無い、だってまさか一流企業でこんな下品な腹芸を見せられるとは微塵も思ってなかったんだもの。

目ぇ開いてよぉく拝みやがれ!この腹はなぁ、ただの腹じゃねぇ!急カーブのガードレールの味を知ってるんだぜ!言った瞬間、全員大爆笑である。

は?ガードレール?それって何の話?そんな表情丸出しでキョロキョロと目を泳がせていたら、丁度トイレから帰って来たのだろう、芸の最中に前を横切るのも忍びないと思ったのか、静かにわたしの横に腰を下ろした斎藤さんがぽつりと教えてくれた。

大学時代にツーリングしている最中に事故に巻き込まれ、そのままガードレールに衝突して腹に刺さったのだと。

わたしは笑えなかった、そしてその事故を知っているのだろうか、彼もまたやれやれと言った雰囲気で微塵も笑ってなどいなかった。

だけどそのお陰で少しだけ圧し掛かる圧迫感がなくなったとも言えるかもしれない、一流企業であろうと所詮彼らも人間なのだと。

一流企業のエリートだと、間引いていたのはわたしの方だったのだと。

先に歩み寄ってくれた斎藤さんがずっとそのまま隣に居たこともまた、全然知らないだろうわたしが此処に居ても何となくいいのかなと、そんな風に肩の力を抜くことが出来たのだ。

結局、その場から一度も動かなかったわたしは斎藤さんと永倉さんとしかまともには話していなかったし、誰かと連絡先を交換することもなかった、のだけど。

それから1週間しない頃だっただろうか、彼がこのコンビニに顔を出すようになったのは。

何でもずっと使っていた交差点のところにあったコンビニが改装中のため、うちのコンビニまで脚を運んだそうなのだけど、正直驚いた。

だってちょっといいお弁当屋さんも近くにあるし、知らないけれど充実した社食だって井上物流ともなれば社内にあってもおかしくないだろう。

いい給料を貰っているはずなのに、毎日毎日コンビニ弁当って、この人はいいのだろうかと内心本当に小首を傾げている。

だけどそれを本人に聞ける勇気などわたしにはなく、いつだってほんの5分程度しかいないこの時間を不思議に思っていたのだ。





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