「駄目よ、早く逃げなさい!」

「此処で逃げるようなら最初から手出しはしていない、裏から回れるのだろう?急ぎ故先に団子を、」

「だ、団子は後で試衛館に届けるから、だから逃げ、」

「逃げん、奴は俺が始末する」

「始末って!」

「早く裏から回れ、」



言いながらわたしの肩に手を掛け、それからぐいっと裏口目掛けて押し出されるのと小汚い罵声を飛ばしながらごろつきが踏み込んで彼に突進したのはほぼ同時だった。

わたしは強く押された衝撃に少しよろめいて躓き、倒れこまないようにと店の柱に寄り掛かるとそのまま振り向いて。

だけど振り向いた頃には、呻き声を上げたごろつきが地面に倒れこむ瞬間しか映らなかった。

何が起こったのか解らない、だけどごろつきは呻き声と共に大袈裟に倒れこんだまま微塵も動かなくなって、だけど刃には血筋ひとつ付いていない。

混乱にただ呆然と目の前の情景が信じられないと口を開けていると、彼は静かに慣れた綺麗な動作で刀を鞘に納め、それから静かに裾を手で払い除けた。

このくらいのこと何でもない、そう言い出しそうな彼の表情は先ほどから微塵も代わり映えが無い。

彼の足許には彼を取り囲むように大柄な三人の男が転がっていて、だけどそんな男達を気にする素振りもなく、彼は静かに歩を進めて未だ呆然としているわたしの目の前に立ち尽くした。



「一応訊いておく、怪我は?」

「……な、ないけど」

「だろうな、これでされたのでは困る」



すっと手を差し伸べられたその手は身体に似つかわしくないほど大きく、そしてとても綺麗な指先をしていた。

その手に吸い寄せられるよう静かに手のひらを重ねれば、そのままきゅっと握られわたしの身体を起こしてくれる。

どうしてこうなったのか、どうして彼は割り入ってくれたのか、理由を訊きたいのだけれど声が出なくて。

そんなわたしなど構うものかといった雰囲気を醸し出す彼は、小さな声で再び呟いた、団子を十二本と萩を六つ、と。

あまりにも淡々と、ついさきほどのことなどまるで何もなかったと言わんばかりのそれに思わず毒気を抜かれてしまったわたしは、小さい笑みを浮かべると同時に踵を返して菓子を包むしかなかった。

萩を六つと言わず団子と同じだけ、嵩張るけれど重みなど言うほどではないそれを手に持って彼に手渡せば、包みを支えるために指先が触れ合い心音が高鳴る。

わたしよりもほんの少しだけ若いその顔は受け取りづらいと眉を顰め、そんな顔が何処かまだ幼さを残すと、ひとり笑ったことは胸に秘めた方がいいだろうか。

少しだけあなたのことが知りたい、だけど急ぎだと言っていた為これ以上長居をさせるのは迷惑だと。

わたしは後日改めて試衛館に顔を出そうと、するりと指先から体温が消えると同時に小さく頷いた、それと同時、



「ごろつきに絡まれているのだろう?」

「…………」

「土方さんに頼まれた、此処の菓子にはいつも世話になっている。うちで出来ることがあるのなら用心棒でも何でもしよう」



表情を変えず、特にわたしを見ることもなく包みに視線を落としたまま呟くように言ったその声。

それからすぐに思い出したのは先月、ごろつきが去ると同時につねさんが入れ代わるよう顔を出したことだ。

もしかしたらつねさんが勇さんに言ってくださったのかも知れない、そう理解すると逆に申し訳なくなって、だけどそのお心遣いが嬉しいとわたしは自然に口許を緩めた。

兄が居ない店にひとり、女手ひとつで守り抜くには酷く辛いものもある。

それが相手が性質の悪いごろつきとなれば虚栄を貼ってでも気を強く持たなければやっていけないし。

だけど近場に彼のような人が居てくれると思うとそれだけで心に掛かる曇りは晴れると、わたしは小さく声を上げて笑った。

何故笑うことがある、なんて溜息と共に小さく吐き出された言葉にはどんな意味が隠されているのだろうか、わたしはその意味を知らない。



「あなた、お名前は?」

「…斎藤一、用心棒の件は今、俺に一任されている」

「そう…じゃあ、お言葉に甘えてまた何かあったらお願いします」

「承知した、」



言いながら一歩身体を引いて、それから何かを言おうと口を開いたのだけど同時、甲高いお役人の笛の音が聞こえて彼はぴくんと眼を見開いた。

誰かが騒ぎを通報したのだろう、何も役に立たないくせにこういうときだけは早いのだから困ったものだとわたしも小さく溜息を吐いて。

だけどそんなわたしよりも今はお役人に捕まるのは不味いといったところなのだろうか。

彼は素早い身のこなしで踵を返し足早に戸口へと向かうと、くるりと一瞬だけ振り向いて、それからわたしに届くように大きめの声を出して言った。



「あんたは俺が護る」

「……あ、」

「今日のところは、御免」



言うが早いか地面を蹴るが早いか、足許に転がっている未だ起き上がる気配のないごろつきを避けるとそのまま、まるで身軽な盗人のように溢れ返った人込みに姿を消した。

盗人なんて言ったら助けて貰ったのに申し訳ないけれど、真っ黒な着流しに青みの掛かった黒い長い髪、それにあの身のこなしはそう見えても仕方がないと。

わたしは転がるごろつきを見て、事情を説明しろとざわめくお役人を無視してその場で笑みを零した。











「そういえば、あの人……お勘定払ってないわ」



思い出したのはそれから四半刻もしない頃だっただろうか、助けて貰ったのだから別に勘定などどうでもいいのだけど、それでも。

やっぱり盗人のようだと思い出したように笑い出すわたしは明日からもうまくやっていけるのだろうと、あの蒼い眼をこの眼に焼き付けて静かに瞼を閉じた。





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