竹箒を片手に持っていたわたしの指先に突然伸ばされたその体温は、初めて感じるそれ。

緩く握っていた柄ごと指先を包むように手のひらで覆われた、ただそれだけのことにわたしは自分でも過剰過ぎると解るほど反応してしまい、声にならぬ音を漏らした。

酷く反応してしまった指先は、まるで拒むかのように斎藤さんの手のひらを弾いてしまって、だけど彼にとっては微弱な力であったのか、それとも取るに足らない反応であったのか。

そこまで考え馳せられるほど冷静ではないわたしの指先を包み込んだまま、静かにきゅっと労わるように力を込めた。

後で山崎に薬を頼んでおこう、そう告げる声はさっきと変わらぬ大きさ、なのにわたしの耳には些か小さく聞こえる。

何故ならば今、破裂しそうなほど強く脈打つ自分の心臓から動脈が煩くて周りの音が何も聞こえなくなっているからだ。

八木邸の庭から微かに聞こえていた子供の声など耳に入らない、せせらぐ風の音も揺れる木々の音も何もかも聞こえない。

ただ震えてしまいそうな指先が、身体が、暖めてくれているはずなのに自分の指先よりも遥かに冷たい斎藤さんの手のひらが恋しいと、沸騰しそうな気持ちがどうにもならず声も出なかった。

待ち望んでいた、柄に嫉妬するほど待ち望んでいたはずのその体温がわたしに触れている。

制止させる為に彼が乗せる沖田さんの肩にさえ嫉妬し、首を竦め口唇を一文字に噤んで視線を逸らしさえもしていたそれが今わたしに触れている。

触れているというのに微動だに出来なくて、わたしは視線を泳がせ続けることしか出来ず、その場で硬直してしまっていた。

頭の中ではお気遣いありがとうございますと、その出すべき言葉が浮かび上がっている。

だけど今言いたいのは、今したいのはそんなことではなくて、わたしは思うと同時に耐え切れなくなり、一歩自らその壁を壊すように脚を踏み込んだ。

それからゆるりと倒れるように、静かに前にのめると目の前のその角張った肩に額を寄せ、凭れ掛かるように擦り寄せた。



「………………ユメ」



息が出来ない、まるで呼吸をすることを忘れてしまったように息が出来ない。

片手はお互いに竹箒の柄を軸に握り合ったまま、だけど斎藤さんも離す気配がなく、いや、離せないというところなのだろうか。

まさかわたしがこんなことをすると思ってはいなかった、そんな気配を隠すことなく肩に凭れ掛からせたまま微動だにしない。

わたしだってするつもりはなかった、こんな大胆なことするつもりなどなかったし、自らこんなことをしようなど恐れ多いことは考えてもいなかった。

恣意的にだ、耐え切れず逸る気持ちを、触れてくれたことが嬉しくてどうしていいか解らなくてもっと触れたくて、思うと同時に身体が傾いてしまっただけ。

やってしまったことはどうにも出来ない、後戻りなど出来ないし、だからと言って今すぐ離れて頭を下げることも出来ない。

度胸も無いというのに何故こんなことをしてしまったのか、自分自身理解が出来ない。

だからこそ頭を離すことも、上げることも、声を出すことも、何ひとつとして出来ず、ただこうして斎藤さんの真っ白な襟巻きに額をつけて眼を泳がせている。

どうしよう、どうしようどうしよう、それしか頭に浮かばない。



「……ユメ、」



次の瞬間、呼ばれた声は酷く大きく聞こえた、当たり前だ、耳許に斎藤さんの口唇があるのだから。

初めて近づく隙間のない距離、それは斎藤さんが口を開く微かな音さえも拾って今度はさっきとまるで真逆。

吐き出す吐息も風のせせらぐ音も鮮明に拾いすぎて耳が痛くなるほどだ、それでもわたしは呼ばれた名前に心音を高鳴らせるだけで言葉を零すことが出来なかった。

声が出ない、だって呼吸が止まってしまっているのだから、その割には全く苦しくはなく、だけど胸は痛いと身体が叫んでいる。

止めてしまった呼吸の所為か、気付けば少しずつ震え出す竹箒を掴んでいる左腕。

呼吸をしなければいけない、だけどそれよりも先にこの寄り掛かってしまった身体をどうにかしなければいけない。

だけどどうすればいいのか解らない、そんな答えの出ない迷宮に迷い込んで限界を迎えようとしたとき。

するりと指先を包んでいた斎藤さんの体温が外れ、それからゆっくりとわたしの身体に腕が這わせられた。

力の無くなった腕で支えているだけの竹箒はそんな斎藤さんの腕に引かれて手が離れ、するりとわたしの手中から柄が落ちる。

ぎゅうっとその両の腕に包まれると同時にもっとと引かれた身体は、力を無くしたまま一歩、二歩彼に歩み寄って。

からん、と甲高い音が耳に響くと同時、わたしはやっと我に返ったように忘れてしまっていた呼吸を思い出し息を吸った。

鼻と口、両方で一気に吸えば目の前の襟巻きから嗅いだことのない人の匂いがする。

それが斎藤さんの匂いであるというのはすぐに理解が出来て、だけど同時に今わたしは斎藤さんの腕の中に居るのだということも理解して目の前が酷く揺らいだ。



「さ、いとうさ…っ」



小さな小さな声が出た、だけどそんなことよりも胸がいっぱいで、この胸の中に充満していく何かが心地良くてわたしは眼を細めることしか出来ない。



「………すまん……出来心だ…」



耳許で聞こえる声は震えているように聞こえた、わたしをぎゅうっと抱き締めるその腕も震えているように感じた。

出来心だと告げたまま、すぐに腕の力を緩めた彼は今すぐにでも離れてしまいそうで、だけどまだそれは嫌だとわたしは縋るように隊服の裾を掴んで制止して。

そんな些細な気持ちに気付いてくれたのか、びくんと大きく身体を揺さぶり、動揺を隠せないと言わんばかりに耳許で何度も呼吸を繰り返す声が聞こえる。

だからわたしは小さく呟いた、小さく小さく、それが何なのか、この心の中に静かに、まるでなだらかな傾斜に水が這うように充満していくそれが何なのか解らずに呟いた。



「あ、安心、するんです……心臓が…痛いん、ですけど…あの、斎藤さん、の…」

「…………」

「……えと、駄目ですか…?」

「……………御意」



上擦ったようなそんな声を聞くのは初めてだった、だけどそんな斎藤さんの声も酷く愛おしいと。

再び身体に腕を回された感覚に、ぎゅうっと込められたもどかしい力加減に、もう心配することなど何ひとつとしてないと。

わたしは心の中にじわじわと満たされていくその感覚が、幸福感というものなのではと感じながら、静かに頬を擦り付けた。

眼を瞑れば夢か現実か解らなくなりそうだ、だけど開けていられるほど冷静ではいられない。

だから幸せに眼を細めれば、もっと深くあなたを感じたいと、閉じそうで閉じられない曖昧な瞼の距離で睫毛を震わせてしまう。











巡る春はまだ来ずとも、わたしの中には一足先に訪れを見せたようで、寒い日だからこそ寄り添う体温がよく映えると。

わたしは幸福に負けて静かに眼を閉じ、その身体に腕を回すのだった。





end
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