夕暮れ刻にもなれば、冷やかな風が容赦なく肌を突き刺し春はまだかと身を縮めさせる京の町。

悴む指先にはあ、と一息生温かい息を吐き付ければ、瞬時に温い温度が包み込むけれどそれも表面だけ。

ならばと何度吐き付けてみたとて芯まで到達することはなく、暖かさを感じれば感じるほど冷えた頃が余計に冷たく感じると、わたしは手先を暖めることを諦めた。

自分の身丈には些か合わない竹箒を持って戸口を掃き出せば、小さな屑と枯れ落ちた木の葉が枝先に絡まって普段よりも甲高い音が耳奥に響く。

わたしはそれを一箇所に集めるべく庭先から箒で集めていたのだけど、突然吹き付けた木枯らしが全てを呆気なく散らしてしまって小さく溜息を吐いた。

もっと早くやるべきだった、特に今日のように冷え込んだ日は日が暮れずとも寒さで動作がいつもよりも遅れ気味になる。

寒さに弱いと自ら解っているはずならばどうして昼間の仕事を早く終わらせておかなかったのか。

そう後悔したことろで現状が変わるはずもなく、わたしは舞い上がり散らかった屑葉を再び掻き集める為に歩を進めた。

今日は朝から冷え込んで日中もそう暖かくならなかった、太陽も雲に隠れ日差しは望めなかったし、この分では洗濯物も乾いてはいないだろう。

それもわたしが水の冷たさに耐えかね干すのが遅れたから悪いのだ、そう自分を戒めてみても乾かぬ衣類も散らばった屑葉も戻っては来ない。

だけど溜息を吐かなければ挫けてしまいそうだと、ぽつりとひとり呟いた。



「……早く春になればいいのに」



春になったとて、わたしの仕事をこなす速さはさして変わるものではない。

それでも悴んで身が締まるような思いをしなくてもいい分、随分楽だと肩を揺らした、と同時、



「随分、ゆるりとしているのだな」

「……斎藤、さん」

「もう日も暮れるが、そんなに今日の仕事は多忙だったか」



背後から微塵の気配もなく声を掛けられ、わたしは隠すこともなく身体を大きく震わせた。

振り返ると同時に零した名前は顔など見ずともあっているはずだ、何故ならば慕う人の声ほど愛しいものはないのだから、間違いようがない。

いえ、と小さく零しながら身体を反転させれば、隊服に身を包んだままの姿でわたしの許へと歩を進めて向かうその人が居る。

ほとんどの隊士が隊服着用時と脱着時に顔つきが変化するというのに斎藤さんはいつだって尖らせたまま、何ひとつとして変わらぬ気配をその身に纏わせている。

だけど手を伸ばせば触れられるほど近くまで来ると一瞬その気配が和らぐ気がして、わたしはいつだって歩み寄る彼の姿から眼が離せずに居た。

案の定、見えないとある境界線に脚を踏み入れたと同時、ほんの少しだけ目許が和らいだ気がして、わたしはそこで初めて知らずに張ってしまった肩の力を抜くのだ。



「多忙では、なかったんですけど…」



別に手を抜いていたわけでも投げ出そうとしていたわけでもない、ただ少しだけ気を抜いてしまって、だけどそんな拍子を見られてしまったことが後ろめたくほんの少し眼を逸らしてしまう。

まさか寒くて身体が動かないなどと言えるわけがない、斎藤さんは冷たい雨が突き刺す中でも雪が舞い降りる中でも隊を引き連れて市中を廻っている。

たかが手が悴んだほどで、木枯らしに散らかされたくらいで気を抜くなど、この人の前では言いたくもないとわたしはひとり猫を被った。

自分を偽るわけではないけれど、向けて頂いた好意が少しでも無くなるのは酷く怖いものだ。

いつからそうであったのかは哀しいかな覚えてなどいないけれど、こうして歩み寄ってくれる際に彼の纏う雰囲気が和らぐことを知ってからわたしは酷く臆病になった。

自分の言動ひとつでこれが無くなってしまうのではないか、いつしか向けられる視線が皆と変わらぬものになってしまうのではないか。

まっさらな状態のときは、これに気付かなかったときはこのような感情は何処にもなかったはずなのに、気付いてしまってからは酷く恐れるようになった。

たかが春にならないかと気を抜いただけ、そんなことで斎藤さんの視線が変わることなどないと解ってはいるつもりなのだけど、酷く怯えるのは触れて貰えぬからだろうか。

恋仲という眼に見えぬそれを周りに認知されてからどれくらい経っただろうか、凡そ半年は経つのではないだろうか。

非番でも休みなく仕事をしている斎藤さんとは庭先の掃除の際に少し話す程度であったり、偶に原田さんが気を利かせてお茶に誘ってくださり縁側の隣に座ったり。

あまりの接点のなさに土方さんが見兼ね、茶でも行って来いと屯所から追い出すようにしてくださったこともあったお陰か。

今では少し、こうして自らわたしの姿を見つけては話し掛けてくださるようになった。

だけどわたしに指一本すら触れぬこの微妙な距離はいつでも健在で、この手を伸ばせば届く距離から一歩も内側に踏み込んでは来ない。

わたしを軸にその距離を円で現せば、その描いた円の上に脚を乗せている形だ。

そこに踏み込むと同時に歩みを止め、それからほんのりとその表情を和らげるだけで終えてしまう。

わたしはそれが堪らなく苦しかった、だけどそれを自ら打ち壊せる度胸などなく、ただ和らいだ雰囲気に頬を染めて口角を上げるだけで精一杯だった。



「集めても風が舞い上げてしまうので」

「…一箇所に集める必要などないだろう?」

「いえ……沖田さんが」

「総司に何か言われたのか?」



斎藤さんが言うとおり一箇所に集める必要など何処にも無い、小まめに纏め拾えばいいのだ。

だけどわたしが一箇所に集めることに固執していたのは、そう、沖田さんに言われたから。



「枯葉が沢山落ちているので集めて、それで焚き火をと……」



それを言われたのは竹箒片手に外に出た頃だったから凡そ半刻ほど前のことだろうか。

庭先の広い屯所には風によって舞ってきた屑葉が沢山散らばる、故に風の強い日は小まめに纏め拾い上げなければ無謀なことくらい重々承知だった。

だけどそんな無謀なことを要求してくるのは沖田さんの十八番で、確か秋口にもそんなことがあった気がする。

あの時もそういえば斎藤さんが口を出してくれたはずだ、そう、



「……総司のそんな頼みは訊かなくて良い…後で俺から言っておく…」



あの時もあなたは同じ科白でわたしを庇ってくれた。

別に苛められていたわけではないのだけど、文句のひとつすらも零せないわたしの為に気付けばいつだってこうして口を挟んでくれて。

そんな優しさを貰い続けていたのに何を怯えることがあるのだろうかと何度も自問してみたけれど、この近づかない距離が、触れられない体温がもどかしいと、わたしはふいと眼を背けた。



「ありがとうございます…助かります…」

「…もう日も落ちる、あんたも早々に切り上げるべきだ」

「解りました。お声を掛けて頂き、ありがとうございます」



こう言葉を吐き出せばわたしの仕事の邪魔をしない彼はいつだってすぐに踵を返してしまう、いつだって、いつだってそうだった。

わたしの仕事の邪魔をしないという理由だけで踵を返すのならばそれは留める術が少しは思いつく、だけど斎藤さんの手許にある仕事はわたしのそれとは比べ物にならないほどのものなのだ。

それを知っているからこそ、わたしは口に出すことも叶わず、その脚を止める術も思いつかず、いつだって去り行くあなたの後姿を見遣って瞼を静かに閉じるしかない。

こんな生活を続けていていつかこの人はわたしに触れてくれる日が来るのだろうか、こんな口に出せない想いばかりを秘め続け、それを吐き出せる日は来るのだろうか。

隊服に身を包み、巡察に出掛けるその後姿だけをいつだって見遣っていた。

時折見遣りすぎて視線を感じたのか、ちらりと振り向かれかち合った視線に身体が凍り付いてしまったこともあった。

それでもどんなときも怪訝な表情ひとつせず、何事もなかったかのように去って行く姿が寂しいと感じる頃には酷く恋に落ちていて。

だからこそ、こうして正面を向き合って纏う牙を和らげてくれる日々が此処にあることは夢のようで感謝しなければならない。

わたしを見遣ってくれることなど一生ないと思っていたその眼が真っ直ぐにわたしを射抜いている、それは喜ばしいことなのに自分が邪ま過ぎて素直に視線を合わせられないなど辛過ぎる。

いつからこんなに欲深くなったのだろうか、斎藤さんが触れるその大切な愛刀の柄にすら嫉妬しそうなわたしが惨めで視線を流してしまう。

刀の柄になりたいなど馬鹿馬鹿しい、だけどそれほどまでにわたしはあなたを慕っていて、出来ることならば恥じらいなど捨て寵愛を戴けたらなど酷く邪まな気持ちを持っているのだ。

だけど目の前のこの人はわたしの心情などまるで興味すらもないという感じでいつだって呆気なく、後ろ髪を引くことすら許さないほど呆気なくわたしの前から去ってしまう。

それにわたしの心がいつまで耐えられるか解らないと、ほんの少しだけ口唇の内側を噛み締めた、だけど、



「…………」

「…………」



暫く視線を落とし続けても斎藤さんの脚が動くことはなかった、それどころかその場で立ち尽くしたまま動く気配も見えなくて。

おかしい、いつもだったら言うが早いか踵を返すが早いかだというのにどうしたのだろうかと、わたしは徐に視線を上げ彼を見遣ったと同時。



「……仕事に真面目に取り組む、それは良い心掛けだ。しかし、」

「………っ、」

「こんなに指先を赤切れさせては痛んで仕事どころではないだろう…」



一瞬の出来事だった、心臓が酷い音を立ててまるで眩暈がしたようにゆらりと身体が揺れた錯覚まで起こした。





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