4時限目が終わりを告げるチャイムが響く、それと同時にお昼ご飯の時間がやってくるのは必然で、わたしはいつものように軽く背凭れに背を預け小さく伸びをした。 ガヤガヤとすぐに騒がしくなる教室内では財布を持って購買部に一直線する子も居れば、お弁当持参して持ってくる子と様々で。 わたしは普段はお弁当組なのだけど、3月は店も忙しくお母さんがお弁当を作ってくれる暇がないため、今月いっぱいずっと購買部のお世話になっている。 いつも教室の端に集まってお弁当を食べる子というのは決まっていて、そんな仲間はみんなお弁当持参組。 だから最近恒例になってる、ちょっと行って来るという言葉を残してわたしはひとり財布片手に購買部へと脚を急がせた。 購買部への道のりは実は中々遠い、まずは教室のある西館2階から1階へと続く階段を降りて渡り廊下を抜け南館へと移動する。 西館は準備室などが1階全部を占領しているから2階からが教室となるのだけど南館は1階が3年の教室になっていて、こっちは所謂進学クラスがズラリと並んでいるのだ。 10組ある学年で進学クラスは1組から5組、勿論進学クラスではない7組のわたしは南館に来ることはほとんどなく、購買部に行くためだけに此処を通ると言っても過言ではなかった。 3年3組から1組まで続く教室を抜けた角を左に曲がって少し行けば、すぐ見えるのが購買部。 特に苦もなく歩を進めてきたのだけど、1組の教室の前を通り過ぎ、角を曲がろうとしたと視線を左に向けたまさにそのときだった、事件が起こったのは。 「ふぉっふっ!」 突然右手の肘の辺りを引っ掛けられ、そのままぐんっと何かにぴっぱられてわたしの身体は揺れ動いて。 何が起こったのかは解らない、だけど反射的に倒れないようにと脚を踏ん張り顔を上げればそこには、鬼の形相をした最近見慣れ出した人がわたしの腕を掴んでわたしを見下ろしていた。 my dear accomplice − 番外編 01/そんなある日のこと− 何でこうなったのでしょうか、購買部でパンを買い終えたはずのわたしは今、いつもの教室の友達の所にいるのではなく、生徒指導室にいる。 どうしてこうなったかと言えば、まあ別に話しても何ら長いわけでもなく簡単な理由でして、3年1組の鬼の風紀委員長さんに掴まってしまったというわけです。 うん、簡単なことだ、泣きたいくらい簡単なこと過ぎて涙で前が見えないや。 掴まった理由は開口一番に彼が発したどすの利いた言葉が全てを教えてくれました、スカート、とたった一言。 その一言だけでわたしの口唇の端は引き攣り、だけど返す言葉もないと苦く笑えば余計に彼の眉間の皺を増やさせただけだった。 そうしてとりあえずご飯をとパンを購入させて貰ったはいいけれど、そこから逃げることなど出来る筈もなく、わたしは渋々不機嫌そのものの彼の後を袋を振り回したい衝動をぐっと堪えて着いて来たのだ。 「スカートを折るなと言ったはずだ、何故解らん?」 「だーかーら、ごめんってばぁ!」 扉を開けてわたしを先に入れてくれる斎藤くんは紳士的だ、だけど扉を閉めた瞬間この科白、鬼だ、鬼以外の何者でもない顔をして彼はわたしを睨みつけていた。 仕方なく謝罪の言葉を叫びながら、スカートを折っている腰の折り目を戻したけれどその表情は直りそうもない。 戻したところでわたしのスカート丈が校則ギリギリアウトなのはもう斎藤くんも知っている事実で、だけどそれを見逃してもらう約束をしたのは2週間ほど前の話。 彼が土方先生に渡すケーキを作る手伝いというか指南をしたのがきっかけで、わたしは尤も縁のないだろう彼とこうして喋るようになった。 交換条件ではないけれど、わたしが最後の仕上げのナッペを内緒でやる代わりにスカート丈を見逃すという二人だけの内緒もある。 本来だったらその条件は呑まれなかっただろう、わたしだって斎藤くんが見逃すと言ってくれるとは思って居なかったからびっくりしたもので。 わたしはナッペをやっただけ、条件としてははっきり言って緩い。 何でも出来る斎藤くんのことだ、もしかしたら2時間くらい真剣に練習してこつを掴めば斎藤くんだったらまともに塗るくらいは可能だったかもしれない。 だからわたしは気になって、墓穴を掘ることになるかもしれないと承知の上で後日、どうして見逃してくれたのかと問うた。 そしたらひとつ溜息を吐き出しながら彼は言った、ナッペをやって貰っただけではないと。 残り半年の学校生活であること、スカートのお金も馬鹿にならないこと、もしかしたらまた頼みたいことがあるかもしれないから断るのも忍びないということ。 そう聞けば別に規則だけを守っているだけの頭でっかちな人って訳じゃないんだなぁ、なんて、彼の見方ががらりと変わったのだ。 そして言われた、実はあんたのスカート丈は1年の頃から気になっていた、と。 何それ、わたし斎藤くんに1年の頃から目を付けられていたの?そう思うと今までしょっ引かれなかったことの方が凄かったとわたしは目を丸くした。 だけど掴まらなかった理由は至極簡単だった、それはわたしが毎度毎度彼の姿を見かけるとトイレに一直線して逃げ捲っていたからだ。 進学クラスと普通科クラスが分けられているうちの学校の妙な特色の所為で校内では言うほど顔を合わせることもないし、正門と後門、駐輪場口と3箇所から登下校できる学校のため、正門に行かなければ彼と鉢合わせすることもなかった。 わたしはいつだって後門か駐輪場口から入っているために彼に鉢合わせすることは特になかったし、まあそっちも風紀委員は立っているけれど彼以外は正直別に怖くはない。 問題は委員長の斎藤くんと2年の南雲って子だ、それ以外は鞄で隠したりして平然と通り抜けることが出来る。 別に舐めているわけじゃないけれど、言葉に出してしまえばそういうことだ、だけどそれは皆そうだと思うの。 何処の学校も体育教師が怖かったりするように、うちの学校だって緩い先生も居れば厳しい先生も居るし、厳しい風紀委員さんもいるということだ。 わたしのように真面目でもなければ不良でもない、だけど制服くらい可愛く着たいというちゃらんぽらんな女子高生は、いかにそういう面倒事から逃げるかに最善を尽くしている。 つまるところ、彼は彼で声を掛けるタイミングを失っていたのだろうと、そんな風にわたしはひとり解釈をしたのだけど、その時にはっきりと言われたことがあった。 そう、それは見逃す代わりにあと半年、必ず大人しくしていろということだ。 「解っていないからスカートを折るのだろう?あんたは俺の気遣いを踏み躙る気か?」 「ちょ、待って。聞いて、話を聞いて」 「話を聞いて欲しいのは俺の方だ、こちらが最低限まで折れたのだ、それをあんたは……」 言いながら、目の前のテーブルの上に気持ち少し叩き付ける様にお弁当を置く斎藤くんは静かな口調の割にはかなりご立腹のようだった。 解っている、わたしが悪いことくらいは解っている、だけど理由くらい聞いて欲しいの。 この2週間、わたしはずっと大人しくスカートを折らないで……は、いなかった、ごめんなさい。 だけど教室の中だけだ、移動教室のときとかはちゃんと折ったそれを小まめに戻していたし、面倒なときはそのまま折らずに過ごしていたりもした。 勿論、学校を出たら平然と折っていたけれど、本当に今日は理由があったの。 そう、理由を聞いて貰おうと口を開いたのだけど、一方的に約束を破ったのだと勘違い、もとい思っている斎藤くんの耳は傾かない。 「約束したはずだ、大人しくしていると。何故それを破る?守れないのならばこの話は無効だ」 「だ、だから、違うの!今日は偶々、」 「俺は交わした約束を破られるのは嫌いだ」 キッ、と酷くきつくなった眼はきっぱりと言い放った言葉と同時にわたしを睨み付けて、そんな眼力にわたしの背筋は一瞬言いようのない何かを走らせた。 怖いという気持ち、それ以上に身体全体が怯える何かをわたしに向けられている、そんな気がして。 これは、この眼は冗談で言っているそれではないと、わたしのない頭で理解した頃には酷く心音が乱れていた。 ただの叱咤ではない、その眼には嫌悪が紛れ込んでいる、そう彼の眼は口ほどにも語っていて、わたしはいつもの調子で軽々しく開け放った口をぐっと噤ませるしか出来ない。 見据えられたままの視線は逸らされることがなければ緩められることもなく、真っ直ぐにわたしを射抜いている。 その眼は言い訳など聞きたくもないと言わんばかりで、わたしは静かに視線を落として肩を竦めるしかなかった。 確かに悪いのはわたしだ、だけど今回ばかりは理由がある、その理由を聞く必要もないと判断されてしまうのは今までのわたしの言動を考えれば仕方がないこと。 それでも何故だか今はそれが無性に遣る瀬無くて、込み上がって来た名前も知らない激情に涙腺が緩みそうになって堪えることが難しかった。 ただの叱咤ならばこんな気持ちにはならなかっただろう、だけどそんな嫌悪の眼を向けられると酷く寂しい気持ちになる。 寂しいと言うのは少し違う、切ないでもなく、悲しいでもなく、怖いでもなく、だけど今は沸き上がったこの気持ちが何なのか解らない。 本当は誤解されたくない、だから理由があるのと、話を聞いてともう一度口を開きたいのだけど、今この部屋に漂っている空気がそれをさせてくれそうになかった。 視線を逸らしているのに痛いほど突き刺さる圧迫感は何だろう、もしかしてこれは斎藤くんの眼力の所為だとでも言うのだろうか。 声も出せなければこの場を動くことも出来ず、だけど顔を再び上げる勇気もない。 next |