その内、先に行動してくれたのは斎藤くんの方で、とりあえずといった具合にもう一度椅子に腰を下ろすとわたしにも席に着けと促して、



「あんたの家はケーキ屋だと聞いた」



一番大事だろう目的を話し始めてくれた。

そう、それが聞きたかったとばりにわたしは慌てて席に着き直し、ケーキを見つめながら口を開く彼に耳を傾ける。



「俺が剣道部なのは知っているか?」

「知らない人は居ないと思うけど」

「そうか…そんなことはどうでもいいのだが、顧問である土方先生が先日、六段に合格されてな」

「六段って…凄いの?」

「合格率は10%程度だ」

「只者じゃないな、あの人…」



土方先生とはこの学校の中でも鬼とあだ名されるほどの恐ろしい眼力を持つ国語教師兼学年主任のことだ。

小さな頃から剣道をやっていてその腕前は斎藤くん曰く惚れ惚れするほどだと言う。

全国でも剣道部が名高い我が高校の顧問でもあり、斎藤くんはその部の主将さんだ、知らないわけがない。



「その合格祝い…と言ったら余計なお世話になるのだが、普段から大変世話になっている故、何かしたいと思ってな、」

「それでケーキを?斎藤くんが?」

「甘いものは嫌いではなかったはずだ、買ったプレゼントなど用意したところで受け取ってくださる人ではない」



ほんの少しだけ柔らかい表情で視線を逸らしながら土方先生のことを語る斎藤くんはまるで恋する乙女のようだと、不毛ながら思ってしまったのは仕方が無い。

いや、それほどに尊敬しているのだろう、斎藤くんが土方先生至上主義なのは学年でも有名な話だ。

土方先生は先生を始め、父兄やPTA、あまつさえ生徒にすら人気があり、そのカリスマ性は相当なものだと常々から思っていた。

まあ、わたしは怖いから好きじゃないんだけど。



「いつも人の何倍も働いている人だからな、甘いものでも食べて疲れが取れればと思って作ったのだが…」

「…………」



言いながら馳せらせていた視線をわたしの目の前のケーキに戻すとほんの少しだけ溜息を吐いた。

なるほど、食べれば解るのだろうとわたしは言葉の続きを待つこともなく、フォークを手に取りケーキの端を掬い上げた。

戴きます、と小声で呟いて口の中に放り込めばクリームのほんのり甘い味が広がって、一口噛めば刻まれた苺の甘酸っぱさが一気に弾けた。

うん、悪くないと思うよ、でも確かに言いたいことは解る気がする。

でもお店で売ってるものじゃないんだし、話を聞くところ初めて作ったみたいだし、それでこれだけ上手く作れちゃったら世の女の子が泣くと思うんだ。

もう一口と口に頬張ると、その様子を斎藤くんがジッと見てきて視線が痛い。



「……正直に言ってくれ、あまり美味しくは無い、だろう?」

「…美味しいと思うけど」



確かにわたしの家はパティスリーだ、お父さんがオーナーをやっている店を元々カフェでパティシエールをしていたお母さんが手伝って、お兄ちゃんも今働いている。

小さな店だから他にも2人アルバイトさんがいるだけで、休日や連休、12月なんかの忙しい日はわたしも手伝っているからそれなりに味は解る。

だけど、素人さんとお店の味は比べてはいけない気がするし、これはこれで美味しいと思うから土方先生だって喜ぶと思うんだよね。

要は気持ちでしょ、なんて思うのだけど、目の前で真剣な顔をしてわたしの答えを待っている斎藤くんにはきっとそんなこと通用しない。

斎藤くんのことは深く知らないけれど、見る限り完璧主義者に見える。

一度やりだしたことはとことんやりそうなタイプだと、喋ったことがなくても普段の彼を見ていれば大体解ってしまうというもの。

だからわたしは中々、答えを言えなかった。



「あ、あのさ…なんでわたし、なの?」

「と、言うと?」

「あー…一応、うちの学校には調理部があるじゃない?製菓の方もよくやってるし、普通はそっちに頼むかなぁと思って」



変な意味じゃなくてね、と一応付け足しておいてみた。

だって喋ったこともないし、その前にわたしの家がパティスリーだってこと斎藤くんが知っていたことがもう逆にびっくりする。

うちの調理部は我が校のマドンナ・君菊先生が顧問をしていて、その腕も然ることながらこういうことに関してはとても快く聞いてくれそうだ。

だからどうしてわざわざ、わたしのところになんて来たのかなぁと疑問を抱いてしまうわけだ。

大体、わたしが店の手伝いも何もしていない、何でも美味しいという馬鹿舌だったらどうしていたんだろう。

斎藤くんの真意がどうにも見えないと、またもう一口放り込んだ。

パティスリーの娘と言えど甘いものはそんなに好きじゃない、お父さんが試作で作る甘さ控えめのさっぱりとしたケーキだったら良いけれど、正直素人さんの作るケーキは甘いだけでわたしにはきつい。

何よりも生クリームが苦手なわたしには一般的に売っている40%程度の植物性油脂の生クリームはどうにも具合が悪くなる。

だけど、折角出されたものを残すのも忍びないとこうして口に運んでいるわけだけど、今更ながらお茶が欲しいと心底思ってしまう。

詰まるところ、どういうつもりなのだろうと、口をもぐもぐと動かしながら斎藤くんに目線を遣ると、その結果は呆気ないものだった。



「最初は俺もそう思った、だが、」

「………」

「あんたの家のケーキが美味かったのでな」



そう言って見せてくれた笑顔、斎藤くんてそんな顔して笑うんだと一瞬わたしの中の時が止まってしまったのは気のせいじゃない。

そんな風に褒められたら、お父さんのケーキが日本で三番目くらいに美味しいと思っているわたしは嬉しくなってしまうに決まってるじゃない。

きっと謀られたんだ、豚も煽てりゃ何とやら。

だから出来れば作り方を指南して欲しいという斎藤くんの頼みを断ることは出来なかった。

そうして、冒頭より少し前に戻るのだ、家に斎藤くんが来ているという状態に。

出来れば早い方がいいという斎藤くんの言葉に自分の予定を思い出してみるけれど、どうにも開いている日が今日しかない。

明日も開いているけれど明日は店の定休日だからみんな家に居る、と、仕方なく急遽家に来て貰うことになった。

え?斎藤くん家?聞けば器具もそう揃っていないというから最初から論外だ。

一番適切なのはどう考えてもわたしの家しかない、そう観念して、残りのケーキを口の中に放り込んだ。










「だからね、分量が違うのよ、分量が」

「分量はこの本に書いてある通りに…」

「その本…間違ってはないけど、基本的に違うよ」

「ど、どういうことだ?間違った分量を載せているということか?」

「そうじゃなくて、」



結局わたしは斎藤くんに本当の感想を言って退けた。

生地がパサパサしていて粉っぽいこと、その前に混ぜ方が悪いこと、生クリームは植物性油脂を使うと不味いこと、苺は細かく切ると水が多く出るから細かくし過ぎると良くないこと。

言い出したらきりがないから途中で止めたけれど、それよりも分量がおかしいと言ったことに斎藤くんは納得できない様子だった。

そりゃそうだ、本を見てちゃんと作っているのにどうして分量が違うと言われなければならないのかと腹も立つだろう。



「裏見てみてよ、本の」

「…裏?」

「誰が出してる本?製菓の先生が出してる本じゃないでしょ?趣味でお菓子焼いてる人が出してる本って基本的に配合合ってないよ」

「……フードコーディネーターとあるが」

「今度買うときは製菓学校の先生が書いてるのとかにしなよ。素人向けにもなってるから」

「そ、そうか…」

「お菓子はもう基本配合が出来てるの。それを理解した上で足したり引いたりして出来るの。だから少しくらい粉が多くても作れたりするけど、美味しいかどうかはその人の舌によるよ」

「な、なるほど」

「その配合で見極めがしっかり出来ているプロの人がちゃんとした業務用のオーブンで焼いて作るならおいしく出来るかもしれないけど、素人が電圧の低い家庭用のオーブンで作ったやつなんて大抵失敗するよ」

「………」

「斎藤くんが作ったこの配合、粉多過ぎ」

「………」



まあ、斎藤くんが悪いわけじゃないんだけどね、と付け足したけれど、あまりにもわたしが饒舌だった所為か斎藤くんが目の前でフリーズした。

昔、お父さんから聞いた受け売りなんだけど、わたしはそれを身を以って経験しているからこう言うのだ。

小学生の頃、友達の誕生日にケーキを焼きたいと本を買ってきたことがあった。

家には沢山の製菓の本があったけれどそれは全部プロ用の本で、中にはフランス語で全部書かれているものもあってわたしには読めない代物だったから近くの本屋で買ってきたんだ。

買ってきたその本は料理研究家の人が書いている本で、料理を研究している人ならば間違いないと買ってきたのだけど結果は惨敗。

ユメちゃんのお家はケーキ屋さんだからきっと美味しいケーキを焼いてくるんだろうね、なんて期待されていただけに悲しくなって夜中に泣いてお父さんに頼んだことがあったっけ。

結局朝6時前に仕事を始めるお父さんと一緒に起きて、仕込みをするお父さんの隣で一生懸命計量して、混ぜ方を教えて貰って店のオーブンも使わせて貰っておいしいケーキが出来たけれど、本を見てこんな分量で美味しく出来るわけないよと笑われたのを覚えている。

あの頃からかなぁ、基本配合があることを知ったのは、そして本に書いてあることが全てではないとプロの世界の凄さを知ったのは。

お父さんを尊敬しだしたのはあの時からだ、きっと。





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