「斎藤さん」

「…あ、え?うん、何?」

「何故、皆笑っている…?」

「あー…えと、いつものだよ、いつもの」

「……名字のことか?」

「あ、うん、それ」



起こってしまった爆笑はどうすることも出来ないと、ほんの少しきっかけを作ってくれた永倉先生を睨みつければ、おお、嫁さんの方はおっかねぇ、とまた軽口を叩いてくる。

その言葉に再びカッと血が上った頭、だけどそれは静かにわたしを呼んだ声に助けられて血液の沸騰は免れた。

いつものだよ、と言って解ってしまうということは実はしっかり耳にしているという証拠。

それなのに、いつも助けてくれないんだ、あなたという人は。

相手にしていないと言えば聞こえはいいが、わたしが奮闘しているのを無視していると言っているのと同じだ、斎藤くんってば酷い。

だけど解ってる、本当はわたしが過剰反応しなければ最初からこんな風にからかわれたりなんてしなかったこと。

解ってる、気にしすぎているのはわたしだけだってこと。

でも気のせいなのかなぁ、初めてダブル斎藤と呼ばれたあの日、それまで普通だったのに突然目を合わせてくれなくなった気がした。

勿論、次の日には直っていたけれど、わたしが過剰反応するのはそれなんだよ、斎藤くん。

1年間ずっと隣に居たのに、本当ならば一番話してもいいはずなのに、どうして距離が縮まらないの?

それはお互いがどうでもいいことに縛られすぎているからなんじゃないかなぁ、だけど、わたしからその線を一歩越えることが出来ない。



「ダブル斎藤は流石にないよね」

「……………」



ボソ、と普通に呟いたわたしの言葉は、もう既に爆笑も止んで授業を再開し始めたお陰で斎藤くんにだけしか届かなかったようだ。

本当は斎藤夫妻が一番なしなのだけど、流石にそれを面と向かって斎藤くんに言えるほどわたしの心臓は毛深くない。

わたしの言葉に何かを考える素振りをし始めた斎藤くんを横目に、わたしはさっき彼が落としたまま床に転がっているシャーペンを拾い上げた。

落としたのは斎藤くんだけど、声を荒げて驚かせてしまったのはわたしだ。

黒い斎藤くんのシャーペンはわたしのピンクのシャーペンと違って凄く大人びていて、こんなところからも違うのかとほんの少しだけ苦笑いが漏れる。

使い込んであるのかとても手に馴染む彼のシャーペン、これを借りたらテストで良い点取れるだろうか。

いや、そんなことあるわけないのだけど、なんか力が沸いてきそうな気もしなくはない。

そんな他力本願丸出しのアホなことを考えながらゆっくりと上体を起こし、まだ口許に指を当てて考え事をしている斎藤くんにシャーペンを渡そうとした、そのとき。



「ならば、被らない方で呼べば」

「………え?」

「……名前で、」



斎藤くんがいつもの静かな口調で、静かな声でそう呟いた。

瞬間的にかち合った視線と視線、シャーペンを拾い上げていたわたしの方が気持ちほんの少しだけ位置が低いけれど、だからこそ彼の低い声は静かながらも耳に木霊した。

言ったと同時に自分が恥ずかしいことを口走ったと悟ったのか、ふいと目線をわたしとは反対の方向に流してしまった斎藤くん。

そんな斎藤くんの行動を追っていた所為かわたしの思考はうまくその言葉の深いところまで理解出来なかった。

名前で、そう呟いた斎藤くんの声がずっと頭の中で木霊していて、浮かんだのはたったひとつの人の名前。



「は、じめくん」



つっかえつっかえの恥ずかしい声が出たのはわたし、小さな小さな声だったけれど、そんなわたしの小さな声は彼の視線をわたしに戻させるには充分な威力があったようだ。

呼び慣れないその名前は生まれて初めて声に出すもの、だからつっかえても仕方がない。

だけど人の名前をつっかえるなんて少し失礼だ、そう思ってわたしはもう一度、今度はシャーペンを持つ手を目の高さまで合わせて持ち上げ、声をあげた。



「はい、一くん」

「………っ、」



正直な話、口許がにやけてしまったはずだ、自分で良く解る。

だけど隠す方が今のわたしには苦しくて、だからわざと視線も逸らさなかった。

それに堪えられなかったのは斎藤くんの方だ、わたしの声と同時に隠したのは口許、自分で提案した事の大きさに気付いたところで後の祭りだ。

一くんと呼んでいいのだ、声に出した瞬間、もどかしく遠い距離が、もどかしくも近しい距離に移動した気がしてわたしは上がってしまった口角を元に戻すことが出来ない。

本当はこのまま目を見開いて口許を手で覆い、挙動不審になっている斎藤くんを見遣り続けたいのだけど、ずっと見つめ合い続けていたらまた永倉先生になんて言われるか解らない。

折角縮まりそうなこの距離、逃してなるものかと、名残惜しくもシャーペンを受け取らない、否、受け取れないでいる斎藤くんの机にそっと指を添えた。

ピクリと動いたのは口許を覆っていた斎藤くんの指先、今日は保健の時間だと意気込んでスケベな顔しながらガリガリと黒板を書き鳴らす先生のペースは早い。

早くノートに書き写してしまわなければ消されてしまうし、斎藤くんも受け取り辛いだろうとすぐに指を離した。

と同時に今度呟いたのは斎藤くん、それは本当に独り言のような小さな声で。



「あ、ありがとう……ユメ」

「………っ!」



たぶんもきっともない、わたしにしか聞こえないその声、その言葉。

自分まで口許を両手で覆う羽目になるとは思いもしていなかったわたしは、言ったと同時に顔ごと廊下側に背けてしまった斎藤くんの姿に釘付けになってしまってもう離れそうもない。

わたしの容姿が人並み以上であったなら、わたしの頭が人並み以上に良かったら、それはどんなに良かったことか。

だけどわたしの名字が斎藤じゃなかったならば、きっとこんな奇跡なんて有り得なかったはずだ。

比較されるのが嫌だった、もっと極普通のクラスメイトとして接したかった、神様はどうしてわたしのことを愛してくれなかったのだろう、そう思ったことさえあった。

だけど、今は人並み以上の容姿も人並み以上の頭も何もかもいらない、神様はわたしのこと嫌ってなんていなかったんだ。

斎藤家に産んでくれてありがとう、お母さん!斎藤家に生まれて良かったね、わたし!

だって全校生徒どこ探しても、名前で呼んでもらえるなんてわたしだけ。





斎藤さんと斎藤くん





わたしホントはね、剣道やってるんだ。

そう言ったらもっと距離が近づくかな、近づいたらいいな、っていうか、近づいてお願い。





END
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