目を覚ました時には既に辺りは薄暗く、その日もまた独りの夕食を済ませ湯を使うと、別段する事もない呉葉は早々に床に就いた。
だが午睡を十分すぎるほど取っていた呉葉が眠れる筈もなく、直ぐに起き上がると静かに部屋を抜け出す。

満月に近い月の明かりは足元を照らすには十分で、先日見つけた足場を頼りに極力音を立てないよう呉葉がよじ登った先は屋敷の屋根の上。
足場の悪いそこを四つん這いで天辺まで辿り、座り込んで両手を払う。
さすがに夜着一枚の呉葉に夜風は少し肌寒く、無意識に両肩を抱いた。
少しだけ近付いた夜空に散らばる星屑は故郷のそれと同じで、不意に両親の顔が脳裏に浮かぶ。

一族に自分以外に純血の鬼は居らず、だから血が薄まってしまうのは仕方がないねと笑って話していた両親。
結婚など考えた事もなかったが、その時はまだこんな事になってしまうなんて思ってもいなかった。
風間が一体どんな風に両親と話をしたのかは分からないが、もしも自分に想い人がいたのなら両親はこの話を断ってくれていたのだろうか。
それとも、それでも尚純血の子を為す事を優先したのだろうか。

逃げ出す事は諦めたけれど、このまま風間の妻になるつもりはない。
だが、それより外にもう自分に選べる道はないのだろうか。

独り黙々と考えても答えなど出るわけもなく、呉葉は目を閉じて膝に顔を埋めた。

どれくらいの時間をそうしていたのか、さすがに身体が冷えてきたらしく鼻の奥がむず痒くなり、口を半開きにしたまま天を仰ぐ。
あ、今の自分は物凄い阿呆面だろうなと他人事のように考えつつ。


「ぶぇっくし!」


くしゃみの直後に震えた肩を摩り、そろそろ部屋に戻ろうかと呉葉が屋根に手を着いた瞬間、しかし不意にその肩と背中にふわりと何かが乗せられた。


「里心でもついたか?」


その何かを確認するよりも早く頭上から声が降り、咄嗟に振り返った先で月明かりに透ける飴色が風に靡いている。
その立ち姿が着流しである事、そして肩から与えられる温もりに、視覚で確認せずとも自分に掛けられたそれが彼の羽織であると呉葉は呑み込んだ。

それでも風間が現れた事に対し呉葉が驚きに目を瞬かせている間に、風間はその右隣へと腰を据える。


「な、なんで此処に……」

「それは俺の科白だ。部屋に居ないと思えば、このような処で何をしている」

「別に……何も」


というか部屋に来たのかと呉葉は思ったが、いらぬ藪をつつく事になりそうだったので口を噤んでおいた。


「……それより、貴方達のその気配を消す癖やめてくれない?心臓に悪いんだけど」

「ならば足音を立てて天霧の説教でも聞くか?」

「……それは嫌だ」


怒らせたら一番怖そうなのは天霧のような人間だろうと呉葉は思う。
否、このくらいの事で天霧は怒ったりしないだろうとは思うのだが。
ふ、と風間は口元を吊り上げる。


「天霧には随分懐いたようだな」

「……動物みたいな言い方しないでくれる?」

「用意した娯楽品は気に入らなかったか」

「…………え。」


意外な言葉に呉葉は思わず風間の顔をまじまじと見つめた。
顔の造りは綺麗なんだよな、と頭の片隅で思う。


「……アレ、風間が用意してくれたの?」

「退屈は人を殺すと言うからな。退屈凌ぎにはなっただろう」


気に掛けてくれていたのか、案外優しいところがあるのかもしれないと風間への見方を少し改めた呉葉だが、直ぐにそれを後悔する事になったのは不意に伸ばされた風間の右手が呉葉の左頬に触れたからだ。


「そう寂しがるな。こうも忙しいのは今だけだ」

「さっ……寂しがってないし!!」


至近距離で囁かれ、呉葉は慌ててその手を払い落して顔を背けた。
しかし直ぐに少しだけ首を戻し、それでも唇を尖らせたまま横目で風間を窺う。


「……でも、花札はなかなか面白そうだし。……ありがと」


至極愉快そうなその顔は気に食わなかったが、風間の気遣いに感謝している事は事実だった。
だから呉葉が素直にそう言うと、風間は一度真顔に戻ってから、今度は満足気に笑む。


「花札か。ならばそのうち相手をしてやろう」

「え、いいよ。まだ全然初心者だし」


無駄に強そうだし、と首を横に振る呉葉に対し、風間はその笑みを不敵なものへと変えた。
途端に嫌な予感がした呉葉は反射的に腰をずらし風間と距離を取ろうとするが、逸早く腕を捕えられそれは適わない。


「…………なに?」


腕は掴んだまま再び呉葉の頬に触れた風間は、肌をなぞりながらその手を首の裏へと、頭を固定するかのように回す。


「ちょっ……!」


ゆっくりと顔を近付ける風間に呉葉は身を強張らせたが、それは呉葉の唇に触れる寸前で止まった。


「俺が勝ったら続きをする、というのはどうだ?」


その吐息が掛かる距離で、焦点が合わずぼやける唇が弧を描いていく。
心臓が忙しなく血液を送り出す音を鼓膜で強く感じる、頭を下げて離れようにもそれを阻む風間の手。
そもそも少しでも動こうとすれば唇が触れ合ってしまいそうで、身動きも出来ず言葉に詰まる呉葉だったが、唐突にその手の拘束から解放され、それと同時に風間は立ち上がっていた。


「先に戻るぞ」


放心状態だった呉葉の肩から羽織がずり落ちそうになり、咄嗟にそれを押さえた事で我に返った呉葉は立ち去ろうとする風間を急いで呼び止める。


「待って、これ、羽織!」

「……明日でいい」


短く答えた風間は軽やかに身を翻して屋根の上から消えた。
呆然とそこを見つめていた呉葉だが、ふと両手を頬に宛ててみれば夜気は冷たく感じるほどなのにそこは妙に熱く、速度を増したままの脈拍が元に戻りその熱が冷めるまではもう少し此処に居ようと吐息と共に俯く。

明日から花札の猛特訓だな、と人知れず強い決意をしながら。




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