どうにか汚れを洗い落とした髪を手櫛で梳く呉葉はどうしたものか、と困惑していた。
身体を洗う為には襦袢を脱ぐ必要があるが、すぐ後ろに風間がいるこの状況でそんな真似は出来ない。
ならば若干の気持ち悪さは残るが、このまま上がるしかないだろう。
白地の襦袢に身体の線は透けており、上がるろうとすれば風間にこの姿を見られる事になってしまうだろうが、全裸を曝すよりはよっぽどいい。

そう考え立ち上がった呉葉は、背後の水音が途切れていた事に気が付いていなかった。
そして静かに近付く気配にも。


「なかなか煽情的な格好だな」

「……っ!こっち向かないでって言ったでしょ!」


頭のすぐ後ろで聞こえた声に、呉葉は慌てて胸元を隠すように再びしゃがみ込んだ。
頭上から喉で笑う声が漏れ聞こえる。


「了承した覚えはないがな」

「さいてい!」


噛み付くように言ったところでその声音に含まれる笑みは消えず。
動く事もままならない呉葉はゆっくりと背後を顧みるが、そこに素肌の脛を見付けてはまた俯く外なかった。

はあ、と吐息が聞こえたが、溜め息を吐きたいのはこっちの方だと呉葉は濡れた床を睨み付ける。


「いつまでそうしているつもりだ。身体が冷えるぞ」

「お構い無く!」


ぴたりと張り付いた襦袢は確かに時間を置けば体温を奪うだろうが、この浴場の熱気ではその心配もない。

それならいっそ風間が上がるまでこのまま待っていようと膝を抱えた呉葉の脇を、しかし風間はいとも簡単に持ち上げた。


「…………はッ?」


本日二度目の浮遊感に行き場を失くした両足を動かしてみるもそれは虚しく空を掻くだけで、やっと地に着いたと思ったそこは既に浴槽の底だった。

抗おうにも腰を引かれて強制的に湯に浸からせられた呉葉は、自然と風間の足の間に座る形になる。

そう広くはない浴槽の中で、更に後ろから腰を捕らえられては離れたくとも動きようがなく。
呉葉は身体を縮こまらせるしかなかった。


「もっとこっちへ来い」

「結構です。ていうか触らないで!」


そう言って腹に回った左腕をぺちぺちと叩けばそれは意外なほどあっさりと離れていく。
と、呉葉が安堵した瞬間、それまで以上に強い力で抱き締められていた。

呉葉の背は風間の胸に密着し、耳の少し上にその吐息を感じてこそばゆい。


「やっ……!」

「言い付けを破って逃げ出したのだからな。少し仕置きが必要だろう?」

「逃げたわけじゃ、」


風間の空いた右手が呉葉の左腕をなぞる。
そこにはもう筋が薄く残っているだけだった。


「痕が残ったらどうするつもりだ」

「……明日には綺麗に消えてるよ」

「怪我はこれだけだろうな?」

「そうだよ、って、ひぁっ……!」


いつの間にか移動していた右手が襦袢の襟から滑り込み、風間は剥き出しにした首元から肩にかけて唇を落としていく。
濡れた肌は小刻みに震え、弱々しくも抵抗を見せるが風間にとってそれは何の意味も成さない。


「もう少し色気のある声は出せんのか」

「うるさっ、あっ、」


するりと右腕を撫でたその手が前に回され襦袢の袷を解くと、露わになった膨らみの形を確かめるように添えられ、緩々と動き出す。
抵抗を増した呉葉は引き剥がそうとするが、それを阻止するかのように風間の舌が耳の裏を這い、思うように力が入らない。

風間の手の中で形を変える膨らみに、呉葉の羞恥が募る。


「もう、許しっ、ふぁっ……」


指先が頂に触れ、全身から力が抜けた呉葉は自然と風間に寄り掛かる形になる。
その様子に風間は笑みを漏らすが、そのまま抵抗も忘れ大人しくしている呉葉にふとその顔を覗き込んだ。


「あつ、い……」


頬は桜色に染まり、乱れた呼吸に唇を薄く開く姿は風間の欲を誘ったが伏せられたその目は虚ろで、それに気付いた風間は仕方なしに手を解放する。


「逆上せたか」

「……ん、そう、かも」


解放された呉葉は浴槽の縁に手を着いて立ち上がろうとするも、その動きは鈍く足元も覚束ない。
それでも肌蹴た襦袢を直して浴槽を出るとふらふらと戸へ向かう、その後ろ姿に風間が声を投げる。


「部屋で待っていろ」


ん、と短く応えたのは一刻も早く外に出たいという気持ちと、上気した頭では深く考える事が出来なかったからで。

脱衣室に座り込み身体に張り付いた襦袢を脱ぎ捨て、用意されていた手拭いで身体を拭き終える頃になってやっとその意味に気が付いた呉葉は、独り赤くなったり青くなったりを繰り返していた。

やがてのんびりしていたら風間が上がってきてしまうと、ちらちらと戸を気にしつつ浴衣を羽織り、素早く帯を結うと飛び出すようにそこを後にした。

急いで部屋に戻り、風間がもう寝てしまったのだと勘違いしてくれますようにと祈りつつ、髪が濡れている事も気にせず頭から布団を被る。
部屋に居ない方がいいかもしれないとも思ったが、この屋敷に居る限り意味は無いだろうと、灯りを落とした部屋の布団の中でひたすら身を丸めていた。

だがその晩、結局風間が呉葉の部屋を訪れる事は無かった。




終 / *
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