背中に当たるのは、多分どこかの民家の甕か何かで。

どんなに背を押し付けても一向に動かないそれに身を寄せながら、呉葉が祈るように助けを求めた人物は、きっと両親でも天霧でもなかった。













「というわけで、そろそろ外に出たいと思うのですが、駄目ですか」

「駄目です」


自身の訴えをにべもなく一蹴された呉葉は、わざとらしく肩を落としてみせた。
それでも直ぐに気を取り直し、対面に座す天霧を見つめる。


「逃げたりしないって約束する。心配なら天霧さんも一緒でいいから!」

「そういう問題ではありません」

「じゃあどういう問題?」


食い下がる呉葉に、天霧は二人の間に散乱する札を集めながら淡々と答える。


「今の京の町は安全とは言えません」

「だから、天霧さんが一緒なら問題ないじゃない」

「貴方に万が一の事があれば風間が黙っていませんよ」

「じゃあ風間が許可すればいいの?」

「許可すると思いますか?」

「思わないけど!」


でも聞いてみなければ分からない、そう口では言うものの、呉葉には風間が許可しないであろう事は解っていた。

だがもう一月以上この屋敷に籠もりっ放しの呉葉の我慢はいい加減限界にきていた。
ほんの少しでもいい、遠くに行きたいとも言わない、ただこの屋敷の外の空気が吸いたいだけなのに。


「さて、そろそろ時間ですので」


そう言って片膝を立てた天霧に、呉葉はくるりと背を向ける。


「けち!」

「今日は風間も夕餉までには戻る予定ですから」

「知らない。一緒になんて食べない」

「何やら南蛮の札遊びを手に入れたそうですよ」

「そんなの遊ばない」

「……子供のような事を言うのはおよしなさない」

「子供扱いしてるのはそっちじゃないの」


唇を尖らせた今の自分の姿が子供そのものだという自覚は呉葉にもあったが、それでも素直に引き下がるつもりにはなれない。

そのまま互いに黙っていたが、やがて天霧が失礼しますと一声掛けて部屋を出ていった。

その晩半ば無理矢理同席させられた風間との夕食の際にも呉葉は同じ事を頼んでみたが、天霧から話が伝わっていたのか、風間は鼻で笑った後に当然の如く却下しただけだった。

それが数日前の出来事。

そして数日後、呉葉は屋敷を抜け出していた。

風間と天霧が午前中早い時間に屋敷を出た事は知っていた。
屋敷には他にも身の回りの世話をしてくれる者が居るが、彼らは必要以上には呉葉に関わってこなかったので、その目を盗んで屋敷を抜け出す事は意外なほどに簡単だった。
昼食さえ済ませてしまえば夕食まで声は掛からず、だから姿を見せなければ部屋に籠もっているのだろうと彼らは思う筈だ。
つまり、夕食までに屋敷に戻れば何の問題も無い。

呉葉はその程度に捉えていた。

とはいえ然程のんびりもしていられないので、呉葉は木々に囲まれた小道を早足で抜けていた。
時折自分の不在に気が付いた追っ手が来ていないかと振り返るが、そんな気配は全く見受けられず。

屋敷から続く道は一本しかなく、更に以前風間がこの屋敷は一時的な仮の棲み処でしかないと言っていた事と、彼らがほぼ毎日頻繁に外出をしている事を併せ、呉葉は屋敷が京とやらの中心部からそれほど離れていないのだろうと推測していた。

途中別れ道に出くわし、呉葉は迷う事なく右を選んだが、それはただの勘でしかなかった。
暫く進んでみて道が違うようであれば引き返せばいい、立ち止まり考える時間さえ惜しい呉葉はそう考えていた。
ただ道を折れてから数歩行って振り返った際、不思議な事にこれまで歩いていた小道が目立たないようになっている事に気が付き、暗くなれば見逃してしまいそうだと少しだけ不安を覚えた。

直きに木々の間隔が拡がっていき、どうやら間違えていなかったらしいと呉葉が胸を撫で下ろした頃、それらが完全に無くなり突然視界が開けた。


「……うーん…」


これまでの獣道と違い少し広めの整備された通り、これをどちらに行くべきかと左右に視線を走らせ、取り敢えず左に行ってみるかと足を踏み出してみると、道の先に一軒の茶屋が目に入った。

途端に呉葉の身体に緊張が走る。

忙しなく結い上げた髪に触れ、着物の襟を直し、帯と裾にも目を配る。
自分はきちんとこの国の人間のように見えているだろうか。
心臓を落ち着けるように胸に触れ、目を閉じて一度深呼吸をしてから足を踏み出した。

茶屋の外では二人組が緋毛氈の敷かれた縁台で談笑しており、そこへ茶屋の娘が団子を載せた盆を持って現れ客と笑顔で言葉を交わす横を、何気ない顔で通り過ぎる。
三人は呉葉を一瞥する事もなく、内心安堵の息を吐いた呉葉は、これなら大丈夫そうだと軽くなる足取りを感じていた。

そのまま進んでいくと徐々に人の数が増え、それと共に活気も増していき、京の中心地に近いらしいと呉葉は胸を躍らせる。

正直なところ何度か道を尋ねようかと迷っていた呉葉だが、田舎者や旅人に思われては不都合な展開になってしまうかもしれないという不安がそうはさせなかった。
それくらいの知恵は持ち合わせていたし、そもそも天霧は呉葉が外に出たいと言う度に京は危険だからと繰り返し言っていたのだ。


「う、わ……」


更に進むと人通りに溢れた通りに抜け、一段と活気付いたそこは様々な商家が立ち並んでいた。
その様に小さく歓声を上げつつ、そう言えば身銭を僅かも持ち合わせていないという事に呉葉は思い至ったが、買い物が目的ではないので何ら支障は無いと端の店から冷やかし始める。

中には初めて目にする物も沢山あり、彼れや此れやと目移りする呉葉は時間も忘れて夢中でそれらを見て回った。

そう、時が経つもの忘れるほどに夢中で。




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