わたしという人間は押しに弱い、本当に心の底から嫌なこと以外は嫌と言えないし、別にこれくらいならいいかと思ってしまうことが多々ある。

そんなわたしだからか、友人には少しばかり口煩い子や面倒見のいい子が多く、それ故助けられたことも多々あった。

言われたっけ、何でよりにもよって沖田だなんて、あんた馬鹿じゃないの、なんて。

騙されてるとか、二股掛けられてるとか、どうせすぐ捨てられるとか、終いにはもっと自分を大事にしろなんて言われて、どんな人に捕まってしまったんだろうと眉間に皺が寄ったくらいだ。

だけどそんな噂もどこへやら、向き合ってみれば毎日こうしてキスをせがんで来るし、毎日何かしらコンタクトを取ってきて、女の子と親しげに話しているところはよく見るけれど浮気現場を目撃したなんてことも当たり前になかった。

だからみんなが思っているほど軽い人ではないし、いつも笑顔で居るその裏の心は全く読み取れないけれど悪い人ではないんだよと零せば、そんなのヤリたいだけに決まってるじゃんなんて逆に眉を顰められて。

そう言われてしまえばそんな気もするし、だけどいつだってわたしを捕まえるその強引な手が嫌いじゃないと拒否出来なかった。

友達には言えなかった、毎日キスをせがんでくるって。

戸惑いながらも早一月、毎日同じことを違うシチュエーションで繰り返し、学校であるにも関わらず内腿に手を這わせる、そんなこと、とてもじゃないけど言えなかった。

返ってくる言葉は解り切っている、わたしだって本当に大事にしているならば学校でそんなことするわけないと、そう思っている、だから、



「あ、遊び、だよね?」



学校じゃないならいいの?そう言われて否定も肯定も出来なかったわたしを良しと捉えたのか、腕を引かれ招かれたのは沖田くんの家。

逆方向の電車に乗って、歩いたこともない道を歩いて、何処へ行くとも告げてくれない彼の繋いでくれる手だけを頼りに此処まで来て、思わずきゅっと握り返してしまった所為か部屋に入った瞬間、抱きとめられた。

ひょいと身体を持ち上げられた所為で床に落としてしまったバッグは鈍い音をたて、だけどそんな音、ベッドに押し倒されて高鳴った心音に掻き消されて気にする間もない。

覆い被さるように跨って口角を上げている沖田くんを見上げるわたしの眼は、揺れていただろうか。

いつだって彼の行動はわたしの予想が追いつかないほど急で、慣れてきたかもしれないと思う頃にはまたそれを覆すから余裕なんて何処にもなかった。

指先がほんのりと震えているのは何故だろう、理由なんて浮かんでこないけれど本能がこれから起こる事に恐怖を感じているのだろうか。

死ぬわけでもないのに彼の顔を見上げながら走馬灯のように流れるのは友達の顔で、沖田くんの指先がわたしの頬に触れたと同時に声が響いた。

やめなよ、泣くだけだよ、1回ヤッたら捨てられるって。

思い返してもいい言葉はひとつも貰ったことはなかった、だけどそんなことを言われても拒めなかったのはきっといつの間にか彼の傍に居たいと願ってしまって居たからなんだろう。

ゆっくりと口唇が重なったその後はまるでわたしを侵食するように深く深く舌を差し込んで、絡め取った舌を先端ではなく舌腹でなぞりあげた。

わたしが大人しくその口唇を受け入れているからか、頬に宛がった指先をラインに沿って撫で上げる。

指先に髪を絡ませながらほんのりと強く抱え込むような、そんな沖田くんのキスは拒否するどころか寧ろ好きだった。

だけど、開いている左手がニットの上からわたしの胸をやんわりと押し、口唇が離れた瞬間言葉を零したのは、自分が泣くのは嫌だったからだと思う。

零れた声は本当に小さかった、口付けが深くて息絶え絶えだったのも理由にあるけれどそれよりも、言葉にするのが怖かった。

本当はずっとずっと思っていたのに、からかわないでといつだって思っていたのに。

流されてするキスを拒まず、呼び出されて嫌な気持ちもせず、遠くからわたしを見つける度に手を振って名前を呼んで、そうする沖田くんの笑顔が憎めなかった。

苦しかったのはもやもやとしていたからだ、彼の真意が解らず自分の気持もはっきりせず、ただ流されてなあなあにしている自分に苛々したりして。

いつの間にか嫌だという感情なんて何処かに行ってしまっていて、だけどそれがいつなのかも解らなくて、気づいた頃には馬鹿みたいに頭の中を沖田くんでいっぱいにしていた。

今更過ぎるわたしの科白はきっと、今言ってはいけないもの。

それはもっとずっと前、そうだ、きっと沖田くんが付き合ってあげてもいいけどなんて言った3日以内に言うべき言葉だった。

そんなこと、今更悔やんでももう遅い。

小さな小さな呟きだろうが、途切れ途切れの言葉だろうがこんな眼と鼻の至近距離でははっきりと彼には届いている。

ううん、至近距離だろうがなんだろうが、シャツのボタンに手を掛けた彼の手がぴたりと止まり、黙ってわたしを見下ろしている彼の表情を見れば解ることだった。

一瞬だけ見開かれた眼、その眼はわたしの言葉の意図を理解したと同時に細まって、だけど何も口には出さずそのままボタンを弾くように解く。

元々2番目のボタンまで外していたシャツは3番目を外せばすぐに胸許が露になる、それを防いでいるのは着用している薄いニット。

4番目のボタンを外すにこのニットは邪魔以外の何物でもなくて、だけど彼は何も言わず、ニットを捲り上げると当たり前のように4番目のボタンに手を掛けた。

何か言ってよ、黙らないでよ、そう思ったところで彼の口からは何も零れない。

だけど次の言葉を零す気も、彼の返事を催促する気も起きなかった、だって、口角が上がっていないから。

眼を細めると同時に弧を描いていた口許は、ゆるりと一文字に形成され、そのまま噤まれて。

笑っていない彼を見るのが初めてで、脱がされるのが恥ずかしいだとか、結局どう思っているのだろうかとかそんなことよりも、笑っていない彼が怖くて視線を天井に向けて泳がせた。

染みひとつない天井は、それでも明かりを点けていない所為か、外から差し込んだ明かりとカーテンに阻まれた暗がりで模様を作りゆっくりと形を変えていく。

ポスターも何も貼っていないシンプルで、だけど生活感のある部屋は床に座れば落ち着いても天井を見上げれば見るべき物もなく落ち着かなかった。

それでも天井を見続けていたのはほんの少し視線を落として、笑みを浮かべていない沖田くんと眼が合うのが怖かったからだ。

遠慮することなんてないのに、自分の身体は自分で護るしか方法なんてないのにただこんなときまで流されて、嫌だと思わないにしろどうしたらいいのだろうか。

そんな風に思っているうちに手馴れた手付きでシャツのボタンを全て取り払った沖田くんは、スカートに入れ込んだ裾を巻くり上げ、スカートのホックを外すと再びわたしに覆い被さった。

きゅうっと縮こまった身体はきっと抱き心地が良くない、だけどそんなことはお構いなしに彼は背中と布団の間に手を差し込むと、勢いを付けわたしごと身体を起き上がらせた。

振り回されるような浮遊感はあまり気持ちが良いものではない、それどころか、心の準備が何ひとつ出来ていないわたしには彼の顔すら見ることが出来なくて。

ただ抱き寄せられたその肩許に額を擦り付けるだけ、それしか出来ず口唇の端を噛んだ。



「何て返せばいいの?」

「…………」

「本気だよって返せば満足するの?」



沖田くんから返事が返ってきたのは額を摺り寄せ、だけどそれだけじゃ心許無いと更に視線を落とした頃だった。

声色に変化は言うほどない、だけどいつもと同じ声色かと言われたらそうだとは言い切れない。

そんな風に声色を分析しきる暇もなく気持ち少しだけ顔を上げる素振りをすると、今度は小さな溜息と共に彼はニットの裾を掴んだ。



「ねぇ、満足するの?」



再び届いた声は同じ科白、でも何処かさっきよりも刺々しい。

それでもするすると肌を滑る沖田くんの手は優しくて、脇腹を撫で上げられると同時、こそばゆさに思わず顔を上げてしまった。


じっと真っ直ぐに見据えられた眼に捕まればもう逸らすことなんて出来なくて、拒むことが出来ない身体は背中を這う彼の手を止める術もない。

パチンと慣れた手つきで外されたブラのホックは、外れると同時に開放感をわたしに与え、衣類の中で気持ち悪く肌を擦った。

そんな感覚にぞくりと身体を震わせたけれど直すことも出来ず、満足するのかと問うたままわたしを見下ろして来る沖田くんの視線から逃れることも出来ず生唾を飲み込んだ。



「しないと思うよ、君は」

「……えっ?」

「リカちゃんが好きだよ、愛してる。そう言ったところで君は僕を信じないでしょ?嘘だって決め付ける」

「………」

「いつも思ってたけど君って顔に出るよね、正直過ぎるよ」



言いながら、こつんと額同士をぶつけてくるから思わず瞑った瞳。

だけど顔に出るとか正直過ぎるとか、初めて痴女と可愛い以外のわたしへの印象を聞いた気がして、ゆっくりと重たい瞼を開いた。

目の前には綺麗で真っ直ぐな沖田くんの眼があって、それ以外には髪や肌の色くらいしか見えない。

睫毛は瞬きすればわたしを擽るんじゃないかというほど長くて、何度もこうして至近距離を味わってはいるけれど恥ずかしさに自ずと肩が強張った。

何て言えばいいのだろうか、頭がうまく回らない。

触れ合った額も気になれば背中を這う彼の手も気になるし、時折指先で緩く擦られる感触がこそばゆくて反応してしまう。

そんな余計なことに気を取られ問いを返せずに居ると、沖田くんはにぃっと口角を上げ、それからニットの裾を捲り上げながら再び口唇を開いた。



「リカちゃんが好きだよ…そう言ったときの君の顔、嘘だって顔してた」

「………っ、」

「そんな顔も可愛いけど、僕を見てよ」



どんな噂じゃなくてさ、僕を見てよ、君の目の前に居る僕を。

言われて胸の奥が痛みを発したのは、わたしの心なんて見透かされていたんだと気づいたからじゃない。

根も葉もない噂が飛び交っていることも、それをわたしが知っていることも、そしてそれに振り回されていることも全部全部知った上でわたしにこうして触れていたんだと理解したからだ。

ほんの少し、本当にほんの少しだけ顰められた眉が、その事実が悲しいとわたしに教えて、罪悪感に更に胸を締めつける。

別に噂が全てじゃない、解ってる。

解っていながらその噂を鵜呑みにしそうになったのは沖田くんの軽ノリも原因だ、きっとそんなのは彼だって解っているだろう。

だけど面と向かってこうしてわたしと接してくれている彼を見ようとせず、噂や自分の解らない気持ちに振り回されていたのは事実で、わたしはそんな自分のくだならさに涙腺を緩ませた。

好きだよ、愛してる、きっとそんなこと言われて信じられるわたしじゃなかった、だけどそれを信じさせてくれなかったのは沖田くんでもある。



「沖田くんが何でわたしと付き合ってるのか、解らない」



遊びでしょ、そう言うのはきっとタブーだった、今のわたしには。

でも、この質問くらいはしたって、いけないことじゃないよね?

沖田くんは人気がある、うちのクラスにもファンが居れば、それこそ違うクラスの知らない子まで様々だ。

顔も知らない子が部活中の彼の写真を遠くから撮っていたのも見たことがあって、真後ろにわたしが居た所為で手を振られ、目の前の子が発狂してたのもこの目で見た。

勿論、あまりいい噂は聞かないけれど、それでも人気があるのは女の子の心を擽るものを持っているから。

そんな彼には別に目立つわけでもない、クラスの雑用を担任から任されるようなわたしなんかよりももっと可愛い誰かが似合うとそう思っていて、自分で思うほどだから周りはもっと思うんじゃないかなんて内心、思うわけだ。

大体、わたしは冗談だと思っていた、付き合ってあげてもいいけどなんてあんなの、冗談だと思っていたのに何故かこうしてエッチまでしようとしている。

毎日変わらない平凡な日常は嫌いじゃなくて、なのにどうしてこうなったのか、ここ一月の目まぐるしさも思い出せば全部果敢無い夢のよう。

だけどこうして沖田くんに触れて見つめられて名前を呼ばれればこれが現実だとわたしに教えて、現実だと解っているのにこの手にある気がしないのは解らないからだ。

沖田くんがわたしを好き?何で?わたしは単純だからこうして何度も触れられて何度も戯れて何度も笑顔を向けられれば簡単にあなたを気にしてしまう。

だけど沖田くんがわたしを選ぶ理由も何も見当たらなくて、解らないからキスをするのもエッチをしようとするのも背徳感に苛まされる。

だから聞いてもいいよね?聞いたって悪いことじゃない。

そう思って背けた彼の眼を恐る恐る見遣れば、細めた眼をほんの少しだけ見開いて、彼は言った。



「僕、言ったよね?可愛いから好きだよって」

「………か、可愛いって」

「それ以外に理由なんてないよ。それともリカちゃんは人を好きになるのに理由がなきゃダメだって言うの?」

「…………」

「だったら教えてよ、僕を好きな理由」



リカちゃんが僕を好きなのは知ってるよ、随分前から。

口角を上げながら、悪戯に笑う沖田くんの顔はわたしの胸の奥を酷く高鳴らせた。

同時に眉が顰んだのは、そんな理由など幾ら探したところで見つからないのを自分で解っているから。

わたしが知りたいくらいだ、沖田くんを拒否出来ない理由なんて。

付き合ってあげてもいいよなんて上から目線の言葉に頷いた理由も、キスを拒めない理由も、触れられて嫌じゃない理由も全部全部知りたいくらいだ。

だけどそんなの、好きだからという根拠もない一言で全部片付いてしまって、理由なんて何処にもない。

じゃあ説明できないこんなわたしは、沖田くんになんて言えば気持ちが伝わるの?

沖田くんはわたしが自分を好きなことを知っていて、それに疑いなんて微塵も感じさせない。

信じてるんだ、わたしを、わたしの気持ちを、だからこんなことを言うって、解ってるのにわたしは、彼を信じていない。

信じるか信じないか、ただそれだけの違いしかここにはなくて、信じて貰えない沖田くんの気持ちを考えたらわたしは何て失礼なことをしているんだろうと握り締めた彼のシャツを更にきつく握った。

それから涙の溜まった眼で見上げれば、柔らかく笑う沖田くんの顔が見える。



「何その顔、リカちゃん」

「………だって、」

「君のそういう顔、好きだよ」



言いながら静かに顔を近づけられて、それからされたのは瞼にキス。

そっと触れるだけのキスは少しの体温と生温い彼の息遣いをわたしに教えて、泣きそうな顔が好きだなんて悪趣味だとつい零せばそれもそうだねなんて笑われた。

それでも僕は君のそんな顔を見る内に可愛くて堪らないと思ったんだ、そう言いながら瞼から頬、頬から顎、顎から首許に口唇を這わせてニットを捲り上げる彼の手を怖いと思わなくなったのは、彼を信じたからでいいのだろうか。

組み敷かれて肌が触れ合う数秒前、わたしは確かに聞いた、信じてよという沖田くんの声を。










君を愛しいと思ったんだ




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