沖田総司、彼との出会いは凄く自然で、だけど理解できないものだった。

高校に入ってすぐ、風邪をひいて休んだ所為で望まずクラス長にされてしまったわたしが職員室から教室へ戻るとき、彼のクラスの担任からプリントを渡してくれと頼まれたからだ。

正直、何でわたしが違うクラスの誰だか解らない人のために違うクラスに脚を運ばなければいけないのかと眉間に皺が寄った。

けれど、嫌と言えない日本人代表のわたしは渋々それを受け取るしかなく、職員室を出て階段を駆け上がる頃には隣のクラスだからいいか、なんて安易な気持ちにすり替えていた。

別に本気で嫌じゃない、ただ面倒臭いだけ、それから隣のクラスのクラス長がほんの少し苦手なだけだ。

ペラリと何のプリントかと見遣れば二者懇談のお知らせのプリントで、これだったら先生が呼び出すかホームルームのときにでも渡せばいいんじゃないの?なんて思ったり。

それでも頼まれてしまったものはちゃんと渡さなければ気持ち悪いと、ごそりとポケットから携帯を取り出して時間を確認。

見遣れば休み時間終了まであと5分強だということに、移動教室でもされて見つからなかったら堪らないと急いで階段を駆け上がった。

沖田総司という名前には聞き覚えがある、勿論顔は知らないし知り合いでも何でもないんだけど何処で聞いたことがあるのだろうか。

そんな疑問を浮かべながら自分の教室を通り過ぎ、隣のクラスを覗き込んだ瞬間、わたしは思わず声にならない声を上げ目を見開いた。

移動教室だったら困る、そう思っては居たけれど次の授業が体育だということまでは予想していなくて、



「痴女」

「え……っ」

「覗かないでよ」



ジャージは穿いているものの上半身は裸、そんな出で立ちの名前も知らない男の子に目が合った瞬間言われ、わたしはごめんなさいと叫び上げながら教室に背を向け頬を赤らめた。

でも仕方がないじゃない、着替えてるなんて思わないし、第一女子更衣室があるように男子にだって更衣室がある。

それを利用するのは面倒だとうちのクラスの男子も良く言っているけれど、それをしないで教室で着替えてる癖に用があって覗いただけで痴女扱いだなんてそんなのあんまりだ。

だけど恥ずかしさに目を瞑っても映像として記憶してしまった目の奥では、さっきの彼の上半身が浮かび上がって頬の熱が引いてくれない。

初めてだった、うちにはお父さん以外男は居ない、親戚にもあまり男の居ない女家族で男の子の裸をまじまじと見てしまったのは初めて。

あんなに胸板厚いものなんだとか、鎖骨綺麗だったなとか、腹筋割れてるとか、数秒ではあったけれどちゃっかり見てしまっていた所為で思い出せば思い出すほど動悸が早くなる。

こんなんじゃ痴女と言われても何も反抗出来ないと肩を竦め、居た堪れないわたしは当初の用件を済ませてさっさと教室に戻ることを試みた。



「あ、あの、おき、お…っ、沖田総司くん、を」



だけど焦って出した声は酷く途切れ、うまく話そうとすればするほどに口唇の端を噛む。

沖田総司くん居ますか?たった一言なのに動揺してしまっているわたしには困難を極め、名前を口にした瞬間声が掠れた。

別に裸を見たわけじゃないのに、たかが上半身を見ただけなのに何を動揺しているのだろうか、そう自分を叱咤したところで動悸は早まるばかり。

がやがやと煩かったはずの周囲の音も聞こえなければ、目の前を誰かが通っているはずなのにその足音すら拾わない。

いよいよパニックになってきているのかもしれない、そう思って頼まれたはずのプリントの端を力強く握り締めたときだった。



「何?僕に何か用?」



聞こえたのはさっきの彼の声、まさか、彼が沖田総司?そう思わず振り向けば、さっきと同じようにきょとんとした顔をして小首を傾げている彼が居た。

既に上半身にもジャージを着て、あとはグラウンドなり体育館なり向かうだけ、そんな準備万端の彼を上から下まで見遣ってしまったのはついだ。

そんなわたしがお気に召さなかったのか、彼の心など一ミリたりとも解らないけれどわたしが言葉を零すよりも先に声を上げたのは彼だった。



「何の用?あ、もしかして、愛の告白?」

「え…っ、ちが……」

「急いでるんだよね、僕。サボり過ぎて遅れたら単位貰えなくなっちゃうんだ、後にしてくれる?」



後でちゃんと聞いてあげるから、そう言いながらわたしの横を通り過ぎると同時、ぽんと頭を撫でる彼、沖田くん。

違う、まさかそんなわけないじゃない、あなたのこと今初めて知ったのに!プリントを頼まれたから此処に来ただけなのに!

確かにわたしはあなたを見て不自然に顔を赤くした、だけどそれはそういう理由じゃないの、ただそれは不可抗力なだけであって。

だけどそんな声もあまりに突然の展開に声も出ず、声が出ないということは抗議も出来ず、わたしは後ろ手に手を振りながら去って行く沖田くんを見遣るしかなかった。

なんて人なんだろう、酷く軽ノリでそれでいてまるで自然体。

甘いマスクに少し漂う色気はとても同じ年には見えず、恐らくはモテるのだろうし下手すれば取り巻きも何人か居そう。

そんな風に思いながら小さくなっていった彼の後姿が廊下の先で曲がったと同時、わたしは聞き覚えのある彼の名前を何処で聞いたのか思い出した。

そうだ、クラスの女の子が騒いでたっけ、格好いいって。

確か沖田くんと、クラス長の斎藤くん、この2人が隣のクラスでは人気を二分していて、うちのクラスなんて芋畑なのにどっちかひとり欲しいよね、なんて昼ご飯中に話していたのを聞いたことがあった。

今更思い出すなんて何たる失態、だけど思い出したところで何だというのだろうか。

わたしは別に沖田くんに好意を寄せているその他大勢ではないし、彼が言ったように告白しに来たわけではない。

ただ単にこのプリントを届けるように言われたからこうして痴女扱いされながらも声を掛けたというのに、それなのにあんな扱いされるなんて心外だ。

思いながら深く溜息を吐けば同時に耳に聞こえるチャイムの音、休み時間も終り、早く教室に戻らなければと踵を返し、だけど未だ手の中にあるプリントがどうにも引っ掛かってわたしは胸ポケットに差したままのボールペンを手に取るとプリントの隅にペンを走らせた。

それから彼の席だろうこの一番前の一番端の机の上にそっと乗せる、これで御終い。

あとはどうにか誤解を解きたいなぁなんて再び溜息を吐きながら歩を進めて教室に戻ってみたけれど、授業が始まっても問題を解いていても、彼が触れた頭部の温かみが消えずぼんやりと外を眺めていた。










掃除が終われば日誌を付けるのが今日の最後の仕事、別にクラス長が付けなければいけないわけじゃなくて今日は偶々日直と被ってしまったものだから酷く忙しかった。

それでも案外休み時間にパタパタとするのも億劫じゃないし、何よりもクラス長をやっていればその他の委員会や学園祭の準備のときに変な役に当たらなくて済むから楽だったりする。

プリントを配ったり集めたり先生の雑用を手伝わされたりみんなに伝令したり、最初は面倒くさいことだらけだな、なんて思っていたけれど3ヶ月も過ぎれば何てことはない。

こんなんで内申が上がるんだったら毎年やっても構わないな、なんて少し不謹慎なことを思いながら掃除項目にチェックを付けているときだった。

ガラリと鳴ったのは後方の扉、誰かが戻ってきたのだろうかと一瞬意識が後ろに行ったけれど此処は教室、誰が出入りしたところで問題などないとそのままペンを走らせて。

だけど入ってきた誰かの足音が静かに近づいてわたしの斜め後ろでぴたりと止まり、日誌を覗き込むように影が机に落ちたからほんの少しだけ気になってゆっくりと顔を上げてみた。

そういえば前にもこんなシチュエーションがあった気がする、誰も居ない教室に誰かが入ってきて後ろから日誌を書いているわたしを覗き込む。

確かあのときの犯人は永倉先生だった、それ終わったら暇か?悪ぃんだけどちょっと手伝ってくんねーか?なんて倉庫の掃除を手伝わされたっけ。

流石に今日はそこまでしたくない、そんな気持ちで恐る恐る見上げて見ると同時、



「ねぇ、もう少し綺麗な字で書けないの?」

「…………」

「女の子って字が綺麗なイメージなんだけど、全員ってわけじゃないんだね」



聞こえた声と視界に映った顔は数時間前、わたしをとんでもない軽ノリであしらった沖田総司その人だった。

片手にはわたしが机の上に置き去りにしたはずのプリントを持って、まるでわたしに見せ付けるかのようにずいっと腕を持ち上げてみせるその行為。

口許は緩い曲線を描いていて、だけど見下ろされている所為かいい印象がない所為か、その眼は少し怖く見える。

というか、何で来たの、この人。



「た、立ったまま、書いたから……」

「ふぅん……その日誌の字もあんまり変わらない気がするけど」



読みづらい字、そう言い放つ彼はそのままわたしの席の隣の椅子を引いてさも当たり前のようにそこへ腰掛ける。

それからもう一度わたしが走り書きした文字を見ているのか、それともプリントの内容を見ているのか、表情からは全く読み取れないけれどプリントに視線を落として口を閉ざして。

何しに来たの?もしかして字が汚いなんてそんなことを言いに来たの?それだったら激しく失礼だとわたしは眉間に皺を寄せた。

確かにわたしの字は癖字だ、ギャル文字とかそういうんじゃないにせよ少し近いものがある。

パッと見は読み辛いだろうし立ったまま急いで走り書いたそのプリントの文字なんて、もしかしたら解読するのに頭を捻ったかもしれない、それは申し訳ない、素直に謝る。

でもね、わざわざそんなことを言いに来たのならば性格が悪いんじゃないかと正直思うのだ。

わたしはただあなたのクラスの担任、土方先生に頼まれて話したこともないあなたにわざわざ届けに行ったというのに、痴女扱いして取り巻き扱いした後、今度は字が汚い?流石に大らかなわたしでも顰まる眉が治らない。

解るよ、言いたくなる気持ちも解る、永倉先生にですらお前の字はミミズがのたくった様な字だな、なんて笑われたし、文句のひとつくらい零したくなるのだって解る。

だけどね、だけど、本当にわざわざ言いに来ることないと思うんだ。

そう思いながらもとりあえず先にこの日誌を終わらせなければいけないと、手を動かし、それから終わったと同時にパタンと日誌を閉じると小さく深呼吸をしてもう一度彼の方に振り返った。



「ねぇ、」



声を掛ければプリントに視線を落としていた沖田くんの眼球がちらりとわたしを見上げる、俗に言う上目遣いというやつ。

そんな一瞬の仕草に思わず心音を高鳴らせたのはやっぱり格好良いからだ、女の子が騒ぐのも無理はないと思う。

綺麗な肌に整った顔立ち、さらさらの栗毛に青葉色の眼、たった一度、真っ直ぐ視線を送られただけで耳許を暑くさせるなんて、これじゃあ彼の思う壺だ。

違う、わたしは沖田くんが好きなわけでもないし、何よりもあなたその性格どうなのよって一言言ってやりたいし、いつまでそこに居るのか意味が解らない。

だから意を決して口唇を開いた、何しに来たの?って。



「もしかして字が汚いなんてそんなこと言うために来たの?」

「それもあるけど?」

「……それも?他に何が、」



痴女、勘違い、字が汚い、それ以外にもまだあるのか。

思わず更に寄せてしまった眉間の皺の所為できっと酷い顔をしている、だけど沖田くんはそんなわたしを見て口角を上げると持っていたプリントをもう用無しだというようにふたつに折って、



「愛の告白を聞きに来たんだけど」

「え………?」

「そのまんまの意味だよ」



君は可愛いから付き合ってあげてもいいけど、どうする?

言いながら、ポンと頭に乗せられた手はさっきと同じ体温、それから突拍子もない彼の言葉に耳から頬、首まで一気に真っ赤に染め上げたのは紛れもなくわたし。

何言ってるの、この人、頭大丈夫なのかな?そうやって女の子誰でも思い通りになると思ったら大間違いだよ、なんて睨み付けてやろうとした、だけど。

どうする?、と笑みを浮かべながら小首を傾げ、まるで君の出すべき答えはひとつだけだよ、そう言われているような問い掛けに理不尽だと思いながらも頷いてしまったわたしは、一体どうしたと言うのだろう。










その瞳に囚われる





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