アリスは白兎と出会う
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あの日突然現れた白兎。
赤と黒のチェック模様のベストを着て、人語を理解し「急がなきゃ」と口癖のように発する様は、さながら本物の人間のよう。
「あああああ―――っ! もうこんな時間なんですか。遅刻だ遅刻だ女王様にバレたら処刑されてしまうっ!? 大変だ大変だっ」
首から下げている大きな懐中時計を、チラチラと気にしながら駆け回る白兎の姿に、少女はただ唖然としていた。
天気が良いからと、休日の学校に忍び込んで、裏庭の木の下でゴロゴロしていた矢先にこれだ。
どうやら寝惚けていたらしい。いつの間に寝ていたのだろうか。
「急がなきゃ急がなきゃ」
兎が言葉を発するなんて普通はありえない。あるはずがない。
そうだ、これは夢だ。夢なんだ、と思い込ませるように目を閉じて寝ようとするが、思うように寝れない。
「こんなとき"アリス"がいてくれたら。なんとか誤魔化せるのですが――…」
うるさく忙しなく駆け回っていた白兎が急に立ち止まったと思ったら、しょぼんと肩を落としてピンと立っていた長い白耳が垂れ下がる。
「急がなきゃ」の次は「"アリス"」と呟き始め、少女はため息をついた。
覚悟を決めるように一度深呼吸をすると、白兎に近づいてその目線に合わせるようにしゃがみこむ。
「ねぇ、うさぎさん。何かあったの?」
「むむぅ? 貴女は…」
少女の声に気づいた白兎はゆっくりと顔を上げ、赤い目をぱちりと瞬かせる。
「………"アリス"」
「は?」
人の顔を見るなりそう呟いた白兎。目を爛々と輝かせ始め、少女は一瞬怯む。
「これなら、これなら女王様に怒られませんっ!! ああ、なんてボクは運が良いのでしょう」
嬉しそうにぴょんぴょん跳び跳ねる白兎に、嫌な予感を感じ取った少女は、ゆっくり後退りする。
すぐにこの場を離れなければ後悔する。早くしなければ、と自分の足を叱咤するが、思うように動いてくれない。
「ボク、ずっと待っていました。"アリス"がボクたちのところに戻ってきてくれる日を」
「ま、待って。うさぎさん…。私は"アリス"なんて名前じゃないわ」
「いいえ。貴女は"アリス"です。忘れてしまったのですか…? でも、ボクがしっかりと覚えているので大丈夫ですよ。そんなに心配しなくても」
その長い白耳は偽物なんじゃないか。「違う」と言っているのに聞き入れてくれないなんて。
「さあ、"アリス"。帰りましょう?」
「い、意味がわからないわ。帰るならうさぎさんだけが帰ればいいでしょ?」
じりじりと距離を詰めてくる白兎に、底知れない恐怖を感じた。
そして少女は悟る。
決してこの白兎からは逃れられないのだと――――
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