アフター・ファースト・キス

なぁ、キスしないか。

突然そう誘ってきたのは、無二の幼馴染であり良き友である、幸村精市だった。



壮絶を極めたあの全国大会を終え、部活はそろそろ世代交代へと進みはじめている。ようやく一段落つき、3年のレギュラー陣は残された部での時間を楽しんでいた。どこからか楽しげな笑い声も時折聞こえる。大会前のような張り詰めた空気感はなく、かといって緩み過ぎているわけでもない。ふざけ合っていると副部長に喝を入れられることは変わらないけれど、それすら楽しんでいるような雰囲気。

それでも、三連覇を成し遂げられなかったという事実は誰の背中にも重く張り付いていた。



幸村が言い出したのは、そんな秋の日のことだった。



いつも通りに部活を終え、並んで歩く帰り道。幸村が部活のことや今日学校であったことなんかをとりとめなく話し、真田はそれを静かに頷きつつ聞く。そうしているうち互いの家への別れ道になってまた明日、というのが常であった。しかしその日は、いつもは比較的多弁な幸村が黙っていた。時折、少し空を見上げたり俯いたりして何かを考えているようではあったが、一言も言葉を発しない。ただ、ゆっくりと歩いているだけ。どうかしたのであろうか、と幸村の顔を見ると、見つめ返された。と、同時に彼の唇が開く。



「なぁ、キスしないか。」



唐突であった。声を耳で捉えても言葉は頭へ届かず、呆気にとられるばかりの真田の目をまっすぐに見て、幸村は続ける。

「俺とキスしてみないか、って言ってるんだよ。なあ真田、聞こえてる?」

キス。口づけ。接吻。そのような単語が、目の前の友人から発せられている。しかも、それを自分としないかと誘っている。状況が理解できても、消化しきれない。掻き回される頭で、真田はようやく返事をした。

「何を、言っているのだ」

これが精一杯だった。当たり前だ。友人から突然キスをしないかと持ちかけられているのだ。理由を聞かないほかはない。彼は一体どうしてしまったのか。まさか、全国大会の決勝で負けたショックで気が触れてしまったのではないだろうか。そんなことを考えて冷や汗を流す真田をよそに、フフ、と幸村は笑って答える。

「大した理由じゃないよ。俺、キスなんてしたことないからさ、どんな感じなんだろうなって思っただけ。ごめん、驚いた?」

クラスで恋愛についての話をしている男子がいて、中学生のうちにファーストキスくらいしてみたいよなあ、なんて言っている者がいたというのだ。これを聞いて、そんなにしたがるなんてどんなものなんだろうなと思った、と。肩透かしを食らった気分とはこのようなことだ、と真田は思った。歩みを止めると、幸村も止めた。彼の目を見て、視線をゆっくりと唇へ下ろす。ますます混乱して、しどろもどろなことしか言えない。

「あッ、当たり前だろう!突然何を言い出したかと思えば…第一、せ、接吻というものは愛し合う者同士がするものだろう!」

「そうと決まっているわけじゃないよ。家族とする人だって大勢いるだろ。大切な人、信頼する人にしたっておかしくないよ」

「しかしッ…急いでファーストキスとやらをする必要はないだろう!」

「身近で信頼できる相手とするのが一番いいと俺は思ったんだけどな」

「いずれ大切に思う恋人ができるだろう、そのときにすれば良いのではないか」

「真田は俺とキスはできないと思っているのかい?」

真横の線路を緑色の車体の電車が通り過ぎた。風が髪を揺らす。ひとつ息を吐いて、幸村が向き直る。

「友達だから、同性だから、他にはなんだい?俺は、キスをしたくらいで変わるような関係をおまえと築いてきたつもりはないよ」

キスをしたくらいで変わる関係。言われてはっとした。確かにそうかもしれない。唇を重ね合わせる行為のひとつだけで、俺たちの何が変わるというのだ。10年かけて積み重ね、築き上げた友情はその程度でどうにかなるわけでもあるまい。幸村の言葉は、真田にそう思わせてしまう魔力を含んでいた。

「む…一理あるかもしれんな」

「どう?する気になったかい?」

微笑んで聞かれる。もう一度、幸村の唇を見る。きゅっと結ばれ、上がっている口角。女はおろか、男の口なんてまじまじと見つめたことはない。自分のそれを重ねる想像をしてしまい、我に返る。けしからん、たるんどる。

「わかった、だが公衆の面前だぞ。いくら俺たちは良くても見られたら何を言われるかわからんぞ」

「大丈夫、誰も来ないよ。真田もわかってるだろ、ここ人通り少ないんだから」

さ、今のうちに、と幸村は目を閉じる。そうか、目を閉じるものなのか。少し背伸びをして真田に背を合わせてくれている。そっと顔を近付けていく。



重なった。



離して目を開ける。言われた通り、特に幸村に対する感情に変わりはなかったが、柔らかい感触が妙に残る気がして、自分の唇を撫でる。ほんの少し前、目の前の友人と重ねていたもの。なんとなく足元にやっていた視線を上げると、本人も至って普通という表情だった。いつもの彼だ。

「真田、どうだった?」

「よくわからん。ただ、幸村の言う通り変わったことはない」

「そうだね、俺もだよ。皆がしたがる理由は見つからなかったな」

幸村は残念そうに言うと、ため息をついて口を尖らせた。その唇が、先程よりも色づいて見えて、慌てて目を逸らす。おかしい、キスをした直後は何も感じなかったではないか。誘われたときのような冷や汗が額を伝う。秋風がやけに冷たい。



ああ、俺はどうにかしてしまったのか。


........

Tumblrに置いていたものその3。
付き合ってない真幸のファーストキスの話です。ちゅーの話なのに甘くもなんともない…


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