昔の話をしようと思う。

あれは、倉間が小学校に上がってからしばらくたった、ある秋の日のことだった。






その日、倉間はいつもとは違う帰り道を歩いていた。
特に理由はなくて、ただなんとなくそういう気分だったのだと思う。
あまり中身の入っていない真新しいランドセルを背負って、今日の晩御飯の事を考えながら手前の角を右へ曲がって、その次の角を左へ。
そうして次の角をもう一度左へ曲がれば、あとはまっすぐ自分の家に繋がる一本道を進むだけ。
少しだけ足を速めて、最後の角を左に曲がる。
そこで、倉間の歩みは止まった。




目に映る光景は、ただひたすらに奇麗だった。
ひらひらと舞う花びらは真白で、その純白の中に佇む大樹は神聖さを感じさせる。

「さくら?」

そう呟いて、おかしいと思った。
今の季節は秋だ。
秋に桜なんて咲くわけがない。
今思えば、あれは狂い咲きの桜だったのだろうけれど、まだ幼かった倉間はそんなこと、思いつきもしなかった。

一歩ずつ、引き寄せられるように倉間は大樹に近づいていく。
太い幹の前に辿りついて真上を見れば、視界が再び真白に染まった。

もう少しだけここにいよう。
心のどこかでここにいてはいけないと感じながら、倉間はかえりたいとは思えなかった。
幹を背に地面に座る。
ぼうっと落ちてくる花びらを見ていると、だんだんと瞼が重くなってきた。
ちょっとだけ。ちょっとだけ眠ったら家に帰ろう。
遅くなれば母には怒られてしまうかもしれないけれど、そのときはそのときだ。
そのまま目を閉じて、倉間は意識を手放した。
















目が覚めると、透き通った黄色が二つ、目の前にあった。
それが目玉と気付いたとき、倉間は早く帰っておけばよかったと後悔した。


それはそれは奇麗な蛇だった。
頭上から絶えず降り注ぐ花びらと同じ、真白の大蛇だった。
しかしどれだけ美しくても蛇は蛇。
しかも大きさは規格外。
逃げなければいけないと本能が告げているにもかかわらず、倉間は瞬きすらできなかった。
二つの黄色い目玉が近づいてくる。
口から覗く赤い舌が倉間の頬に触れた。
反射的に目を閉じようとするけれど瞼が言うことをきかない。
左の眼球に蛇の下が触れた。
かすかな痛みのあと、眼球が熱をもって疼きだす。
まるでそれ自体が別の生き物になってしまったように。
疼きのやまない左目を手で押さえると生温かい感触が手に広がった。
手から溢れ出た一滴が膝に落ちて、ズボンに赤い染みを作る。
血だ、と思った瞬間に倉間の意識は再び途切れた。











二度目に目を覚ませば、見慣れた白い天井が倉間の目に入ってきた。
辺りを見回すと、倉間の私物が転がっている。

「おれのへや・・・」

なんで、部屋にいるんだろう。
さっきまでたしかに自分は外にいたはずなのに。

「ゆめ、だったのか?」

夢。あの大きな桜の樹も、馬鹿でかい蛇も夢だったのか。
たしかに、現実ではありえない光景だった。
でもそれにしてはやけに現実感があったような気もする。
悶々と考えていると、階段を上がってくる音がした。
部屋のドアが開かれ、母が入ってくる。
倉間の顔を見た瞬間、母の顔が安堵に染まった。
よかった、と言う母に首を傾げる。
母が言うところによると、晩御飯の買出しから帰ってきたら玄関前で自分が倒れているのを発見したらしい。
急いで救急車を呼んで医者に診てもらえば、熱は高いがただの風邪ということだったそうだ。
やはりあれは夢だったのか。
良い夢だったのか悪い夢だったのかはわからないけれど。

もう大丈夫なら顔でも洗ってきなさい、という母に促されて洗面台の前に立つ。
左目にかかる長さの髪をピンで留め鏡を見た。

「うそだろ」

夢の中、蛇に舐められた眼球が鏡に映る。
鏡の中のそれは、あの蛇の目そのものだった。

























「それは蛇の祝いかもしれませんね」

それまで倉間の話を黙って聞いていた松風がそう言った。
呪いの間違いじゃねえの、と返せば、その可能性もちょっとはありますと返される。

「でも、白い蛇だったんでしょう?」
「それに『でかい』っていうのも付くけどな」
「白蛇は神の御使いだって言うじゃないですか」
「・・・おれ、この目になってから碌なことなかったぞ」

倉間の左目が松風の言う『蛇の祝い』とやらにかかってから、倉間には変なものが見えるようになった。
変なもの。
世間一般に言う幽霊とか妖怪とか、まあそんな類のものが。
別にあちら側から危害を加えられることはそこまで無かったけれど(あっても追いかけられるくらい)、流石に内臓やら目玉やらその他グロテスクなものがはみ出ているままの幽霊とか、ぐちょぐちょした化物とかはあまり見たくない。

「まあ、たしかに俺もそれは見たくないですけど」
「けど?」
「俺はその白蛇さんにありがとうって言いたいです」

嫌味かと睨めば、松風はにへらと笑う。

「だって、俺が今こうやって倉間さんと話せてるのはその白蛇さんのおかげですから」

松風の手が倉間の左目に触れる。
暖かな指の感触はなく、冷たい感覚が左目に染みた。
触れないのが残念だ、と松風は言う。

「そりゃあ、おまえとっくの昔に死んでるからな」
「あと五十年くらい生きていられたら、人間のまま倉間さんに会えたんですけどね」
「五十年って、会えてもおまえ、じいちゃんじゃん」
「それもそうですね」

じゃあ、今度生まれ変わるときは倉間さんと同じ時間を生きたいです。
そう言って松風はまた笑う。

「じゃあ、おれが死ぬまで一緒にいろよ」

おれの傍でおれが死ぬのを見届けてくれ。
そうしたら、おれが死んだそのとき、すぐに一緒にあちらに行けるだろうから。
頬を染めて、はい、と松風が返事をした。
今更ながら自分の言った言葉に気恥ずかしさがこみ上げてくる。

松風はこの左目を「蛇の祝い」だと言ったけれど、倉間はやはり呪いだと思う。
好きな奴の姿は視えるのに、触れることができないなんてとんだ拷問だ。
神の御使いだがなんだか知らないが、ちょっとけちりすぎじゃないか。
なんて、心の中で愚痴ってみる。

倉間が抱える最大の問題は、どうやったら幽霊に触れることができるのかということだった。




祝いの話




20140731







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