色艶4

Side:Marco



おれが顔を寄せると、恥ずかしがって俯くから、顎の下へ指先を滑り込ませた。
このまま後方へ逃げられては堪らない。
もう一方の掌を後頭部へと添えると、観念したのか腕の中の☆☆☆は大人しくなっていく。
指先で促すまま、ようやく☆☆☆の顔が見える程までに上を向かせていくと、なるほどと納得した。
頬が赤く染まっている。
それも、だいぶ赤い。
頬だけじゃねェ。
恥ずかしがってんのがよくわかる、おれのシャツを掴む☆☆☆の指先。
さっきから強めに引かれる感覚が、肌を滑りくすぐったい程だ。
目の前には、いかにも体に力を込め、若干震えておれのキスを待つ好きな女の姿。
止められるわけ、ねェだろうよい。
これが初めてなんだとしても、止められねェ。
だったら、せめて…。
シチュエーションだけでもとは思ったが、ただの船室。
何かがあった後だとか、ロマンチックな背景だとかそういった類のものも一切ねェ。
だがもう、それは我慢してもらおう。
おれが。
今目の前にいる、☆☆☆の姿に胸が破裂してしまいそうだから。
我慢が効かねェ。
相変わらず、手の中で震え、きつく瞼を閉じている☆☆☆の顔を見つめながら、せめて少しでもと声色を下げて呟いた。


「好きだ…」


逆効果だったか、より一層身を固く縮めてしまう☆☆☆。
いや、そんな筈はねェ。
大丈夫だ。
このまま、距離20センチ、10センチ、…5センチ…3センチ…。



触れる直前で、ハッと気が付いて飛び起きた。
周りを確認すると、さっきと同じ自室で。
違うのは、おれがベッドの上に座っているという事実だけ。
もちろん、☆☆☆の姿もねェ。
…夢、か。
思わず布団を捲って中身を確認したが、どうやら無事のよう。
はぁ〜…。
さすがに、情けねェ。
なにやってんだい。
時計を見ると、いつも起きている時刻よりもだいぶ早い。
だがもう、二度寝する気にはならなかった。
目を覚ます為、シャワーでも浴びに行くか。
それに余計な雑念、エロ心も流しちまおう。
このままベッド上で朝を迎えるまで待つなんて、身が竦む思いだ。
軽く身支度を整え、部屋を出ると廊下でイゾウと出くわした。
朝だというのに、着物をしっかりと着こなしている。
いや、朝だからか?
船の廊下だと陽の光が届かねェ場所もあるからなァ。


「どうした、こんなに朝早く」
「ちょっとな…目が覚めたんだよい」
「珍しいな」
「おまえこそ、こんな早くにシャワーかい?」
「おれは毎朝浴びているぞ」
「イゾウ…頼みてェことがあるんだ」
「それも、珍しいな」
「ちょっと長めにシャワー浴びるかもしれねェ、万が一ん時は…」
「拾い上げてやろう」


それも珍しい、とイゾウは楽し気に笑った。
確かに。
こんな情けねェことをクルーに頼むことになるとは。
今までシャワーを浴びる際、一度だって倒れたことなんかねェ。
だが今朝においては、その自信すら失くしていた。
夢にまで見ちまう程に、恋しく思う女なんか初めてだ。
女を裸でベッドに組み敷いて、最後までやらなかったのだって初めてだ。
それに…クルーを殴ったことだって。
初めてのことが続き、戸惑っている。
それなのに、どこか心が躍るというか、楽しい気分になっているから不思議だ。
せっかく感傷に浸っている気分なのに、風呂場まで行く途中の左右の個室からは、けたたましい鼾が鳴り響き、おれの情緒を壊していく。
まァこれも、日常か。
らしいな、とは思った。



**********



「まさか、本当に倒れるとはな」


もうすっかり、乱れた息も整い自分で歩けてはいるんだが。
隣を歩くイゾウは未だに声を上げて笑っている。
無理もねェ。
湯だけでは雑念が流れきらず、水に換えてまでシャワーを頭から被った。
それでも足りず、長めに浴びていたのが悪かったか。
知らないうちに力を失い、後方へと体が倒れていたようだった。
床へ転がらずに済んだのは、イゾウに頼んであったから。
きっちりと背を支え、近くにある椅子まで移動させてくれたイゾウには感謝しかねェ。
だから、笑われているのは仕方のないことではあるんだが。
そう、隣で楽し気に笑われると、身の置き場がないというか、息が詰まるというか。
あまりに長く笑うから、脹脛を横から軽く蹴ってやった。
すると笑いを止めたイゾウがおれを見、そして噴き出して更に笑った。
逆効果か。


「ガキ」
「…うるせェよい」


汗だか髪から垂れた水だかわからねェ水滴が顔を流れ、それを首にかけたタオルで拭った。
この間から笑われっぱなしだ。
今のは…。
不可抗力というと格好がつくだろうか。
いや、結局は自分のせいだ。
シャワーを頭から被っている間中、結局は☆☆☆のことで頭がいっぱいで、雑念を払うどころの話じゃねェ。
長く浴びたところで、流れるどころか益々ため込む結果となっただけだった。
それ程までに…。
俗っぽく言うと、大好きだ、ということになる。
なに考えてんだい。
さすがに浮かんだ言葉に恥ずかしくなり、再度タオルで顔を拭った。

一度部屋に戻るというイゾウと分かれ、部屋に戻るにはまた貯め込んでしまいそうに思ったおれは、自室の扉を通り過ぎて医務室へ。
どのみち、今日は行く予定にしてあったんだ。
先に仕事をしちまうのも悪くねェ。
むしろ、仕事してた方が余計なことを考えずに済むのではないか。
医務室には、☆☆☆がいるのではないかという考えも過ぎった。
今☆☆☆に会ったらどんな顔が出来るだろうか。
不安に思う気持ちと、いる可能性があるのなら、会いてェという気持ちがせめぎ合い。
会いたいという気持ちの方が、無意識で勝った。
何のためらいもなく足を向けて進んでいく自分に、少し笑えた。



「…ふぁ…ッ……マルコ隊長…!失礼しました」


医務室の扉を開けた途端に、会いたいと本能のまま思った相手がそこにいた。
思わずじっと見つめてしまったが、脳を働かせてよく見ると、☆☆☆は欠伸をしている真っ最中だった様子で。
慌てて口を押えて、おれに謝罪をしている。
昨夜は夜勤だったんだろう。
そりゃ、この時間眠いよなァ。
タイミングの悪い時に入ったものだ。
おれとしては、無防備な☆☆☆の姿が見られたことに関しては、得した気分だった。
頭を下げた☆☆☆は、おれが風呂上りなことを見て、水を飲むかと勧めてきたから頷いて見せた。
水なら、脱衣所で散々飲まされたが。
それでもさっきの失態を何とか誤魔化そうと、おれの為に棚や冷蔵庫を探る☆☆☆の姿を見るのもいいものだ。
あまりじっと見つめるのもよくはねェか。
同じ空間に居て、目を離すのは些か勿体ねェんだが、仕方のないことだ。
おれはいつもの定位置、医務室のおれの机まで移動した。
腰を下ろすとそこには、昨夜までに完成させたんだろう、医務室勤務のナースや、医師が提出することになっている書類が置かれている。
その横には、業務日誌。
それに、医務室を訪れたクルーのカルテの束。
ひとつひとつに、目を通すのもおれの仕事だ。
ついでに時々、定期的に現れる仮病のヤツを探り出し、蹴り飛ばしに行くまでもおれの仕事だ。
バレずにいれると思うんかねェ。
そこは毎度不思議だが。
この数日もいるのだろうか。
興味本位で先にカルテに目を通し、三枚目に差し掛かったところで、☆☆☆がこちらへ歩いてくる足音が聞こえた。
先程から、部屋の隅で何かごそごそと、物音がしているのをくすぐったく耳にしていたものだ。
そろそろ来るだろうことはわかっていたが、実際にこちらへ向けて歩み寄る姿ってのも、いいなァ。


「お水、冷蔵庫に入っていたので冷たいと思います」


机の上に、小さな音を立てて置かれたガラスコップ。
見上げると、☆☆☆がニコニコと嬉しそうにおれを見下ろしていた。
コップにはちょうどいい量の水が入り、部屋との気温差からすでに表面には曇りが出来ている。
見ると、☆☆☆の細い指の跡が残っていた。
おれのそれを重ねると、完全に隠れてしまう程の小さな手の跡。
コップを持ち上げ、中の水を一気に喉へ流し込むと、よく冷えた水が喉を通るのを感じられる程、冷たかった。
火照った体にも丁度いい。
中身を一気に飲み干し、同じ個所へコップを戻した時、今度は☆☆☆が別のものをおれへと差し出していた。


「これも、目を通して頂けますか?」


両手で持っておれへ向けてきている書類。
ところどころ、付箋がはみ出している数枚の紙の束だった。
そういえば、これは…。
確か一昨日、別のナースから受け取ったものだったと記憶している。
数字のミスが数か所あり、直せと一旦返したものだ。
何故、☆☆☆から?
疑問は沸いた。
だがここで受け取らなければ、困るのは☆☆☆だろう。
片手を伸ばし、書類に手をかけて受け取ろうとした瞬間。
互いの、指と、指が、触れた。


「す、すみません…ッ…」
「いや、おれが…」


☆☆☆は慌てたが、さすがに書類をすぐに離すことはしなかった。
おれがきちんと手にし、受け取ってから離したから床に散らばるなんて参事にはならずに済んだ。
触れていた時間は、少しだけ長かった。
というよりも、おれの指が☆☆☆の手の甲を滑り、書類を掴むまでの間だった。
おれの前に立つ☆☆☆は、胸の前で両手を重ね、触れただろう箇所をもう一方の手で覆っている。
その頬は赤く染まり、困ったように眉を下げていた。
おれは、というと。
書類を受け取った体制のまま、動けずにいた。
ドクドクと脈を打ち、心臓の辺りが痛ェ。
自分の呼吸音と、心臓の音。
やたらでけェんだが、☆☆☆にも聞こえてるんじゃねェのかい。
そんな風に思える程、全身を巡る音だった。
この間、手を取られて移動をしたじゃねェか。
手当ての後、☆☆☆はおれの手を握っていた。
あの日だって、壁に隠れて身を寄せあっていたし。
それに…もっとすげェこと、あの晩にしただろう。
それなのに。
偶然手が触れただけで、こんなにも。
胸が締め付けられるように痛ェ。
さすがにじっと黙ったまま見つめ合うのも照れくさくて、何かしねェとなと考えると、丁度よく手元に書類。
付箋が幾重にも貼ってあり、注意する箇所が定められていた。
書類を身体に引き寄せ、それに目線を落とす。
そこでようやく、視界を支配いていた☆☆☆がそこから消えた。
それまでは、じっと見つめていたということになる。
当の☆☆☆本人も、ずっとその場から動かずにいた。
いや、おれが見ていたから動けずにいたのか。
どちらかはわからねェ。
確認のため、もう一度顔を上げて☆☆☆を見た。
瞬間、心臓が破裂でもしたんじゃねェかと思った。
呼吸さえ忘れる程、☆☆☆の表情に魅入った。
頬どころか、耳まで赤く染まり。
下がった眉。
全体的に、はにかんだような優しい表情で笑みを浮かべている☆☆☆は、美しかった。
ほころんでいる、といった表現が正しいんだろうか。
またしても、その場で硬直してしまうおれ。
目が合った瞬間から、☆☆☆の顔が蒸気したように真っ赤に染まっていく様まで、しっかりと見ることが出来た。
また見つめ合うのも得策じゃねェんだが…。
☆☆☆もそう思ったんだろう。
今度は☆☆☆の方が動いた。
弾かれたように急速な動きをして、深々と頭を下げた後に、空にしたコップを持って急いでシンクの方へ。
今までナースは全員同じ服で、後ろ姿は全員同じかと今まで思っていた。
だが、全然違うんだなァ。
焦っている雰囲気も、照れている様も、しっかりとその背に浮かんでいる。
短いスカートも、今思えば悪くねェ。
ここまで考えて、またしてもずっと☆☆☆を目で追っている自分に気が付いた。
何、やってんだい…。
静かな部屋には、☆☆☆がコップを洗ってくれている音。
そこに自分の深いため息が響き渡った気がした。

手にした書類を確認すると。
数値が全て手書きなんだが、付箋の箇所、ミスをしていた部分だけ字が違う。
やはり何らかの理由で引き継いだのだろう。
付箋など付けなくとも、おれは覚えてはいるんだが。
それでも付箋に導かれるまま、訂正箇所を確認すると、きちんと全て正しい表記に直されている。
それも、間違いなく、だ。
加えて、細かな箇所も訂正されているところがある。
おれが指摘してはいない箇所だ。


「医務室の書類、完璧だよい」


見終えた書類を机の上に乗せ、コップを洗い終え薬品棚に移動しようとしている☆☆☆に声をかけた。
頬は赤いままだが、さっきのいわゆる真っ赤な状態からは落ち着いているようだった。
さっきとはまた別の、仕事用の笑みを浮かべて返事をする様は、もうすでに医務室勤務のナースの姿。
薬品棚から薬を取り出しては、机に並べていっている。
ああ、朝のルーチンワークか。
これが終われば、交代が来る時間で部屋に戻れる筈だ。
さっき欠伸もしていたことだし、相当眠いだろう。
すっかり乾ききった髪全体を一度撫で、首に掛けていたタオルを椅子の背もたれに乗せて立ち上がった。
☆☆☆の方へと移動する。
そのおれの行動に、驚きを隠せない☆☆☆は不思議そうな表情でこちらを見ていた。


「手伝うよい」
「はい、……え?い、いや、あの…隊長にも他にお仕事がありますよね!?」
「水の、礼だ」
「たいしたことじゃないのに…、あの、本当にすみません」
「いいや、風呂上がりの冷たい水は最高に美味かった、ありがとよい」


おれが棚から薬品を出し、個数の確認を☆☆☆がする。
数を数えているがゆえに、会話は時々途絶えはしたが、それでも普通に、この間拒絶された時とは全く違った雰囲気で話が出来ていた。
それに、気が付いたことがひとつ。
うちのナースは、決まっているわけじゃねェんだが、クルーに対してかしこまる言葉遣いをすることが多々ある。
ここで、おれを拒絶し忘れてくれと言い放って出ていった時と、今とでは口調が僅かながら違う気がしている。
それはおそらく、気のせいではないはずだ。
くだけている、といった方がいいのか。
無論、ナース全員がそういった喋り方をするわけではねェ。
他のナースがクルーと普通に会話をしているところだって、何度も見たことがある。
ただ、おれには。
ほぼ全員、改まった口調で話しかけてくるから、いつしかそれが普通に思ってはいたんだが。
今目の前にいる☆☆☆は、そういった様子は見られず、雑談をしながら時折笑い、そして数を間違えた時には押し黙って、その後はにかんだような表情を見せている。
可愛い。
油断すると、口に出てしまいそうな程に、気持ちがあふれていきそうだ。
さっきから、おれの胸は高鳴りっぱなしで、一度も落ち着きを見せてくれねェ。
なんだい、これは。
どこのガキだ。
さっきイゾウにも言われた言葉が響く。
そんなのはおれ自身一番よくわかっていた。
だが、止められねェ。
止められるか?
真剣に個数を記載していたかと思えば、おれを見上げて目が合うと、頬を染めて笑うんだ。
たまんねェだろう…。
今にも、薬品棚のガラス扉を、叩き割りそうな気分だ。


「マルコ隊長のおかげで、あっという間に終わりました」
「そりゃあ、よかったよい」
「ありがとうございました」


抱きしめたくなる気持ちを必死に押し込めている。
薬品を棚に戻す際、瓶を掴む指先のなんと細いことか。
上段にしまうものはおれが、下段は☆☆☆が、と作業を分けてはいるが、時折腕の下に☆☆☆の頭部があったりする。
これは…。
忍耐力を鍛えられる。
今朝見た夢のように。
顔を上へ向かせて、キスがしてェ。
いや、何考えてんだよい。
それじゃ、あいつと…あの男と何ら変わりねェ。
落ち着け…。
本当に。
おれが葛藤している間にも、薬品はどんどんしまわれていく。
そして最後の瓶を棚に収め、扉を閉めた時に、同じくして医務室の扉が開いた。
顔を覗かせたのはデュースだった。


「うー…っ、っす……あれ、マルコ隊長、何やってんですか?」
「手伝いを、ちょっとな」
「へ…ぇ?…☆☆☆、なんか変わったことはあったか?」
「3時頃、一人いらっしゃいましたが、酔ってナイフで指を切ったと……」
「んじゃいーや、すぐ日勤のナースも来るから、もう上がっていいぞ」
「お前なァ……引継ぎそれで終わりかよい」


あまりにあっさりと目の前で繰り広げられた引継ぎ会議。
ものの10秒程で終えてしまったそれに、思わずため息が出た。
それが日常らしく、☆☆☆も帰り支度を始めちまっている。
まァ、そんなもんか。

派手なナース服の上から、大きめの上着を羽織り、手荷物を持って扉の方へと向かう☆☆☆を見送った。
帰り際、おれの方を振り返ると、頬を染め、嬉しそうに笑みを浮かべながら一礼してから出て行った。
それを見たデュースが何か言いたそうにしてはいたが、無視して自分の机に戻り、書類に目を通す作業に没頭した。
夢よりも、触れられなかった現実の方がよっぽどいい。
あの晩感じた、女の香りが、今日は薄れてはいたが、代わりに☆☆☆独特の甘い香りがした。
それに、指が触れた時の、熱。
それがいつまでもこの身に残り、暫く消えてはくれなかった。
おかげで、全く集中できずに、いつもの倍はかかった気がする。


さすがに、さすがにだ。
どうしたもんかなァ。
深いため息が無意識に出ると、デュースが何度も不思議そうにおれを見ていた。





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