その花の名7

Side:☆☆☆



私の船での朝はとても早い。
早朝、日の出と共に目覚めて厨房に行き、すでに決まっているメニューの下ごしらえから取り掛かる。
主にやるのは肉と野菜を中心とした食材を切ること。
下ごしらえが済んだら、厨房内全員で軽い朝ごはん。
その後、何百人といるクルーのおなかを満たすための、朝食作りを開始する。
食事が終わった後は、食器洗い。
綺麗に洗って拭いて、所定の位置にしまった後は、休む間もなくお昼の準備。
海賊達は朝寝坊なのか何なのか、朝と比べると昼に食事をする人の量が断然多い。
だから、下ごしらえの量が半端ない。
とにかく午前中は、厨房から出ることはない。
昼食を終え、晩御飯の下ごしらえを終えたところで、遅番の人に任せて早番の仕事は終えられる。
晩御飯を食べ、自分の衣服の洗濯をして、お風呂に入り、ナースの皆さんと談笑した後に、部屋に戻って就寝。
これが船に降り立って三日目の私の一日だ。
明日もきっと、同じ流れにはなるんだと思う。


「ふぅ〜…」


与えられた小さな個室のローテーブルに飲んでいたコーヒーのマグを乗せて一息ついた。
靴を履いて入る部屋だったここに、ラグを敷いて座る形に出来たのは一番ありがたかった。
このスタイルが落ち着くから。
私のあの、店の上にある部屋と同じ雰囲気で。
着の身着のまま船に飛び込んだ私に、ナースの皆さんが服をくれたから着替えもなんとか間に合っているし。
いやその服がなんていうか、とんでもないものばかりで戸惑うしかなかったけれど。
一番おとなしい服だというものを数着頂いた。
それでもほとんどが、ショートパンツだったりお腹の出るTシャツだったりして慣れるのには時間がかかるだろうと思う。
それに加えて、ひとつ嬉しいアイテムも頂いた。
マルコに合わせて…。
ベルト代わりに、青いスカーフを一枚。
それを腰に巻いてみると、裾が長く伸びるからマルコと同じように横で縛る。
なんとも、即席なお揃いの完成ってわけだ。
思わず頬が緩んでしまって、その場にいた人全員に茶化されてしまった。

この数日、驚きと戸惑いの連続で、昨日なんて部屋に戻るなり倒れるように眠りについてしまった。
だけど今日は少し、体にも心にも余裕が出来て、こうしてコーヒーを一人楽しむ時間が作れている。
ふと自然に目を遣ってしまうのは、壁に掛けてあるあの日着てきた自分の服一式。
それから、テーブルの上に乗せてある、ガーデニングシザーケース。
アレンジメントの手直しに必要だっただけだから、ものすごく簡単なものしか入れていなかったけど。
愛用のハサミにペン、保存剤とか本当に簡単なもの。
そのひとつひとつを、テーブルに並べて乗せてある。
暫く、使うことはないんだろうけど…。
店はどうなっただろうか。
卸先の皆さんは、困っていないだろうか。
そもそも、レストランの支配人だけは、このことを知っていた様子もある。
気持ちだとばかりにくれたお金は、アレンジメントのお礼だと思っていたけど、もしかして?


「はぁ〜…」


今度は深いため息が出た。
指先で遊ぶように、スカーフを絡めながら、青いそれをくるくると巻いていく。
船に乗ってからというもの、自分にとってはありえない現実に、目が回りそうでついていくのがやっとで考える余裕もなかったけれど。
いや、考えないようにしていたけれど。
あの日、この船にマルコとスライディングするかのように乗り込んだ、あの日。
驚く周りのクルー達をスルーして、オヤジという船長である世間では四皇の一人でもある、白ひげの前に連れていかれて。
間近で見たのなんか初めてで、あまりの大きさと威圧感に固まってしまっていた私。
挨拶をしたのはいいけれど、何もかも理解していて面白可笑しくて仕方がないっていう表情をしていた白ひげの顔は今でも忘れられない。
意外すぎて。
もっと、怖い人なんだと思っていたから。
しかもその挨拶もそこそこに、私の部屋だといわれてここを与えられ、そのまま置き去りにされた初日。
わけがわからないまま、それでもお客さん扱いは嫌だと厨房のお手伝いを自ら申し出た。
だって、他に何も出来ないから。
戦闘員なんてまず無理だし。
船を操縦することだってできない。
っていうかそもそも、船に乗ったことだって数えるくらいしかないんだ。
花だって、この船には不要なものだろう。
ああ、でも、白ひげの部屋にあった5本の花は、マルコがあの日持って帰ったものだった。
少し元気がないようにも見えたけど、今もあるだろうか?
明日、手入れを申し出てみようかな。
花のことを考えると、少しだけ胸がチクリと痛む。
この胸の痛みの原因。

船に乗ってからというもの、初日以降、マルコの姿を全く見ていなかった。



**********



「いやァ、…これはなかなか、う〜ん…忍耐力が試されるぜ」


なんか足元にある扉を開けてるな〜とは思っていたけど。
用事があるんだろうから、体を少しだけずらして中身を取り出しやすいようにとしてあげていたんだけど。
最初は純粋に、本当に物を取るつもりではあったんだと思う。
だけど今は、私の真横にしゃがみこんで、顎に手を当ててこちらをじっと観察している姿になっているのは気のせいじゃない。
このおっさんをどうしたものか。
とにかく今は、いやらしい視線ではあるものの、何かをされたというわけじゃないから、こちらからも何も出来ない。
だけど…。
サッチ隊長が動いた。
ああ、良かった。
これで制裁が下せる。


「それ以上私に手を近づけるなら、二度と包丁が持てなくなりますよ?」


私の太ももに伸びてきたサッチ隊長の右手の掌と、私の持つ包丁の距離、僅か2センチ程のところでいったん停止する。
その言葉にピクリと反応を示した隊長の手も、その場で硬直したかのようにぴたっと止まった。
おじさんのセクハラには慣れている。
慣れてるっていうと語弊はあるのかもしれないけれど。
あしらい方なら、随分と店で学んだ。
女性に花を贈るという男性は、半数は本当の紳士だけど、その半数は下心のある人がいるっていうのも事実。
それでも、触られて減るものじゃないけど、いい気がしないのも確か。
私を見上げるサッチ隊長の額に汗がにじみ、私はわざと口元だけを緩めて笑みを向けてあげた。
そうすると、盛大なため息をつきながら立ち上がっていく隊長。
みるみるうちに身長が抜かれ、今度は私が見上げる形となる。
その手には中から出したであろう、大きなボウルが二つあった。
ああ、ちゃんと目的のものは取ったのね。
それを確認して、元の位置に体を戻す私。


「気の強ェ女だなァ、マジで」
「職場でそんなことをする方が悪いんです」
「まァ、ここに女の子がいるってだけで、目の保養になるからいーけどね」


サッチ隊長の舐めるような目線が、私の胸元やお腹、足に注がれている。
まったく、このオッサンは。
悪びれもなく大胆にセクハラ発言をするから、逆になんとなく許してしまう。
それはきっと、屈託ない笑顔のせいだろうと思っている。
今も白い歯をむき出しにして、ニカッと音が出そうな程に笑っているし。


「それより、サッチ隊長。マルコのこと、見かけました?今日とか、昨日…とか」
「あー、昨日会っ……って、え?えぇ?」


記憶を辿るように上へと遣られる目線。
そこから何かに気が付いたように私へ勢いよく向けられる目線。
みるみるうちに眉間に皺が寄り、信じられないといった様子で私の顔を覗き込む驚きの表情。
サッチ隊長は、根が素直なんだろう。
はっきり表情や行動に出るから、ものすごくわかりやすい。


「そう、会ってません。船に乗ってから一度も」
「ま、マジで?」
「まじで」
「イヤイヤ、おれはもーてっきり毎晩お楽しみで…ッ…い、ってェ!!」
「下品なこと言うからです」
「マルコも、☆☆☆も、なんでそんな下ネタに過剰反応するわけ!?」


下品極まりないことを言うから、手っ取り早く脛を蹴り上げてやった。
思いのほか強く入ったのか、演技なのかはわからないけど、脛を抑えて調理台に突っ伏してしまう隊長。
欲しかった情報は得たから、作業を開始する私。
まだまだ、お昼の分の下ごしらえは残ってるから。
出来ればもう少し、向こう側にずれたところで痛がってくれていたら、邪魔になんないんだけどな。

マルコはこの船に乗っている。
少なくとも、昨日は居たっていうことだ。
私の部屋の場所も知っている。
この船の、誰がどこの隊にいてどんな作業をしているかだって、全て把握していると聞いている。
なのに、私を訊ねてきたことはない。
私から、会いに行けということだろうか。
勝手に連れてきたくせに?
あの時、港で攫うと言われた以外に訊かれたことは、命と同じくらい大事にしているものは部屋にあるかということだけだった。
ないと答えるや否や、抱えあげられて海へと飛び出していた。
ほんと一体、なんなの?


「あー…もーちょっとだけ、優しく野菜カットしてやってくれねェかな?」


思わず怒りが振り下ろした包丁に入ってしまっていたんだろう。
ダァンと大きな音が出て、カボチャが真っ二つ。


「うえぇ、こわ…。いやあのさ、お前に言ってねェのは何でかは知らねェけど」


カッティングボードの上、ころんと転がる大きなカボチャの半分を見て、サッチ隊長が喉を鳴らして唾を飲み込む音が聞こえた。
そこから、知っている限りのマルコの行動を教えてくれたんだ。
私を一人、島から連れ出す為にマルコがずっとしていたこと。
店のことがあるから島を出られないと断った私の為に。
船の仕事をしつつだから、作業も単純に二倍になっているとのことだった。
それで食堂に来る時間も、現在進行形で惜しいと。

そりゃ、マルコのことがもうすでに大好きで、誘われた時に全部捨ててついてけたらどんなにいいかって思ったけど。
それなりに過ごしてきて、積み上げてきた生活を捨てることは出来ないと思った。
もうちょっと若かったら、何もかも手放してすぐについていけたのかもしれないけど。
信じてくれて、契約してくれた人たちをどうしても裏切ることが出来なかった。
それに本音を言うとちょっとだけ、怖かった。
海賊についていくということが。
そのくせ、港までマルコを追って泣いてたくせに。
次にいつ会えるのかって、会えないことに泣いていたくせに。
そんな私の、事情を全てマルコが解決してくれているようだった。
ああ、あの人らしい。


「あいつ、島にいる間中、ずっと頭下げ回ってたよ」
「そっか…」
「……ん」


再び、かぼちゃを着る作業を開始した私に、サッチ隊長が片方の掌を私に見せてくる。
どうやら、包丁を渡せということらしい。
作業を代わる、と。
大きな掌と、サッチ隊長の顔を見比べて、首を左右に振ってそれを拒否した。
その様子が、意外だったようで変な声が出てしまっている。


「ん、んぁ?…感動して、マルコォって部屋に行って抱き着いたり、ちゅーってしたりするんじゃねェの?」
「仕事中ですから」
「イヤイヤ、別にいーって」
「それに、まだ途中なんですよね?ちゃんと全部片付いたら、マルコから会いに来るでしょ?」
「…やっぱり、気の強ェ女」


その後も、野菜を切る作業は続けたけども。
最初よりかは、優しく切ってあげることは出来た、ハズ。
サッチ隊長も、それ以降は何も言わず見守ってくれていたようだし。



**********



夜になって。
今なら、船長が部屋にいるという情報を得たから、一人でその部屋の扉の前まで来た。
私の部屋とは、一回りも二回りも大きなその扉。
頭上遥か上にドアノブが一つ、そして私の手元にももう一つ。
誰でも開けられるようにとの配慮だろう。
見上げる程に聳え立つそれは、すでに威圧感がすさまじい。
なんだか中からする気配も、すでに殺気立っているようにも思えて、背筋が伸びる思いだった。
当たり前だ。
私は今、四皇の部屋の前にいるんだ。
意を決して、コンコンとそれをノックする。
緊張が表れたんだろう、思っていたよりも小さな音になってしまった。
聞こえただろうか?
もう一度してみる?
そんな風に戸惑っていた時に、室内から小さく返答が。
入れ、と地鳴りのように響く声色だったけれど、思っていたのと違う、それよりもずっと優しい声だった。
緊張もピークに達して震える手を抑えながら、その扉をゆっくりと開いた。


「☆☆☆か。どうした?」
「良ければ花瓶の花を、手入れさせて頂いてもいいですか?」


船長室とは思えない程、質素な部屋。
灯りだってそんなに多くない。
船長がいる椅子やテーブルの辺りだけが明るくて、それ以外はぼんやりとした間接照明のみだ。
その部屋の中心で、ひとりお酒を楽しんでいたんだろう。
大きな酒瓶に、グラス。
それからお皿にはいくつかの、酒の肴。
それに加えて、少し離れたところにある花瓶に生けてある5本の花。
船長の周りにあるのは、それだけ。
っていうか、むしろひとりで飲んでいるということに驚く。
もっとなんか、たくさんの人に囲まれて賑やかに過ごしているものだとばかり思っていたから。


「おれの部屋に花なんて笑っちまうが、マルコのヤツが持ってきたからなァ」


花瓶に生けてある花と私を見比べて、頬が緩むように優しく笑う。
事情なんてもちろん、お見通しなんだろう。
あれから数日経過しているから、確かに少し枯れてしまっているところもあるけれど。
大事にされてきたというのがわかる。
お水は毎日、変えて貰っていたようだ。
改めて船長の許可を得て、持参した水を張ったバケツや、唯一持ってきたガーデニングシザーケースと、その中身。
簡易的なものだけど、切り花の手入れくらいならこれで十分。
ハサミだって、愛用していたものだし。

テーブルの上の花瓶ごと、花を手に取ると作業を開始した。
部屋には、私が水作業をする音や、ハサミで茎を切る音。
それに加えて、船長がお酒を飲む音や、テーブルにグラスを乗せる音だけが響く。
互いに、無言だった。
私は私で、声をかけることが恐れ多いのではないかと思っていたし。
何より、話題が見つからない。
船長は船長で、もしかしたら私の作業の為に、黙っていてくれたのかもしれない。
ただじっと、お酒を飲みながら私がすることを、眺めているようだったから。

そんなに痛んではいなかった。
花を知る人、もしくはマルコが手入れしてくれてたんだろうか。
茎の根本もあれから何度か切られているようだったし、綺麗に洗われているようでもあったし。
だからそんなに特殊なことはしなくとも、手入れは無事に終えた。
最後に、テーブルに乗せる前に、恒例の言葉を…。


「この先も、船長のお部屋を綺麗に飾ってくれますように」
「その力は、悪魔の実か?…訊いたことねェが」
「いいえ、泳げるので多分違うと思います」
「世界には、おれの知らねぇことがまだまだ存在するモンだなァ」


グララララ…と楽し気に、大きな声が室内に響く。
その声はまるで、冒険をしている少年のように楽し気だ。
それにこの大きさなら、廊下や近くの部屋にまで届いているんだろう。
この船の人たちは、何より船長の健康を願っているから、笑い声が響くというのはむしろ嬉しいハズ。
なんだか、間接的にマルコを喜ばせているようで、私も嬉しかった。
誇らしげな気持ちで、後片付けをしていると、コンコンっと小さく扉の方からノック音が。
船長は、私の時にした返事と同じように、短く入れと告げている。
扉が開き、それを開けた人物は、船長と同じく楽しそうに嬉しそうで、喋りながら室内へと足を踏み入れてきていた。


「オヤジ、ずいぶん楽しそうな声が廊下まで響いていたが、何して…」


床に置いていたハサミや道具をケースにしまっていた私と目が合う。
下から見上げたその人物、扉を開いたままの姿で、驚いてその場で固まってしまっている。

数日ぶりに会う、マルコの姿だった。





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