その花の名

Side:Marco



海沿いの町ではあるが、中央付近までやってくるとさすがに潮の香りは薄れるものだと実感した。
賑やかな街並みを眺めながら、散歩がてらある店を探して昼の道を歩み進めていく。
繁華街を出歩くなんて、ほとんどは夜だからなァ。
なんだか落ち着かねェ。
それに…。
メインストリートの十字路に目的の店を発見したはいいが。
さすがに、足を踏み入れる気にはなれねェ佇まいだった。

花屋。
探している店はまさにそれで。
店の外にも色鮮やかに染まった花が飾られ、ガラス張りになっている店内にもたくさんの花がある様子だった。
だがさすがに、入りにくい。
目立つだろうが。
店先をなんだってあんなに賑やかに飾り立てんだい。
男にも入りやすいようにしとけよい。
色も鮮やかに飾り立てられた店を横目に通り過ぎること、すでに三軒目。
この町の花屋ってのは、だいたいあんな感じなんだろうか。
考えるだけで、ため息が深まるばかりだった。

そもそも、おれが花屋を探すには理由がある。
そりゃそうだろうよい。
おれが花を欲しがるかっての。
普段世話んなっているナースのうちの一人が、今日誕生日らしい。
医務室での会話中に、そういう話題を振られたら…さすがにどこの誰でも欲しいものはあるかという問いをするだろう。
それが間違いだったと、今は後悔しちゃいるが。
訊ねたおれの言葉の後に、あまり気持ちのいいとは言えない間合いが合ったと思えば。
クスクスと悪戯を思いついたかのように笑うナースに言われた欲しいもの。
花束をくれ、と。
おまけに、自ら買いに行け、と半ば強引に頼まれたもの。
だから恋人への贈り物だとか、そういう色気のある代物じゃねェから、出来るだけおとなしい店で購入をしたいと思った。


表通りには派手な店しかねェだろうと、4軒目の店を通り過ぎてから思い直し。
二本ほど路地の中へと足を踏み入れていった。
さすがに住宅街になっちまっているか。
アパートが立ち並ぶ路地は、店なんて全く望めない風景でこの路地では散歩のみで終わると思われた。
賑やかな表通りとは違い、この路地に入ってからというもの人の影すら見かけはしなかったが。
ようやくとでもいうべきか。
アパートの階段、手すりに寄り掛かるようにして座り、本を手にしている女が一人見えてきた。
田舎の町の、平和な風景だ。
そう思い通り過ぎようとした矢先、視界の端に見えたのは女の頭上にある小さな看板だった。


Bouquet of Flowers


ブーケオブ……。
花屋の看板…か?
思わず立ち止まると、本を読んでいた女もおれに気が付いた。
そして少しの間の後に、不思議そうな表情はやがて商業的な笑みに変化していき、本を閉じて立ち上がる。
スカートの裾をぽんぽんと片手で払い、おれにこう問いかけた。


「花をお探しですか?」


よく見ると、いやよく見なくとも無骨な佇まいの入口。
おおよそここが花屋だなんて誰が予想できるだろうか。
そう思わせる程に、表通りの花屋とはまるで違う雰囲気を醸し出していた。
さすがに断るわけにはいかず、その言葉に無言のまま頷くと、女はさっきの商業的な笑みから一変して、ふわりと柔らかな笑みを浮かべた。
さっきの顏よりもずっといい。
嬉しそうなその女の後に続いて階段をのぼりながら、どういうわけかそんなことばかりが脳裏をよぎった。


古い木の扉を女が開くと、さすがに花屋ということもあり甘い花の香りが鼻腔を付く。
あまり綺麗とはいえないたくさんのバケツの中には、表通りと遜色のない花の数が飾られていた。


「なんだ、本当に花屋だったんかい」
「なんと、本当に花屋だったんですよ」


心で思っただけのつもりだったが、口に出ていたようで。
さすがに失礼だったかと反省した直後、女がおれの口調を真似して返してきた。
気分を害したわけではなさそうだ。
予算だとか全体の雰囲気だとかを、基本になるのだろう数本の軸の花を手にしながら訪ねてくる。
花を選ぶ様は、さっきは暇そうに本を読んでいた姿からは想像できない程に、楽しそうだった。
おれはといえば、飾り立てられた雰囲気ではないにしろ、普段足を踏み入れ慣れていない店内に身の置き場がない思いではあった。
やがて女が手にしている花束の見た目が豪華になり、おれに確認した後に店の奥へと姿を消していった。
何やら奥の方からは、作業しているらしき音が聞こえているから、贈り物用に包装でもしてくれているのだろう。
店内に一人取り残されたおれは、どこか未だに居場所のない思いだった。
手持無沙汰は否めず、せめて店内を見渡してみる。
質素な店内は、放置されたものではなくきちんと整理整頓がされている様子だった。
それに数多くの花が咲いていて、驚くことに枯れている花は一本も見当たらない。
稼働はそれなりなのだろう。
花の名は、ひとつも知らねェがこの店の中の花は、手入れされている分どれも美しいと思った。


「お待たせしました」
「助かるよい、ありがとう」
「素敵な男性から花束をプレゼントされるなんて、羨ましいです」
「まぁ…なァ…」
「より一層、美しくなりますように」


営業用のただのリップサービスだったんだろう。
だが最後の言葉を告げながら代金と引き換えに手渡された花束は、その瞬間から女の笑顔同様、不思議なことに光り輝いて見えた。
店を出て、未だ幻想的な気持ちのまま階段から路地へ足を下ろしたが、ふと勿体ないと感じた。
あの表通りの喧騒の中にいる奴らに見せるのは勿体ねェ。
うちの無粋なクルーに見せるのも勿体ねェ。
本来の目的であるナースに渡すことすら、勿体ねェとまで思ってしまっていた。

抱えた花束を潰さぬようしっかり腕の中へしまい込むと、そのまま飛び立った。
片腕で飛ぶのは慣れてはいるものの、腕の中にあるものがまるで大事な宝石であるかのように優しく細心の注意を払って運ぶのは初めてで。
やけに緊張した。
それにどんなに大事に抱えようとも、花弁が舞い落ちるのは避けられない事実。
おれの腕の中から輝きながら舞い落ちていく花弁は、今まで見たどんなものよりも美しいと思った。


その後、無事にモビーに戻ったおれは花束をナースの元へ。
その際いくつか言葉を交わした気がするが、全く覚えてはいなかった。
ナースが喜んだか否かすら、すでに覚えてもいねェのに。
あの女の表情、そしてふわりと笑った顏だけは脳裏に焼き付いて離れねェ。
それは夜になってベッドへ寝転がってみても暫く続き、眠りに落ちるその瞬間まで片時も離れることはなかった。



**********



朝飯を食いながら、昨日のことを考えていた。
忘れられず、女に会いに行く夢まで見ていたようで、さすがに驚いて深夜に何度も目が覚めた。
一体、何なんだ…。
あの女に、何か特別な能力でも備わっているのだろうか。
そうは見えなかったし、店にも本人にも、不穏な空気も感じなかった。
では、なんだというのだ。
これまで、女を気に留めたことなどなく、そんな自分の様子に戸惑いを隠せねェ。
抱けば、他の女と同じく自分の中を過ぎていく存在になるのだろうか。
悩みながら食った飯は、久しぶりに味がしなかった。


結局、昼も過ぎて船を降り、陸に上がると無意識のうちにあの店のある路地へと進んでいた為、ここは自分に正直に、再びあの店へ向かってみることにした。
もう一度会えば、真意もわかるかもしれねェ。
もしくは、昨日は気が付かなかったがあの女には特殊能力でもあるかもしれねェ。
見極めてやるよい。

真っ直ぐ進めばあの店にたどり着く路地で。
もうすでに見えている、昨日と同じ場所に座り本を読んでいる女。
極力ゆったりとした足取りで近づいていくと、人の気配に気が付いた女が本から顔を上げた。
おれの姿が見えると、昨日同様、ふわりとした笑みをこちらへと向けていた。
不覚にも。
というのが正しいのかわからねェが、可愛いと素直に思い、心が跳ねあがった。


「こんにちは!」
「昨日は、ありがとよい」
「こちらこそありがとうございました。喜んで頂けましたか?」
「ああ、助かった」
「良かったです。お客様のそういう声が一番嬉しいです」


屈託なく笑うその顔は、今まであまり見たことのねェ表情で。
いや、遠い昔ガキの頃には見たことはあったのかもしれねェが。
ここ最近、自分の周りに集まる女で、そんな顔をするヤツに心当たりはなく。
対する女の方は、二日も連続で同じ客が来たということに戸惑いがあるんだろう、立ち上がろうか否か迷っている様子も伺える。
そりゃそうだ。
おれ自身、何故ここに来たのかはっきりとした理由なんて言えねェんだ。
他の奴にわかるハズがねェ。
それでも階段の下までやってきたおれを、客と見なすことにしたんだろう。
ゆっくりとその場を立ち上がった女と、おれの目線の高さが同じになった。
その店先の、階段二段ほどの身長差。
女もその事実に気が付き、照れくささが先に勝ったのかはにかんで笑った。
なんともいえねェ、柔らかな表情だった。


「今日も花束、お作りしましょうか?」
「いや、今日はそういう理由じゃねェんだ」
「そう…ですよね。さすがに二日連続で花束は送りませんよね」


では何の用事で店までやってきた?
おれがこの女だとしたら、絶対にそう疑問に思うハズだ。
ここはただの花屋で。
店の扉は昨日と同じく閉じてはいるものの、下の方からは水が滲み出てきて床を濡らしているから、本日も営業中だろう。
きちんと、花の手入れをしている証拠だ。

再び女へ目線を向けると、先ほどよりも少し眉が下がったような表情。
おれの返答を待っているのだろう、わずかに小首も傾げている。
先ほどの女の言葉に、おれが返事をしなければ会話なんて続かねェ。
二人の話題の共通点なんか、天気の話か、昨日の花束くらいしかないのだから。

その事実にか。
あるいは、見慣れねぇ 表情にか。
突如、自分でもよくわからねェが、欲情した。
首を傾げることでさらりと流れる細い真っ直ぐな髪の毛。
下がる眉。
女の唇は、さほど化粧もしていないだろうに、艶がある綺麗な色をしていた。
思わず、二段の距離を一段詰めて登り、距離を詰めたことで驚いて一段後退して階段を登ろうとした女の腰を片手で支えた。
そのままもう一方の手で、頬を固定させ上を向かせると、勢いに任せて、唇を重ねた。
触れた瞬間は、柔らかな感触。
だがそれを味わっている暇はなく、すぐさま身体を思い切り後方へと突き放される。
登った階段を再び、一段降りる形となった。
その後すぐに襲ってくる、強烈な平手打ち。
皮膚同士が鳴る乾いた音が、路地へと響き渡った。


「何すんのよ!」


女はそう叫びながら、おれの腕の中からその身を離して階段を登り切った後、こちらを振り返りもせずに店内へと駆けて行った。
乱暴に閉められた店の扉。
そしてすぐに施錠される音。
おれの頬に残る、女の掌に打たれた痛み。

至極、当然の反応。
むしろ、犯罪ギリギリじゃねェか。
別に記憶を失くしたわけじゃねェ。
唇が触れた瞬間なんか、鮮明に覚えている。
なぜかはわからねェが、欲情しちまったんだ。
やけに冷静で、意識ははっきりとしている。
今日はもう、女は出て来ねぇだろうなァ。
仕方なく、女が落とした本を、階段の一番上に乗せて帰った。



**********



モビーに戻ると、おれの顔を見た直後にサッチが大爆笑しやがった。
そういえば、頬が痛ェとは思ったが再生の炎は出なかった。
自分で確認してはいねェが、赤く跡が残っていたんだろう。
おれの頬を指して、腹を抱えて笑ったかと思えば、肩を組んできてまた笑う。
うぜぇ…。


「なぁなぁなぁなぁ、どうしたんだよこれ!?」
「…うるせェよい」
「ほっそい線!それにおれのと比べたらこんなに小さな掌!確実に女だろ、女だろォ!?」
「触んな」


おれの顔を触ったり、間近で笑ったり、騒がしいサッチ。
うるせェ…サッチの野郎。
あっちへ行け。
そう思っても、がっちりと首へ絡みつくサッチの腕。
こいつ、おれの部屋までついてくる気かい。
面倒くせェ。


「ヤり終えた後、すぐ帰れっつったとか?お前が帰ろうとしたとか?」
「ヤってねェよい」
「へぇ〜〜、んじゃ、宿に入ったまではいけど、寝ちゃったとか?…はっ…まさか、そっこー挿れようとか……ぶはっ」
「下品すぎだよい」


あまりに口が過ぎるため、顔を真正面から殴って黙らせた。
それでもあまり痛がる素振りを見せず。
それどころか、尚もしつこく何があったのかを訪ねてきやがる。
ようやくたどり着いた自室の扉を開くと、サッチも当然のように後ろから入ってくるからさすがにイラッとした。
この部屋は鍵も掛けなければ、入退室も自由だと公言してあるから、いつも通りの出来事といえばそうなんだが。
とてもじゃねェが、このテンションのこいつを相手にしている気分ではなく、ベッドへと直行してそこへ身を投げ入れた。
落ち着くベッドのスプリング。
全身を預けて身体を上へ向けると、サッチが酒の棚からグラスと瓶を勝手に取り出しているところだった。
長居するつもりかよい…。


「無理矢理、キスした」
「……は?…え、えぇえええ?お前が!?」


呆気に取られているサッチ。
おい、零れてんぞ酒が。
驚くのはいいが、おれを見るんじゃなく手元を見ろ。
滴る音がサッチにもようやく届いたんだろう、慌ててグラスの縁を啜ってはいたが。
啜った酒が美味かったんだろう。
啜ったついでにグラスの半分程を飲み干した後に、信じられないといった表情で再度おれを見ている。
そりゃ、当然だ。
おれ自身、自分でも信じられねェ行動だ。
昨日初めて会った女にまた今日会いに行き、同意もなしにキスまでしてきた。
それで平手打ち喰らってんだから、情けねェ話だ。
サッチは未だに興味津々といった様子でおれを伺っている。


「それで、その女はどこの誰なんだよ?」
「どこの…花屋の、女だよい」
「名前は?」
「知らねェ」
「………は…?」





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