20.海賊の女の試練

Side:***



海賊船に乗っていたら、敵船に襲われることだって珍しいことじゃない。
まして四皇、白ひげ海賊団の船なんだ、襲撃をかけられる回数だって、他の海賊の比じゃないだろう。
だけど皆強いから、子供の頃からずっと怖いっていうのはあんまり感じたことはなかった。
寧ろ、船の奥に避難している私は敵の声を直に聞くことなんて、今まで一度だってなかったから。
それ程に、誰かに追い詰められるということがなかったから。
だから今のこの状況、マルコさんがいてくれたから怯えずに済んでいたと思う。
最も、大きな声や悲鳴を聞いたらさすがに驚いてしまったけど。
こんなに間近で悲鳴や怒声を聞いたことなんてなかったから。
この程度で驚いてマルコさんにしがみついているようじゃ、白ひげ海賊団の船大工としては未熟だと思い知った。

ベックマンさんの隣の女性に銃口を向けられた時は、何事かと一瞬驚いた。
だけど背後で倒れて行く人の片手が私の髪の毛を掠めて行ったのを感じると、それ以上に戦慄した。
もしも掴まれていたとしたら、一体どうなっていただろうか。
身震いを起こしてしまい、マルコさんの身体に巻きつけている腕に力を込めた。
マルコさんも私を抱く片腕に、力を込めてくれている。


「指一本でも触れてみろ、船ごと沈めてやるよい」


聞いたこともないような、マルコさんの低い声。
脅すようなそれは、明らかに敵を意識した声色で。
こんなに怒ったマルコさんを見るのも、もちろん初めてで。


「至近距離でマトモに銃すら撃てねェやつらに、屈するとでも思ってんのか?」
「おいおい、舐めてもらっちゃ困る。当てねェようにしてやった乙女心もわからねェのか?無傷で見逃して貰えるのはてめェらの方だぜ」


ベックマンさんが吐き捨てるように言うと、さすがに怯んでいる様子の悪い人。
こういう人を悪い人だというんだと思う。
もう一度女性が気怠そうに銃を構えると、その銃口がその人の額にまっすぐ向いていたんだろう、途端に慌てだしてテーブルから足を引いてくれた。
そのまま、私達の座るソファの向こう側に倒れている人や、店内の様子を伺いながら後ずさる。


「わ、わかったよ。てめェら、引き上げだァ!」


その人の掛け声で、ソファの向こう側にいる人以外が立ち上がり、入り口の方へと全員が向かっていく。
警戒しながらだから、時折躓きながらそこへ向かう様は、やっぱりあまり強そうには見えない。


「もともとおれ達が欲しいのは酒と女だ。お前らの女には手を出さない、それでいいな?」
「いいからそのまま出ていけよい」


追い出してしまおうと思ったんだろう、マルコさんが立ち上がり、一歩足を踏み出すと、大きく震えたその人が近くにいた店員さんの首元を鷲掴みにした。


「きゃっ…」
「手ぶらでは帰れねェんだよ!」
「おい、その女から手ェ離せ」


ベックマンさんまで立ち上がったものだから、怯んだその人が後ずさっていく。
掴まれた女性は、首を腕で抱えられるようにされていて、苦しそう。
そして他のクルーが庇う中、外へと飛び出してしまって行った。
女の人が引きずられたまま、抵抗出来ずに連れ去られてしまう。


「あ、おい、…あれ店長だろ?」
「はい……店長…」
「はぁ…、この店には一週間世話になった。おれが行ってくる」
「おれ、も……ッ」


条件反射で返事をしたマルコさんが私を振り返る。
困ったように眉を下げて私を見た後、頭を撫でられ、それから改めてベックマンさんに向き直るマルコさん。
ああ、断るつもりだ。
私がいるから。
ここに置いていけない、と。
ひとりにさせるわけにはいかないと、そう思っているんだろう。


「悪いがおれはここに残るよい」
「ああ、おれ一人で十分…」
「大丈夫!私は大丈夫です」
「いや、置いてけねェだろう」
「でもあの女の人、心配じゃないですか!」
「***の身の安全が保障できねェからダメだい」
「ベックマン一人でも大丈夫だけど、不死鳥がいると心強い。***は私が守るよ」
「カルリーノは銃の名手だぞ」


マルコさんと押し問答していると、さっき銃を撃った女性、カルリーノさんが立ち上がった。
さっき使った銃をマルコさんに見せつけるようにしている。
ベックマンさんは、こちらを向いていて新しい煙草に火を付けたようだった。
私の両肩を掴んでいるマルコさんの指先に力が篭る。
目線を合わせる為に屈んでくれていて、その目が困ったように左右へと巡らされた後に…。
ベックマンさんの一言、それが決定打で。
ようやく、女性を救出に行くという流れになった。


「マルコさん、絶対絶対、気を付けて下さいね」
「すぐ戻る、…ここで待っててくれよい」
「盛り上がってるとこ悪いが、おれとお前だったら余裕で帰って…まァ…その空気壊すのも無粋か」


マルコさんがしっかりと私のことを抱きしめてくれて、私もそれを強く返す。
強いってわかってるし、大丈夫って絶対わかってるんだけど、それでも心配で。
ぎゅうっと強くしがみつくと、身体が浮いてマルコさんに抱き上げられる。
お店の入り口からはベックマンさんの呆れた声が聞こえてきてはいたけど。
そっと私のことを床へ下ろすと、ちゅっと軽いキスをしてくれた。
皆見てたけど、恥ずかしいっていうより…マルコさんの無事の方が頭にあったから。
あとできっと、思い出して照れるんだろうけど。
そのまま二人、腰を抜かしたまま置いていかれたさっきの海賊のクルーを引き摺って彼らが逃げていった方へと向けて進んでいった。
カルリーノさんと、お店の人と二人を見送り、やがてその姿が見えなくなったところで、店内へと戻った。
マルコさん…。
船も離れて知らない土地で、まさかこんなことになるなんて思ってもみなかった。
はぁ…と溜め息が自然に出てしまっていたと思う。
そんな私の背に暖かな掌が触れた。


「自分の男、信じてやりな。ベックマンもいい男だけど、あんたの不死鳥もいい男だね」
「はい、…信じてます。でもこんなこと、初めてで…」
「海賊やってりゃこんなことしょっちゅうよ。それより、お店片付けて待ってようよ」


カルリーノさんが片目を瞑って私に見せてくれる。
それが心強くて、綺麗で、少しだけ安心できた。
確かに、よく見るとお店はぐちゃぐちゃだ。
倒れたテーブルや椅子、床に散乱した割れたグラスやお皿、食べ物も散乱してしまっていて大変。
そうだね、マルコさん達を待っている間に私が出来ることは、ここを元の状態に戻すこと。
襲われた時から動けずにいる店員さんに近づいて声をかけると、強い恐怖だったんだろう、床にへたり込んだまま放心状態で宙を見ている。
その手をそっと取ると、ビクッと大きく震えた後に小刻みに揺れているのがよくわかった。
そりゃそうだ。
私だって怖かった。
マルコさんがいなかったら、泣き叫んでいたかもしれない。
油断していたら私も手が震えてしまいそうで、強めに彼女の手を握った。


「大丈夫です、必ずあの人のことはお二人が連れ帰って来てくれますよ」
「はい……私も片付けと、何か温かい飲み物、淹れますね」
「是非、お願いします!」



お店の人がコーヒーを淹れてくれるいい匂いの中、私達は掃除をお手伝いした。
割れてしまったものを掃いて片付け、倒れているものを元の位置に戻す。
男性客も力仕事は手伝ってくれたから、1時間程でお店の中はあらかた元通りになったと思う。
コーヒーを飲み落ち着いたお客さん達は皆帰っていき、従業員の人達とカルリーノさんと私だけになった。
入口に準備中の札も提げたから、新しく入ってくる人はいない。
次のあの扉が開く時は、マルコさん達が帰還した時だ。

二杯目のコーヒーを頂きながら、カウンター席にカルリーノさんと隣り合わせで座る。
厨房の方からは、食事を作るいい匂いがしてきている。
帰ってきたら食べられるように、とお店の人が好意で始めてくれたものだ。
着実に、日常に戻っていっている店内。
後は本当に、連れ去られてしまった人と一緒に、マルコさんが帰ってきてくれるだけ。
わかってる。
わかってるのに。
絶対大丈夫。
こんな風に心配することの方が、侮辱なんじゃないかっていう程。
だけど私の考えとは別に、身体が勝手に反応をしてテーブルに乗せてる手が僅かに震え出す。
カタカタと小さく揺れるそれは、カップとソーサーにも影響を及ぼしてしまった。
咄嗟に両手に力を込めて互いを握りしめ合ったけど、カルリーノさんには気付かれてしまったみたいだ。
信じてやれと言われ、私だってそう答えたのに。


「ち、違うんです、…これ、は…」
「ごめん、信じろってさっき言ったからだよね。信じてるけど、不安なのは仕方ないよ、惚れた男の身の安全に心を砕くのも海賊の女の試練だよ」
「私もカルリーノさんみたいに、強かったら良かったのに」
「そう?でも私、***みたいに技術はないよ、頭だってそんなに良くはないし」
「さっきみたいな時には、肩は並べられなくても、せめて、後ろで震えてるだけなのをなんとかしたいです」
「同じことやってると、一緒にはいられないよ。会うのもすごく久しぶりだったんだ、今回」
「カルリーノさんって、ベックマンさんと同じ海賊団じゃないんですか?」
「うん、私は私で、別の海賊団率いてるからね」
「船長さんなんだ…」
「そう、だから好きな男とずっと一緒にいられる、私はあんたの方が羨ましいよ」


今日会ったばかりだし、カルリーノさんのことはよく知らないけど、気の強そうな美女というイメージだった。
ずっとそう思っていたのに、今目の前で淋しく笑う表情はまた別の印象を受けた。
どれくらいぶりだったんだろう。
たった5日くらい会えなかっただけで、私なんてぼんやりしてしまう程なのに。
その淋しそうな笑顔を見た時、カルリーノさんはそれ以上で何日、何か月と会えない日々が続いていたんだろうと思った。

カルリーノさんがコーヒーを一口飲み、それをソーサーに戻そうとしている時、お店の扉が開く音がした。
そちらへ意識と身体を受けようとしたけど、カップはソーサーに戻ることはなくテーブルの上に音を立てて落ちた。
テーブルの上に広がる黒い液体。
それが床に落ちてしまう前になんとか布巾で留めたけど。
ごめんと言いながら私と同じくそこを拭く姿は僅かに震えていて。
おんなじだと思った。
強気な態度はそれを隠す為。
私と同じく、ベックマンさんを心配する女性の姿が、そこにあった。
見送ってから今まで、ずっと緊張状態だったんだろう。
液体を抑えながらもお店の入り口へと目線を遣ると、開いた扉からはベックマンさん。
続いて開いた扉を片手で抑えて開いたままにしているマルコさんの姿が見えて、その抑えられた扉を潜って連れ去られた女性が入ってきた。
今すぐにでも飛びついていきたいのに、さすがにコーヒーを放っては行けない。
その様子を見たマルコさんが、最初は驚いた顔をしていたけど、すぐに察してくれたようで優しい笑みを浮かべている。
ああ…良かった、無事だ。
当たり前のことだけど、それでも安堵してしまう。
女性も、大きな怪我もなさそうで安心した。

呆れたように近づいてくるベックマンさんが煙草を吸い上げて、その先が赤く染まる。
煙草を指先で挟んで取りながら一歩一歩距離が縮まる度に、カルリーノさんの緊張が私にも伝わってくるようだ。


「何やってんだよ、…ったく」
「手が滑っただけだよ、…ちょっ…と、コーヒー付くってば!」
「そんなもん、洗いや落ちるだろ」


ベックマンさんが、カルリーノさんの濡れた手を取って身体を正面に向けさせて、そのままキスをした。
わ…横から、思いっきり見ちゃった。
他の人のそういうところを見ることってほとんどないから、不躾なのはわかってるけど、目が離せなかった。
私の頬まで熱くなるような口付けに、抱擁。
ベックマンさんの腕の中、ほっとしたような表情のカルリーノさんが綺麗…。
見とれてしまっていると、私の腰付近に両手が回されて抱き締められ、引き寄せられるというよりは、マルコさんの方から身体を寄せてくれている感覚がある。
ふわりと香るのは、愛しいマルコさんの匂い。


「***…」
「マルコさん、…おかえりなさい」
「ただいま、無事だったか?」
「それは私の台詞です!」
「こっちは何の問題もなかったよい」
「…だと思いますけど、本当、良かった」


手元の付近を取られたと思って顔を上げると、お店の方で。
テーブルを片付ける作業を変わってくれる様子だった。
ようやく零れたコーヒーの心配がなくなって、マルコさんの方へと向こうとするんだけど、腕の力が強くてそれが解けない。
首筋にマルコさんの息が当たって擽ったいけど、顔を埋められているようだったからこの体勢のまま大人しくすることにした。
帰ってきてくれた。
無事に。
それだけで、嬉しくて、ほっとする。
一緒にいることが当たり前になっていたけど、こういうこともあるんだな。
今までが平和過ぎたのか。
もう少し、気を引き締めないといけないと思った。
それに、惚れた男の身の安全に心を砕くのも海賊の女の試練、って言われたから。
その試練も、ちょっとずつ乗り越えていけるようになりたい。

私の身体を抱きしめるマルコさんの腕に、力が篭ってきている気がする。
それに、耳付近へと上から熱い吐息を感じるようにもなってきた。
ぐっと力が更に入り、いつの間にか胸を下からふにふにと触られている感覚まである。
多分他の人は誰も気が付いていない。
それが幸いだったけど…。


「マルコさん、…ここでは、だめ…」
「***、抱きてェよい…」


小さく抗議すると、小さく耳元へと返される言葉。
そんなこと言われると…。
一気に身体が熱くなる気がした。
こうなると背中にぴったりと身体を密着させているのも、興奮剤にしかなり得ない。
さっきまで心配していて興奮状態にあるんだろう。
マルコさんだって、軽いとはいえ戦闘をしてきたんだ、アドレナリンが出ていたっておかしくない。
っていうか、アドレナリンどころか、フェロモン出まくっちゃってるけど。
もうこのまま、二人で部屋まで帰ってしまおう。


「今日は本当に、ありがとうございます。命も体も助けられちゃったし、今夜はお店の奢りね!」


見るとカウンターに次々と並べられていく、美味しそうな料理にお酒。
さっきからお店の人が準備してくれていた食事がこんなにも豪華なものだとは思わなかったけど。
カルリーノさん達もさっきまでいちゃいちゃしていたハズなのに、もう二人は離れている状態だった。
これ、は…さすがに振り切って帰れないよね?
マルコさんの腕の力がゆっくりと抜けていき、身体が離れていく僅かな間に、小さ目ではあるものの割と大きなため息が聞こえた。
身体が離れ、マルコさんの表情が見えるようになると。
うわ…。
頬が少し赤く染まっていて、表情まで誘惑的になっている。
する直前の時の、そんな顔。
そんな色気むんむんのまま、私の頭をそっと撫でてからお酒を手にしている。
背中を見ていると、私の方が飛びつきたい気分になる。
抑えて、抑えて。
落ち着け、私。
さっき、マルコさんがキスをしなかったのはきっと、してしまうと止められなくなるからだろうと思う。
だからスキンシップは、宿のあの部屋に着くまで、お預けだ。



「船員はほとんどお前がやったろい」
「船ぶっ壊しといてよく言うぜ」


それから、お店の中央にテーブルや椅子を並べて各自好きなところに座り、助かった女性とベックマンさん、そしてマルコさん、三人を中心とした宴が、店の中で開催された。
あの後、お店を出た後に案内係のあの人の進行で、海賊船を見つけて乗り込んだと。
迎え撃つ海賊のクルーほとんどの足をベックマンさんが撃って無効化し、その間にマルコさんが船を沈めてしまったらしい。
女性を救出して、海賊を縛り上げて海軍支部の門の前に置いてきたそうだ。
簡単に言ってるけど…まァきっと、二人にとっては本当に簡単な作業だったんだろうけど。


「海軍支部に近づいたのが一番危険だったぐれェだな」
「遠くからブン投げるから、生きてるかどうかも怪しいよい」
「お前こそ、高いところから落下させてたじゃねェか、どっちがだよ」


休暇中だし騒ぎを起こさない為、支部にはあんまり接近しなかったんだろうってことにしておこう。
豪快にお酒を飲みながら、武勇伝ともいえる話を皆にしてくれた。
二人があまり詳細には話してくれない為、救助された女性がほとんどを語ってくれたけど。
マルコさんの活躍を聞いているだけで、本当に格好いいんだなって思う。
隣にいる本人はもうすでに涼しい顔をしてお酒を飲んで、時々食事を口に運んでいるけども。
いつか、見てみたいと思う反面、度々起こられても困る。


「ところで、なんで足だったんだい」
「撃ったのがか?」
「頭撃つもんだと思ったから、意外だったよい」
「クルーやおれの女が傷つけられたわけじゃねェからな、命取る程でもねぇだろ」


ベックマンさんは、どこかうちの海賊団と似てる。
やっぱり最初の印象通りいい人だと、そう思った。



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