十万打企画夢 | ナノ






 夜の帳を積もらせた石畳の上へと僅かな靴音を響かせた男、プロシュートは冷めた視線を以て地面を見下ろした。そこには冷気を孕んだ風に吹かれてまるで枯葉のような乾いた音を立てる物体が横たわる。そしてその傍らには偉大なる死が在る。ぴゅう、と吹いた風がプロシュートの前髪や老いに至る煙を流した。かさり、と足元で音を立てたそれに最後の視線をやったプロシュートは無言でその場から踵を返した。
 少し歩いた先、曲がり角となっているそこから息を切らせたペッシが慌てた様子で顔を覗かせた。酸素を求める荒い呼吸と内容も纏まっていない言い訳で、理解しがたい文章を口から零しに零しながら兄貴分の姿と既に事切れている標的の姿を交互に彼は見た。そうしてペッシの腰はさらに引けた。しかし、引いた分を補うようにプロシュートはペッシの髪を鷲掴み、己との距離を詰めさせた。勢いを付けたそれは距離を詰めるどころか、互いの額を打つけ合わせるまでのものになる。その反動にペッシは軽い呻き声を上げたが、プロシュートは打つかった額などには気にも留めずに説教を始めた。暗殺業務に関してのものだ。――先程プロシュートの手によって命を失った標的は今夜、ペッシの手によって死ぬはずであった。予定外でいて予想外、それはペッシにとってだ。標的が予定の場所に到着するのが少しばかり早く、また護衛を数人引き連れていたというもので、彼にしたら臨機応変に対処し難い事項であったのだ。標的一人だけを暗夜に始末するというのは。
 ペッシは引き抜かんばかりに鷲掴まれた己の髪と打つかった額の痛みをどうにかやり過ごしながらプロシュートの真剣な視線と自身の視線を打つけ合わせた。ほんのちょっと、目尻に涙を浮かべているが。プロシュートの説教を真剣に聞きつつも、少しばかりこの話は長くなるのだろうかと思ってしまったペッシは見抜かれたのか、プロシュートに頭を一度叩かれた。それに痛ッと心中で思いつつも、彼はプロシュートが説教を終えた体を見せたので呆気に取られたかのような表情を浮かべてしまった。
 プロシュートは己の腕時計を人差し指で二度ほど叩いて見せた。

「予定があンだよ」

 その仕草と言葉に数秒動作を止めて考えたペッシだったが、ハッとしたように肩を飛び上がらせて理解したようだ。兄貴分の彼の手より解放されたペッシの髪が、寒空の下に吹く風に流される。

「りょっ、了解っす!」

 そう言いながら慌てて自身のコートのポケットへと拳を突っ込んだペッシは、ポケットの中身をひっくり返さんばかりの動作で車の鍵を取り出してみせた。と、石畳に金属音と共に跳ね返る。その音にまで驚き上がりそうな彼へと気温の所為で白く濁っている吐息を押し出しながら言うのはプロシュート。

「ちったぁ落ち着け」

「うっ、うっス!」

 果たして彼は、プロシュートの言葉をちゃんと脳味噌で噛み砕いてから駆け出したのであろうか。

 ペッシの運転する車へと流れる動作で乗り込んだプロシュートが告げたその場所。さらに到着した其処では髪を手櫛で整えている女がいた。ナマエだ。今し方今夜の仕事を片付けてこの場所へとやって来たであろう彼女は、僅かに乱れていた髪形を直していたのを見られて恥かしかったのか前髪の一房を掴んではにかんだ。まるで、今からデートで、それに心弾ませる一人の女性のようなその姿。いや、あながち間違いではないのだが、やはりこれでも今し方一人の人間の人生の幕引きを手引いたとは。
 停止した車から降りたプロシュートはその場から少し離れたナマエへと視線を向けた。それに彼女は自身の前髪を抑えたまま、すこし駆け出すようにして彼のほうに歩みだした。その途中で運転席へと目を向けたナマエと、彼女の姿を見ていたペッシの視線が合う。彼女はその目を細めて笑んだ。ペッシへと軽く手を振ってみせる彼女へと、ペッシ自身もそれに返すように困り気味で会釈をした。彼女のヒールがコツッ、コツッと石畳を踏み鳴らす。
 プロシュートとの距離を詰めきったナマエは彼へと笑いかけて労いの言葉をかけた。それに彼も同じ意味の言葉を返しながら彼女を車内へと押し込んだ。ナマエは「今夜は冷えるわ。息がとっても白いもの」と言いながら後部座席へと腰を沈める。それを見守ってから、プロシュートもまた車内へと身を戻した。

「寒いな、暖めてくれよ」

 ナマエの肩を抱くようにして言ったプロシュート。彼女といえばその言葉が可笑しかったようで、口元に手を当てながらも隠し切れない笑みを零している。

「それ、私の台詞じゃあない?ほら、指先まで冷え切って凍り付いてるみたい」

 彼女はその言葉と共に冷え切った、曰く氷のように冷たくなった指先を彼へと見せるように差し出した。プロシュートは彼女のその手をとって、己の吐息を吹きかけりしている。そうやって彼と彼女が暖を取るなか、車は静かに走り出した。
 高い寒空の下、静寂に包まれて偽りの平穏を見せる街。そこを走る車の中。そこには仲睦まじい男女の姿。もしかしたらそれも偽りのものなのかもしれないが少なくとも、バックミラーでちらりと二人の姿を窺ったペッシの目には確かなそれに見えた。ただ、二人の言動が夜の艶めきに向かう毎に顔色を変えて困りに困る彼。微笑ましいやら困るやら。バックミラーを視界に入れないようにして耳栓代わりに心の中で必死に大声を上げるペッシは、やって来たカーブに緩やかにハンドルを回すのだった。


(静夜)