十万打企画夢 | ナノ






 薄ら寒い冷気が地を這う様は、宛ら生無き者の世界を思わせる。見上げた先にあるのは汚れて曇れたステンド硝子。視線を流してみれば蜘蛛の巣が伝うパイプオルガン。朽ちた協会の椅子に参列者は座らない。積もった埃がテーブルクロスと化した教台を前にした二人の男女は、互いに交わす視線と薄く開いた唇で囁き合った。

「なあシルビア、誓ってくれよ。死が二人を別つまで、って」

「いいわ、ジェンテ。誓ってあげる」

 "シルビア"と呼ばれた女のルージュの笑みが誓いを立てる。向かい合う男が唇を吊り上げた。されど彼と彼女の唇が互いに重なることはなく、男は口辺から一筋の赤い鮮血を垂らしたかとおもうと、ぐらりと身体を揺らして床へとその身を沈めた。躯を見下ろす彼女の背後で不可視の姿が揺れて消えた。

「もう死が別っちゃった」

 男の躯の下からツゥーっと、赤い線が彼女の足元へと延びる。それを軽いステップで後方へと避けた彼女はちらりと視線を協会内の隅へと向けた。ひっそりとした影に混じるようにそこにいたのは彼女の同僚でいてチームメンバーであるソルベで、さらにその彼にもたれ掛かりながら彼女へと視線を向けている彼、ジェラートもまた前述に沿う。

「死が別つまで、ってねぇ。酷い女だシルビアってのは」

「とんだ結婚詐欺師もいたもんだ」

「なにその安い肩書き。あと、シルビアなんてもう呼ばないで」

 けらけらと笑ったジェラートの声が寂れた協会の天井まで響き、後に彼は本来の名前で彼女へと呼び掛けた。ナマエ、と。

「どうせならウエディングドレスの一着や二着買ってもらえば良かったのにさァ」

「そうねえ、指輪とネックレスは貰ったけど。上等なものかしら?」

 左手を翳しながらナマエは己の指で輝く宝石をジェラートへと見せた。それを詰めた距離で覗き込んだジェラートが、己の人差し指を顎にかけながら唸る。

「どれどれ、うーん……分ッかんないなァ。ソルベ分かる?」

「俺が分かるわけがない」

「ま、売れない代物なんてのじゃァないでしょ」

 ソルベもまた距離を詰めて彼女の指で光る指輪を覗き込んでみたのだが、価値なんてひとっつも分からないと横目で流した視線でジェラートと頷いている。ナマエはそんな二人を見ながら指輪を自身の指から抜き、そして首の後ろへと回した手でネックレスも外そうとした。が、上手くいかないらしい。少しばかり唇を突き出し格闘する彼女の様子に、呆れたような顔をしてみせたソルベが彼女の後ろへと回ってその金具を解いてみせた。

「グラッツェ、ソルベ」

「どうってことねぇ」

 今は亡き男ジェンテ、そして彼が愛を約束した女シルビア。誓われた指輪も今は第三者の手の中だ。そんな事実など人知れず、彼女が外した指輪とネックレスを差し出されて受け取ったジェラートは、人差し指と親指で挟んだ指輪の輪の中からナマエの姿を覗き込んだ。ニンマリと吊り上がる彼の唇は悪戯な笑みだ。

「誓いの言葉を述べよ。ってね」

 まあるい額縁の中できょとんとした顔をみせたナマエは、数秒置いて彼の言葉を呑み込んだのかつい先ほどまで演じていたような女の表情でその言葉を紡いだ。

「私はあなたを夫とし、病める時も、健やかなる時も、喜びの時も、悲しみの時も愛し慈しみ貞節を守ることを誓います。……こんな感じ?」

 言い終わった後の小首を傾げる姿は普段の彼女だ。そこまで見て満足そうに頷いたジェラートは、お次はと言わんばかりにソルベへと視線を向けて、そして言葉で促した。

「で?」

 ジェラートに視線を向けられたソルベがまたもや呆れた笑みを口辺へと浮かべる。そんな呆れた様で流そうとしたソルベだが、手の平の中に指輪を囲うジェラートの拳が横っ腹へと飛んでくるとなると、しぶしぶといった様子で唇を開くしかない。

「あー、……あなたを妻とし、病める時も、健やかなる時も、喜びの時も、悲しみの時も愛し慈しみ貞節を守ることを誓います。……おい笑うんじゃねぇよ」

「笑ってないってぇ。ねーナマエ?」

「ねージェラート?」

 そう言ったものの、ジェラートとナマエ、二人は顔を見合わせた後に耐え切れないとばかりに噴き出して、さらには腹まで抱えて笑い出してしまった。まったくもってこの場所には不似合いなその声は、埃を仕舞い込んだ薄暗い影にまで響き渡る。
 遠慮せずに笑い続ける二人を横目に腕を組んで溜息を付くソルベだが、何時もと変わらぬこのやりとりは彼にとっても満更でもない。組んだ腕を解いて、取り出した煙草を銜えるその唇の端には確かに彼なりの笑みが浮かんでいる。

「……つーか、死でさえ別け隔てられるもんじゃあねぇけどな」

 呟くように言ったソルベのその言葉にナマエは目をぱちくりと瞬かせた。その様子ににんまりと頬を吊り上げたジェラートが彼女の目を覗き込みながら言う。

「なにその反応。死んだら終わりだなんて思ってる?」

 そう問い掛けたジェラートは、質問の投げ掛けを行ったにしても答えを聞く気もないらしく、覗き込んでいた顔を上げて後方へと下がった後にソルベの肩に腕を回した。既に火を灯していた煙草から紫煙を燻らせているソルベもジェラートに続くように言う。

「俺等に気に入られた時点で終わりなんてねぇ」

「そーいうこと、ってね。オレらは"死ぬまで"なんてみみっちいこと言いやしないよ」

「死んでも愛してやるさ」

「と、いうわけでぇナマエ?」

「覚悟はいいか?」

 オレらはできてるけど。付け加えるように言ったジェラートの視線の先で、ナマエは下を向いてその肩を震わせている。彼女の表情は窺えない。だがその肩の震えが意味するところが否定ではないことは、直ぐに顔を上げた彼女の表情を見る限りはっきりと見てとれた。そもそも、言葉をすっ飛ばして彼女が取った行動は、二人に抱き付くことであった。
 飛び込んで来たナマエを抱きとめたソルベとジェラートの二人は彼女を見下げる。ナマエは堪らずと言った様子で叫ぶように言った。

「馬鹿!結婚して!!」

 ソルベとジェラートは顔を見合わせてから、合わせるように笑った。

「逆プロポーズ!さすがナマエ!でも、ま、イイんじゃない?あァー、ウエディングドレスが欲しいね。廃墟と化した協会でそれ着たナマエとかクるものがあるし」

「白いタキシードのソルベを想像したら笑っちゃうかも」

「ナニソレ面白い」

「マイホームは白くて大きい一軒家!」

「広い庭にバカにデカイ犬が一匹いてさァ」

「種類ごちゃ混ぜで溢れ返ってる花壇でしょー……あ、ポストは妙に傾いてる!」

「それこの間見た映画じゃねぇか」

「「ソルベ正解!」」

 誓いのキスだなんて言ったナマエはソルベとジェラート各々の頬へと唇を寄せた。小さく響くリップ音が可笑しいとばかりにジェラートが笑って、釣られるようにまたナマエも笑う。

「初心な新婦だ!」

「そうよ、ハジメテだって初夜まで守り切るもの……ってソルベ鼻で笑わないの!」

「なんのハジメテだよ」

「まあ失礼!」

「ほんと、まだハジメテのものが残ってる?」

「ジェラートまで!」

 口付けたばかりの二人の頬をぺちんと叩いたナマエは自身の腰に片手を当てて、まるでお説教をするように人差し指を翳しながら二人へと言った。

「結婚指輪ちょーだいね?それもお高いやつ」

「宝石の価値なんて分ッかんないくせにぃ」

「色気より食い気だろ?」

「言えてらァ!つーわけでお嬢さん?ダイヤモンドの輝きで魅せるドルチェの一つや二つ、誓いの品を頂きに参りましょうか?」


 参列者の一人や神に仕える神父のいない寂れた教内。汚れて曇れたステンド硝子の下、差し出された新郎二人の手を取った新婦。彼等は曰く、死さえも別つことは出来ない。パイプオルガンが歪な旋律を響かせたような気がした時には、其処には死体が一体横たわっているだけであった。


(Giuramento-誓い-)