十万打企画夢 | ナノ






 今日も今日とて、ソルベとジェラートの二人はお決まりのソファの上で身体を寄せ合って二人の世界だ。ジェラートがソルベの耳元で、二人の間でしか聞き取れない何かを囁いている。そうしてそれに口角をほんの僅か吊り上げたソルベが、互いの唇に息が吹きかかる距離で返事を返す。ジェラートはにんまりと悪戯な笑みに頬を緩ませて、細めた目でソルベの目とばっちりと視線を打つけ合う。その後示し合わせたように二人合わせて小さく噴出し、その肩を小刻みに震わせて笑い声を抑えているらしかった。

 さて、少し離れた所に在るソファの上で読書に励む彼女、ナマエは心中で溜息を一つ吐いて、されど表面上そうとは出さずに読みかけの本へと栞も挟まずに閉じてしまった。ナマエはソファから腰を上げて、空いた座席へと本を預けた。そうしてその足でキッチンへと向かった。

 冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出したナマエは、勢い良く傾げたそれを呷り、ごくごくと喉を鳴らして冷えた水を胃の中へと送り込んだ。そうしてペットボトルの中身を半分ほど飲み干し、気が済んだとばかりにそれの蓋を閉め、キッチン台へとトンッと置いた。喉の渇きは潤いにより保管された。それでも低く唸る様な声が響き始めたのは何てこと無い、彼女の溜息であった。神経質にシンクを人差し指でトントンと叩きながら、彼女は地を這う様な声を長い時間を掛けて上げる。声量は大きくないためにリビングの方までは聞こえていないだろう。それでも、キッチンへと足を踏み入れたイルーゾォの肩を跳ね上げらせるには充分だ。ビクゥッ!と驚いた彼は、唸り声の発信源に視線を置いて目を白黒させる。俯き気味のナマエの背には不穏な気配が漂っているが、それでも話しかけなければ余計に悪化させかねない。つまり彼女を放って置くことの出来なかったイルーゾォは、恐る恐る彼女へと声をかける他ならなかったのだ。

「ナマエ、どうしたんだ……?その、……具合でも悪いのか?」

「……全然悪くない」

「そ、そうか……じゃあ――」

「ねえ、イルーゾォ。私、……ソファになりたい」

「!?」

 イルーゾォは驚きと共に、物理的には受けてもいないくせに衝撃で数歩後ろによろめいた。彼の背中がどんっと壁に当たる。イルーゾォは聞き間違いかもしれないと尋ね返そうかと思ったが、その前に彼女はもう一度呟くように再度言った。ソファになりたい、と。イルーゾォは目眩を感じた。暗殺チームにまともな奴がいなくなっちまう。そう、思った。

「なんでまたソファなんかに――」

「……なんか?なんか!?」

「えっ、え!?」

 何が癇に障ったかは彼には分からなかったが、確かに彼女は彼の言葉の中に気に入らないものを見つけたのだろう。弾かれるように顔を上げて振り返ったナマエがイルーゾォへと詰め寄ったのは早かった。彼の襟首を掴み込みガンを飛ばす様は何時ものナマエとは程遠い。イルーゾォは後頭部を強かに壁へと打ちつけ涙目になりながら彼女の目を見下ろした。殺気に満ちていた。

「ッソファになれば!」

「なっ、なれば……?」

「ソルベとジェラートの恩恵に与れるのよ……!!」

「…………え、それどういう」

「ソファになれなくてもいい。あの、あの隙間に潜り込めたら……本望よ!」

 後は呪詛を紡ぐかのように、いまいち理解し難い文章をつらつらと流しながら彼女は拳を壁へと打ち付ける。イルーゾォは彼女の拳が己の身体すれすれを打ちつけるのと据わって恐ろしいことになっているナマエの目を交互に窺うしか出来ない。身じろぐと漏れなく打撃が彼の身体を襲うだろう。

「あ、あれだよな……ナマエは二人のことが好きだったんだな。……好き、でいいんだよな?」

「愛してますけど!?」

「分かった!分かったからスタンドを出すのは止めてくれ!」

 俺が何をしたというんだ……。イルーゾォは彼女の分身が本体と同様に自身へと詰め寄ったその様に心中で頭を抱え込む。彼は専らの不幸体質である。が、そんな彼にも幸運というものは舞い込むらしい。今、キッチンへとひょっこりと姿を現したジェラートがまさにそれだ。

「何やってんの?スタンドまで出しちゃってさ」

 ジェラートはにやにやと面白いものを見る表情は隠さずに、形だけ心配した体を取った。それに対しイルーゾォはジェラートの性質にこの野郎と悪態を吐きたくもなったが、彼の出現によりナマエが飛び退くように自身から距離を取ったのには感謝した。

「何にも無い」

 ナマエは平淡な返事をした。何だそれ。と、イルーゾォは今の今までのナマエの熱の入りようを思い描いては彼女の顔へと視線を向けた。チラリと見返された視線の終には舌打ちをされたが。
 彼女が打った舌打ちとほぼ同時にさらにキッチンへと足を踏み入れたのはソルベ。彼はジェラートへと視線を向けて、次にナマエ、その次にはイルーゾォへと視線をやった。イルーゾォは見た。ソルベの口辺が僅かに吊り上げられたのを。これは何かの前兆だ。そうして俺は巻き込まれるのか。イルーゾォは内心で頭を抱え込んだ。

「そうなの?いやァ、何にも無いわりに盛り上がってたようだったから。ね、ソルベ?」

「随分と、な」

 イルーゾォはにんまりと上がったジェラートの口角からナマエに視線を移した。動揺している。誰が見ても、どの方向から見ても、動揺している。彼女へと一歩分の距離を詰めたのは、今にも鼻歌を歌い出しそうなジェラートだ。それを皮切りに口を開いたのはナマエだ。

「いやいや全然何も無いしあれだし何の変哲も無い世間話で思いの他盛り上がって興奮してはしゃいじゃった感じだし面白いことなんて一つもないし」

 動揺し過ぎである。

「え、本当に?」

「本当に」

「マジでか?」

「マジだし」

「ふーん」

「ふ、……ふふーん」

 そうしてジェラートはジッとナマエを凝視した。ソルベもだ。
 十秒程だろうか、三人がそうしていたのは。その場の空気に思わず自身まで息を詰めてしまったイルーゾォ。動いたのは――ナマエ。耐え切れなかったのだろう。ジッと見つめられ、思わず二人から目を逸らす。また、その動作にあ!と内心声を上げたのも彼女。しまったと思った。これでは隠し事がありますと言っているようなものである。慌てたように視線を二人へと戻してみたナマエだが、その様に噴き出したのは二人、ソルベとジェラートだった。

「な、何なの……!」

「っ、いやいや、ごめん。苛め過ぎちゃったかなァ。だって、ナマエが可愛いもんだからさァ」

「っ!」

「おいジェラート、焼け石に油で火に水だ」

「それ違くない?まァ、いいけど」

 カッ、と頬を赤くして身構えたナマエの様に、ジェラートは己の口元に手を当ててから顔を背けた。その配慮も小刻みに震えている肩で台無しである。
 一通り笑った後、ジェラートはナマエへと向き直り、大股で彼女との距離を詰め、その顔を下からずいっと覗き込んだ。ナマエは仰け反る。仰け反れば仰け反るだけ、ジェラートが詰め寄るというのに。

「可ッ愛いなァ」

「……、っ」

「ん?……んん!?」

 ジェラートが驚きの声を上げたのは、その覗き込んでいた顔を手の平で押さえ込まれたからだ。ナマエの指と指の間から視線を彼女へと向けたジェラートは彼女の顔がこれ以上とないまで赤く染まっているのを見て、目を細めてまた「可愛い」と呟くように言った。
 ぺちん、と軽い音を立てて手の平でジェラートの顔へと照れ隠しを与えたナマエは、理解し難い言葉の悲鳴を吐き出しながらキッチンから駆け出し逃げた。途中躓きかけていたが。


 そうしてキッチンではイルーゾォが一つ呆れたような溜息を吐いてソルベとジェラートへと視線を向けていた。

「あんた等、分かってやってるだろ」

「気付かないはずがない。……主にジェラートが」

「あれだけ意識を向けられたらなァ。釘付け!って感じだもんなァ。ま、オレらもそれに射止められちゃったわけだし?」

 遠い目をして既にこの場にはいないナマエへと同情の眼差しを向けたイルーゾォは、二人の笑い声にさらに口辺を引き攣らせた。ソルベとジェラートはとても楽しそうだ。

「本ッ当に、ナマエは可愛いよなァ」

「異論は無い」

恋路の末は安泰が見込まれているにしろ、である。


(恋路の闇)