眩い太陽からの紫外線を遮るサングラスがキラリと反射で光った。良く冷えたストレートティーが満たすグラスに突っ込まれたストローの先端を噛み潰しながら、ナマエは半ば興味無さ気に通りの反対側、まるでシンメトリーに並ぶテラス席へと視線を流した。
そこで甘ったるい蜂蜜色の髪を涼しげに風に流す男はメローネ。彼は今回のナマエの相方であり、つまり彼女は暗殺チームだなんてところに所属していた。それは、さして追求することでもない。あえて状況で書き記しておいた方が良い事柄は、例えばメローネの対面の席に座る肌を朱色に染めた一人の女性だろうか。頬を染めているのは別に今日という日の気温が高い為だなんてことでもなく、精々顔だけは良いメローネから向けられた笑みに熱を上げているだけだろう。
ナマエがストローを加えたままに吹いた息に、液体の底からポコリと気泡が浮かび上がり瞬時に消えた。通りの反対では、席から腰を上げたメローネが相手の女性の手を取っている。ナマエはグラスからストローを引き上げて無造作に放ると、グラスの淵へと唇をつけて半分程を一息に飲み干した。汗を掻いていたグラスが彼女の指先を濡らす。
メローネは人込みに紛れるように通りへと歩き出す。勿論ナマエはそれを見失うわけもなく、彼女もまた一定の間を開けてから席を立った。半分だけ減ったグラスは置き去りだ。そうして彼女もメローネ達の後を追うように歩き出した。
メローネと相手の女性がホテルの部屋に入ってから六分。ナマエが彼等の隣の部屋に入ってから五分。彼女の待機する部屋に扉を打つ乾いた音が不躾に響いた。それにどうぞ、なんて返事を彼女が返す間も無く部屋へと足を踏み入れたのは勿論メローネで、彼は部屋に入るままに早足でベッドへと近寄りそのままにシーツへとダイブしてみせた。その間の彼の視線はベイビィ・フェイス本体の画面に固定されたままだ。ベッドの端へと腰掛けていたナマエはメローネが揺らしたベッドに不機嫌に舌を打ってみせる。
「受胎完了だ」
「何時も思うけど、私要らない気がする」
「そんなことないぜ!予期せぬ事態ってのは何時やってくるか分からないからな。まあ今回は迅速に母体になる女が見つかってベリッシモ助かったがね」
まるで母体になる女が見つからなかったらあんたをそれにする。とも思える言葉を画面へと視線を固定したままに垂れ流すメローネの頭を一発叩いた後ナマエは、備え付けの冷蔵庫からガス入りの水を取り出しに腰を上げた。
「俺も」
彼女は無言でいてそれでも了解したと二本手に取った内の一本をメローネと向けて放った。
「ガス入りを放るなよ」
ちらりと視線を画面から外したメローネは形だけの狭めた眉根でキャップを回し開け、傾けてその中身を喉へと流し込んだ。ナマエが何となく流した視線の先で彼の喉仏が上下する。それから視線を外したナマエが同じようにペットボトルへと口を付け、それを飲み干す頃にメローネは呟くように「息子」の誕生を僅かに吊り上げた口角で祝福した。少しばかり、教育で忙しくなるようだ。
「――あぁ、そうだ。標的だけを迅速に始末するんだ……。状況は素早く正確に伝達しろよ。指示を仰げ。標的が邪魔者に囲まれてたら遠回りも必要だからな。勿論直線を辿ることもある。殺り方は、大概おまえの本能能力のままやっていい」
ぶつぶつと独り言と共にそれと同じ内容を話す速度でタイピングするメローネ。シーツへと身体を沈めた俯せの体制の彼の背骨。ナマエは最初と同じ位置、ベッドの端へと腰を沈めてその辺りへとぼんやりと視線を置いて時間を潰している。メローネの肩がクツクツと笑う彼に合わせて上下に揺れた。
「俺の色男っぷりは自覚してるが、そんなに見られたら捗るものも捗らないんだが」
「嘘つき」
「口は兎も角、手はコッチを弄るので忙しい。本当に残念な話だ。――成る程標的は寝室にて不倫の真っ最中。あぁ待て、事が終わるまで待ってやろうじゃあないか。そうだ、大人しく」
「今度のベイビィは随分と従順ね」
「良い母親に恵まれたのさ。そうして俺の教育の賜物かもな」
「ふーん、……そういえば、直接対面して教育することもあるじゃない。文字だけの教育と直接ではやっぱり変わってくる?」
「さあな。文面だけで良い子だ!だなんて褒めるより、言う通りに出来たなら菓子の一つや二つを差し出して躾ける。そういう教育の方が良いのか否か。今度試しておこうかな」
「ご勝手に」
「ナマエから言い出したくせに」
興味が無いとばかりに肩を竦めた彼女にメローネはさして気を悪くした様子も見せず、空のペットボトルを屑籠へと放り投げるついでに振り返って見せた。ナマエは僅かに中身を残したそれを手の内で揺らして弄んでいる。残りを飲む気は無いようだ。
「可愛くないな」
「生憎、私は良い子でも何でもないしね」
彼女の言葉にメローネは、頬杖を突いたままの頬で意味有り気に笑う。
「成る程、それこそ菓子の一つや二つをちらつかせながら再教育するべきか?」
「何ソレごめんだわ」
「甘ったるい菓子じゃあ釣られないか。じゃあ子供染みた教育じゃあなくて、折角イイ歳した大人が二人も揃ってるんだからそれなりな教育方針で――」
シーツから身を起こしたメローネが、何処かポルノ女優のような動作でナマエへと滲み寄る。瞬きを繰り返すだけで身体を遠避けることも距離を狭めることもしない彼女に、彼は内心機嫌を良くしてその太股の上へと手を突いた。ナマエの視線がメローネの肩越しに画面の文字を読む。
「メローネ、あんたの息子が標的を始末し終えたみたいだけど?」
ナマエの太股の上でメローネの指が一本跳ねた。億劫そうにゆっくりと振り向いた彼は画面の文字を読んで、無感動に口内へと押し込めるように事柄への感想を呟いた。
「……これだから早漏は。まあ、良く出来た息子だと褒めてやろうか」
「ほーんと、良く出来た子。ほっぺに唇の一つや二つを落としてあげたいわ」
画面を見ることを止めたメローネが、僅かに下から覗き込むような形でナマエと視線を打つからせた。数秒は真横一線に引かれていたメローネの唇が孤を描いたことにナマエは片眉を吊り上げる。彼女の唇は彼とは反対方向に孤を描いた。
「……なによ」
「いいや、いいや、俺達って結構長い付き合いじゃあないか」
「そうだけど、だからこそ遠回しに言うの止めてよ。何が言いたいわけ」
勿体振った口振りと首を振ったり手を翳したりの彼の動作に、ナマエはメローネの額へと右手の平を押し付けて彼との距離を取った。彼女の手の下の彼は嫌に笑んだままで何も変わらない。そうして自信満々といった様子でメローネは言う。
「ナマエはお疲れ様って俺にキスされたいんだろ?」
「ハズレもいいところだわ。何故そこに行き着いたのかさえ」
「ベイビィに口付けたいっ言ったじゃないか」
「言ったけど、見当違いよ。私があんたの息子とファックしたいだなんて言ったらそう受け取るわけ?」
「喜んでそう受け取る」
「……敢えて言うなら、私はベイビィの頭を撫でてあげたいわ。甘ったるい菓子は無しでね」
彼女の手の下でメローネはキョトンとした。そうして数秒の後にニマニマと意地の悪い笑みを浮かべながら、鼻歌でも歌いそうなままに口を開いた。
「ふーん、つまり、君は俺に頭を撫でて欲しいわけ?」
下唇をぺろりと舐めたメローネにナマエは彼を押し返す力を強くした。ついでに片手のペットボトルを投げつけた。
「そうとは言ってない」
「言ってないけど言ってるよ」
ギロリとメローネを睨んでから彼女は、尻ポケットへと突っ込んでいた携帯電話を取り出して、幾つかの数字を押してからそれを自身の片耳へと当てた。何コール目かで響いた低音は我等がリーダの声だ。彼女はそれに簡潔に任務完了の項を伝える。そこにメローネが吠えた。
「二人して朝帰りするよ!別にイイ歳した大人なんだから説教なんてないだろ!」
「煩いメローネ!」
さらには彼女の手の内から携帯電話を取り上げて床へと放り出す始末。通話は切れた様子だったが。身を引いたメローネがベイビィ・フェイス本体へと向き直り、キーボードの消去を弾き上げてケタケタ笑った。良く出来た息子がその一押しでいなくなる。
「で、本当にファックはナシ?」
機嫌が悪いと演技染みて顔を背けたナマエの視界の端に、振り返って尋ねたメローネの濃い蜂蜜色の髪が揺れた。僅かに香る甘い匂いは取っ替え引っ替えに香水を変える彼のものだ。ムードは、甘くもなんともないというのに。
「いい歳した男でしょ自分の脳味噌で考えて答えを出したら?」
ディ・モールト良いな。と呟いたメローネに合わせるようにベイビィ・フェイスの画面が電源なんて無いのにそれを落としたかの様に真っ暗になってみせた。ブラックアウト。
(教育のすゝめ)