回り灯篭 | ナノ






 心臓は鼓動を刻むことを止めたらしかった。とすれば、今こうして走馬灯の様な記憶を巡る行為は、既に死後の行動なのかもしれない。敗れて消えていった仲間達への手向けに、ボスであった男の命を差し出したいというに、指一本動いちゃくれねえ。
 仰ぐ視界は額縁の中の画の様に一定だ。風が無いのか、雲一つとして流れちゃこない。憎くて堪らない男は、既にこの場を後にしたらしい。それが数分前のことか、それとも数時間前のことか、はたまた数秒前のことなのかは分からない。
 身体中に無数に空いた穴から血が垂れるのを、感じる。だがそれもまやかしなのかもしれない。どう考えても、俺は即死の傷を負ったのだから、前頭葉は役に立たない。だのに、霞むこと無い意識はどういうことだ。
 ソルベ。ジェラート。ホルマジオ。イルーゾォ。ペッシ。プロシュート。メローネ。ギアッチョ。一言だって発することの出来ない口で、彼等の名を呟いたつもりになった。物理的にぽっかり空いた胸中で、ローザ。一人の女の名も呟いた。結局、俺は何も出来なかった。と、謝罪の念を込めて。


 ローザ、彼女に関する初めの記憶といえば、獣のように地に身体を伏せる俺を見下ろす無感動な目だ。後から思えば、俺を地へと抑えつけるあの見えない力の正体は彼女のスタンド能力のものだったのだろう。しかしその当時の俺は、スタンドのことなど何一つ微塵も知らない餓鬼だった。漆黒の念に身を焦がし、四年で身に付けたその術で復讐を遂げたばかりの、迷い子のような餓鬼だったのだ。
 しとしと降る雨粒が体温を奪うのも丈の長いコートが地を擦るのも構わずに、彼女はしゃがみ込んで俺の顔を覗き込んだ。唇は孤を描きされど目は笑っていなくて、それでも俺の頭を無遠慮に撫でるその手は温かく、余計に俺を混乱させた。そして俺は何故か、拾われた。


 気付いたら見知らぬ天井を仰いで白いシーツの上へと身体を横たえていたから、焦ったものだ。慌てて上半身を起こして室内を見渡せば勿論見覚えの一つも無く、薄く開いた扉の隙間から伸びる灯りの線に目が釘付けになった。俺は足音、気配を出来る限り消し、見知らぬ部屋から無音で出た。身に帯びていたナイフが無くなっていたため、部屋にあったペーパーナイフを拝借して。

 意識を失う前に見た姿が、後姿となって台所に在った。勿論後姿なんて見たことは無かった。それでも何故か、それが同一人物だと確信していた。彼女は振り返って、椅子へ座るように促す言葉を吐く。ペーパーナイフ片手に呆然と立ち尽す男の滑稽なこと。俺は言われるままに、席に着いた。明らかに女の方が力量が上だと感じたからだ。それも、比にならないような、上だ。

「やっぱり、スープが良いと思ったんだ。中途半端な野菜達が冷蔵庫に屯っていたからね。ミネストローネは好きか?」

 そうやって問いながらも有無を言わさぬように、彼女は俺にスプーンを押し付けた。直ぐに目前に並々とミネストローネが注がれた皿が置かれる。湯気を上げるそれを見たら、寸でまで麻痺していたかのように何も嗅ぎ取れなかった嗅覚が異常に効くようになった気分だった。腹も空いていたらしい。対面する席に、女も同じ様にミネストローネ入りの皿を置いて座った。そして促される。

「食べなさい」

 結果、俺は食った。無我夢中という言葉そのままに。
 その時の記憶を掬い上げれば、今でもあのミネストローネの味が舌の上に拡がるようだ。ローザが唯一まともに作れる料理だった。

 別に、胃袋を掴まれたわけじゃあない。それでも、俺はその女の家に居付いた。ローザ。出会って三日目に教えられた女の名だ。出会って四日目。その日の夜、ニンニクの焦げた嫌な臭いを纏う肉を切り分けながら、俺は自身の名を告げた。リゾット。ローザは俺の名をその直ぐ後に呼んだ。不味いな。彼女の視線は皿の上の肉に注がれていた。まったくだ。俺は同意した。



「獣を拾ったんだ。構いっきりになりたい気持ちが、分かるだろう?大丈夫。お前なら、大丈夫だ。私が言うんだ。出来るだろう?……そう、良い子だ」

 ローザは通話先の相手へと説くように話しかけていた。俺は部屋に入っていいものかと迷いそれでも既に開いている扉を拳で打って、視線を貰うことにした。用件を言い終えていたらしい彼女が携帯電話をベッドの上へと放り出しているのを逸らした視界の端で確認する。振り返ったローザが唇を吊り上げて、言う。

「今日はリゾットの故郷の味を、知りたい」

 一日三食。それの準備、即ち料理という仕事は俺の役目になっていた。ローザの作る料理は不味い。水で流し込んでも舌に絡み付いて離れなければ、腹痛を伴う物もあった。だから、そのことには俺もホッと胸を撫で下ろしていた。ただ、初日に食べたミネストローネだけは別で、もう一度と言わず何度も食べたいと思っていた。


 一年。俺が彼女の家に居付いていた期間だ。短いようで長く、長いようで短い。気付けば俺は彼女に惹かれていた。それでも、いや、だからこそ、俺はその道を再度歩み始めたのだろう。立ち止まっていた、その道を。



「……はぁ?パッショーネに入っただって?」

 彼女のスプーンから掬った細切れの野菜達がトマトスープに混じり皿へと帰った。赤い汁が僅かに彼女の服へと飛び散る。その日は俺の要望で、例の唯一美味いミネストローネが食卓に並んだ日だった。

「リゾット、お前意味が分かってるのか?」

「分かってるさ」

「待て、……何処に配属された?」

「……暗殺、チームだ」

 確かにローザが纏うそれが堅気のものでは無いことを、俺は感じていた。それでも、暗殺チームだなんて、物騒な所に身を置いてしまったことを口にするのは気が引ける。現に彼女はテーブルに肘を着いて頭を抱え込んでしまった。そんな彼女の様子を盗み見しながら口内へと運んだミネストローネは、トマトの酸味をやたらと強く感じた。
 俺は言い訳染みたことでも言おうとしたのだろう。ローザの旋毛を見ながら唇を薄く開けて。それでも、俺は何も言うことが出来なかった。それは言葉を発する前に、彼女が勢い良く立ち上がったからだ。椅子が勢いのままに倒れて、床に打つかる。テーブル上のグラスに注がれたワインの水面に波が出来た。
 ローザはソファの上へと無造作に置いていた携帯電話を掴み取る。ボタンが力強く押し込まれ、壊れるんじゃあないかと俺は思った。ミシミシと、悲鳴の様な嫌な音を立てていたこともあって。

「ベッラ!新入りの情報を送って来なかったな!」

 通話先の相手が何か言い返しているようだが彼女はそれには聞く耳も立てず、一方的に言葉を投げ続けて十分後、漸く黙った。その十分間の会話とも呼べないそれを聞きながら、俺は彼女、ローザの、今まで知りえなかった正体を知ることになったのだ。
 パッショーネ、暗殺チーム所属、且つそこに在る人間を纏め上げる人物。即ちリーダー。俺は、目の前にいるのが自分の上に立つ者であることを知ったのだ。いや、出会った頃から彼女は俺の上に、いたわけではあるが。



 暗殺チームのアジト。そこでソファに腰を沈めるローザを、見つめる。多分、俺は思い詰めた様な怖い顔をしていたのだろう。それを茶化す様に彼女は口を開いた。

「そんなに構えなくても、獲って喰いやしないよ。ただ、ベッラは獲って喰う気でいるから、気を付けるんだな」

 ローザは、彼女自身の腕に絡む女の腕を見ながら言った。その腕の持ち主は、腰の下まで長いブロンドを揺らしながら、真っ赤なルージュのひかれた唇で可笑しそうに笑っている。ローザの右手側のその女とは別に、左手側には赤毛の男もいた。眉、瞼、頬、と左顔面に一線で描かれた傷が印象的な男だった。

「いやだ、あたしはリーダー一筋ですよぉ」

「おい坊主、ベラドンナには惚れるなよー。ブツがぶら下がった別嬪がいいなら、別だけどな!」

「リーダー、グリチネが私刑を望んでる。イイデショ?」

「喧嘩なら、他所で済ませてこい。殴り合いでも、刺し合いでも、スタンド無しで。男同士らしく、な?」

 訂正。ローザと腕を絡ませる奴は男であった。部屋から出て行く二人の男を見送った後、ローザは変わらず吊り上げた唇で囁くように、俺に言う。

「ようこそ、暗殺チームへ」



 多分、皮肉だったのだろう。