幸福論 | ナノ






 読書に集中したいなら、自室が一番それに適した場所であろう。何故なら施錠する事が出来るからだ。中には、それをドアノブどころか扉までも巻き添えで破壊する奴もいるが。兎も角、自室であれば比較的静かに読書出来る。また、アジト内に限らないのであれば、殆ど帰っていないアパート。其処なら急な任務が入らない限りは、時間の概念以外に邪魔者はいない。それでセレーノが今、何処にいるかと言えば、読書に不適切であることに定評のある、アジトのリビングであった。
 綴られる物語の半分よりは少し手前、一枚の栞が文字を遮っている。それを除き、中断された物語の世界へと再び浸ろうとしたセレーノの肩口に、顎を乗せて邪魔をする者は言わずもがな、メローネである。彼女の指先から栞を取り上げた彼は、彼女の耳元で声を荒らげる。

「うっわ、セレーノが奥ゆかしーぞ!」

 失礼な物言いだ。彼は栞を後方へと翳している。ただの栞だったら、彼もただの紙切れに食い付きはしなかっただろう。残念ながら、と言うべきか、その時彼女が使っていた栞は変哲も無い紙切れではなかった。

「アァ?」

 メローネが栞を翳した先で、ギロリと視線を上げたのはギアッチョだ。彼の目が栞を捉える。メローネが言った"奥床しい"がどの部分にあるのか考えた彼は、直ぐにそれが何なのか分かったようだ。でも納得は出来なかったのかもしれない。何時もの調子でキレ始めたのだから。

「何の花弁だそりゃ?つーかよォ……押し花っつーが、それじゃあよォ、押し花弁じゃあねえーか?いや、そもそも押し花なんて名前が納得いかねえ……クソッ!「で、手作り?」クソッ!」

「折角貰ったから押し花にしてみたの」

「やり方はイルーゾォあたりに教えてもらったんだろ」

「あたり」

 ぶつくさ言いながらキレるギアッチョを無視して二人は会話を続けている。彼に話しを振ったメローネさえ、構うことが無い。メローネはセレーノの持つ本の活字へとチラリと目をやって、嫌そうに舌を出して見せた。それに彼女は片眉を上げる。が、それまでだ。別に彼がそれを好いていようが、嫌っていようが、どちらでも問題は無いのだから。

「小難しいものなんて、必要ないさ」

 彼女の手から本を奪い取り、それをポイッと無造作に放り投げたメローネは、彼女の太股の上へと自身の頭を預けた。栞を挟む隙を与えなかったそれは壁に打つかり、床へと落ちる。本の持ち主がイルーゾォであることを知っていてやったのだろう。この男は。セレーノはメローネを見下げて溜息を吐いた。

「あー、ベリッシモ幸せー。な?難しいことなんて、ひとっつも無い!」

「ディ・モールト邪魔だよメローネ」

 メローネはセレーノを見上げながら笑い声を上げた。そこでギアッチョは二人が自身の話しを聞いていないことに気付き、メローネが現在進行形で行っている事について声を荒らげる。

「メローネ、テメェ何やってんだッ!」

「膝枕だよ。ひ、ざ、ま、く、ら。羨ましいならそう言えよ!あんただって幸せに浸りたいだろ?」

 メローネの唇が、ギアッチョに向けて挑発的に歪められた。それに彼は顔を真っ赤にさせて、まだ上限があったらしい声をさらに荒らげる。喧しい。

「だァアアア!メローネぶっ殺す!」

 そういってスタンドを発現させるギアッチョ。彼の怒りが上がる度に、部屋の温度は下がるというのに、彼が否定していないことに気付いているメローネは、けたけた可笑しそうに笑った。その直ぐ上で、セレーノは、寒さでカタカタ歯を鳴らす。他所でやれと紡いだ唇の血の気は、既に失せた。