幸福論 | ナノ






 セレーノは突如自身の視界を遮るように被せられたそれに、ソファの上で僅かに身体を硬直させた。間髪入れずにそれの上から頭を押さえ込まれて、前後左右へと激しく揺さぶられる。やってくれるなら、もう少し優しくして欲しいと彼女は思った。
 上等な華の香りと僅かに混じるドルチェのような甘い香り。スンスンと鼻を鳴らして嗅げば、香るそれは普段彼等から香るものとまったく同じで、香水ではなく洗髪剤の匂いだったのかと、彼女は頷いてしまった。

「ソルベの下手糞!それじゃァ、セレーノの髪が痛んじまうッ!」

 コトリ、とソファテーブルへと置かれたマグカップを、バスタオルの隙間から確認した彼女はまた鼻をスンスンと鳴らす。ミルクに、僅かな蜂蜜の香り。ジェラートが持って来たホットミルクが、マグカップの中から湯気を上げていた。
 細かいことは苦手だ。と、バスタオルを除きながら彼女の頭上でソルベが言う。ボサボサになった髪は随分水気が拭われたが、それでもジェラートのお気には召さなかったようで、彼は直ぐにドライヤーとヘアブラシを手に彼女へと駆け寄っていた。

「任務後ふらりと来るだなんて、なんかあったか?」

 セレーノの右側に腰を沈めたソルベが問う。彼女は自身の髪に当たる温風と、髪を梳かれるその感覚に目を細めている。そして忘れていたとばかりにマグカップへと手を伸ばして、それを両手で包み込むようにして持ち口元へと運んだ。少し、熱かった。猫舌の為にちろりと舌先を出して彼女は眉を八の字に顰める。

「ね、幸せ?」

 自身には熱過ぎるホットミルクへと息を拭き掛けながら、彼女は聞いた。ソルベは煙草を銜えようとしていた動作を瞬間だけ止め、ジェラートも同じ様に髪を梳く手をその間に止めていた。瞬きをするよりも刹那の間に、張り詰めた空気。が、直ぐに何時もの空気がやってきて、二人も変わらぬ動作を続ける。

「ジェラートがいるしな」

「ソルベがいるからね」

 二人は目を合わせて唇を吊り上げた。それをちら、ちら、と視線で確認したセレーノは一度ホットミルクへと息を吹きかけ、一口飲んだ。ホッ、と肩の力が抜ける。
 セレーノの整え終えた髪を一通り見て、満足したジェラートはドライヤーとヘアブラシをソファテーブルの片隅に置いて、彼女の左側へと座った。セレーノはソルベとジェラートの間に挟まれて、二口目のホットミルクを啜る。温められているミルクに、僅かに加わっている蜂蜜の香りが、昂っていた彼女の精神を静めていく。

「……おいしい」

「ジェラート様お手製だからなァ」

「……自分で作っても、これにならない」

 三口目を啜り、口内へと広がる味を瞼を閉じて呟くように言ったセレーノを、ジェラートは可笑しそうに笑った。彼女の眉根に出来ていた皺はソルベの指先に押されている。

「だったら、また来な。作ってやるから」

「うん、また来る。なんだったら、明日も来る」

「おいおい、俺のジェラートを独り占めすんなよ」

 そう言いながらセレーノの髪を乱すように掻き撫でてソルベも笑った。彼女も口元を緩めて笑った。ジェラートだけ、折角整えた彼女の髪が乱れたことにムッと、唇を突き出して、ソルベの頭を叩いていた。それから、彼も二人に釣られるように笑った。