巡った世界で彼と彼女は | ナノ






 頬に画材の色を付けたままに、メローネは最後の色を置き終えたらしかった。
私が目を細めて瞬いたのは、窓から差し込む日光で彼の姿が眩しかった所為だ。決して、網膜を潤ませた末に涙を零す為ではない。

「うん。ディ・モールト、いい」

「……完成?」

「あぁ、終わった。描き切った、よ」

 メローネは流石に疲れたのか溜息一つ吐いて傍らの椅子に座り込み、下を向き自身の顔を両の手で覆った。

 そうしたメローネの様子を数秒見守った私は、彼から少し離れた対面の位置から足を進め、出来上がったばかりの絵を覗き込んだ。
 そこには勿論私がいる。私がいる、はずなのだけれど、彼によって描かれた自身はそうだと思えない程、私の心を捉え放さなかった。

「ナマエ」

「何?」

「変なこと言うようだけどナマエ、俺はそこの窓からあのカフェを見下ろしてあんたを初めて見た時、名前も知らなかったあんたが恋しくて、愛しくて堪らなかったんだ」

 掌で覆われているためにくぐもった声で、メローネは言葉を紡ぎ、彼の蜂蜜色の髪が差し込む日にきらりと光った。

「あの時の身体の震えは一目惚れとか、そんなんじゃない。本能、だ。数日ばかりは窓際に寄り掛かって見つめるだけに抑えていたが、直ぐに居ても立っても居られなくなった」

 メローネは立ち上がり、絵の側に立つ私へと腕を回した。私が初めて彼の部屋へと訪れた時にしたように、自身の指先を私の腹の前で絡め、首筋へと鼻を埋め、あの日とは違う耐え忍ぶことの出来ない吐息を吐き出す。

「あんたと会って話したら、余計に我慢出来なくなったんだ。……俺は今までふらふらとした人生を送ってきた。何に置いても。それが俺の人生だと声を上げてた。だが、こればかりはそうも言ってられない。しがない俺の一生だが、それを捧げるに相応しいと思うんだ」

「メローネ……」

「ナマエ。なりたいんだ、あんたの恋人に。紙面にあんたの姿を描く前から俺の頭の中には、俺とあんたが結ばれてる絵が描かれてたんだぜ?」

 彼自身の絡んだ震える指先を解いて、私は自身の指とメローネの指を絡めた。指先に絡む私の熱に彼が安堵の息を吐き、それを首筋に感じながら私は自身の瞼をそっと閉じる。そうして脳裏に浮かび上がった絵に私は笑みを浮かべて、メローネへと口を開いた。

「メローネ、私の頭の中ではその絵に私達の娘も描かれてるけど?」

「……それはいいな、ベリッシモ」

「ディ・モールト、いいね」

 瞼を開けて微笑んだら、指を使いグイッとメローネの方へと振り向かされた。そのままに、蜂蜜のように甘ったるい幸福な人生を重ねた唇で約束し合えば、瞬きの合間に涙が零れる。網膜を潤ませた末に零した涙は嬉しかったから、だ。嗚呼、眩しい。


〔fine〕