お手を拝借 | ナノ






 行き成りだが、私はマニキュア収集が趣味だ。どぎつい原色から淡いパステルカラー、ラメ入りから乾くと罅割れ模様の入るものまで様々なものを集めるのが、好き。自宅には溢れんばかりに飾っていたのだが、今私は自宅を離れ遠い異国の地で生活している。そう、暗殺チームアジトだ。部屋は無駄にあるらしく、新入りである私へも一人の専用の部屋が割り当てられた。
 そして暗殺生活にも慣れてきた頃ふと思ったのは、前述の趣味のことである。思い立ったら吉日。私は薄給の為に心許無い財布を片手に街へと繰り出すのだった。


 割愛。


 ブランド様々、色、仕様、その他豊富な戦利品を引っ提げて気分もうきうきな私はアジトへと帰宅した。
 リビングでは、ギアッチョが雑誌を数冊放り出した中で厳選した一冊を読みふけり、メローネがスタンドであるパソコンをタイピングしながらにやにやしていた。よく見たら状況はよく分からないが、壁に掛けられた鏡から人間の腕が一本はみ出している。多分と言わず、絶対イルーゾォのものだろう。
 そんな面々を言うほど気にも留めない。ソファへと腰を沈める私の玄関の扉を抜ける前から続けていた鼻歌は、サビへと差し掛かっていた。

 普段からケアは欠かしていない自身の爪を、サッとアルコールを染み込ませた布で拭く。両手の爪へとササッとベースコートを塗り息を吹きかければ、速乾性のそれは直ぐに次の工程へと移れる。今日一番のお気に入りは我慢して、二番目を取り出し封を切った。新色を謳い文句にしていたそれの蓋を回し引き上げる。瓶の蓋の刷毛と柄に新色のそれをとっぷりと滴らせたマニキュアを一通り眺めた後もう一度溜りへと落とし、引き上げて瓶の淵で余分な分を除いて、漸く自身の爪へとそれを乗せた。
 爪の上を刷毛が滑る毎にその色が面積を増やしていき、やがて片手の爪を全て塗り終わる。春らしい色で彩ったそれを目前へと翳して観察していると、広げた指の隙間からメローネが何時ものにやついた視線を寄越してきた。

「なあに?」

「なーんでもないよ」

 何故かこの変態が私の教育係だ。何故プロシュートさんじゃないのだ。私が心底、彼(の手)を愛しているのを知っているはずであるのに。リーダーの決断には不服であるが、逆らうことが得策ではないので口をへの字に結んで眉根を寄せるだけにすませておいたのだ。
 兎も角、メローネとの意味の無いやりとりは適当に切り上げて作業を再開することにした。ら、今度は舌打ち。その音の出所は雑誌を読みふけっていた彼、ギアッチョだ。

「くせぇ」

「あぁ、嫌いだった?」

 彼はよくキレてメローネを蹴り上げたり殴りつけている。当初は短気なその様にキレキャラかと思っていたが、別段そうでもないらしい。私にもメローネを蹴ったり殴ったりしたい心境は理解出来るようになったのだ。
 現に今もマニキュアの臭いを理由にブチ切れるわけでもなく、ただ臭いと呟き、それに対しての私の返しに曖昧に返事をしてまた雑誌の世界へと没頭していっただけだ。

「うわっ、なんかシンナー臭い!」

 そう帰宅と同時に声を上げたのはペッシだ。その声に私は素のままの片手も気にせずに玄関へと急ぐのだ。だって、ペッシが帰ってきたということは彼の兄貴分、プロシュートさんも帰ってきたということではないか。嗚呼愛しいプロシュートさん。の、手。
 小走りで向かったそこで彼を言葉と姿で出迎えた。勿論視線は手に釘付け。任務後ともあって傷の一つや二つが無いかと気が気ではない。が、素晴らしいプロシュートさんの手は傷が一線あったとしても、それを芸術にまで昇華させてしまうのではないかと私は思う。あの滑らかな肌に不釣合いな痛々しい、そうだな、切り傷が一線としよう。……凄く素敵だ。言い換えれば、そそる。

「お怪我は無いようで」

 良かったような、残念なような。
 視線を常にその手へと釘付けにして言えば、ぐいっと顔の方向が変えられた。その手の指で。よくあること。私は頬を染め上げる。すごく近い距離に彼の顔があるのだが、自身の頬を染める要因がそこではないことは己がよく知っている。今日も彼の手の肌表面のコンディションはディ・モールトいい。

「目を見て言えねぇのか?」

 よくあること。視線を合わせず物を言えば、その指がこうして私へと触れてくれるのだ。確信犯、大いに結構。でも、目上の人の言うことにあまりにも逆らうのは良くないので程ほどに言うことは聞くようにはしている。
 今度はプロシュートさんの、目を見て口を開くのだ。そうすれば、満足したのか口唇を引き上げて、二度頭を叩いてくるのだ。ぽん、ぽん。その手で。なんたる至福。

「あ?何で片手しか塗ってねぇんだ」

 頭に残る感触の余韻に浸っていて、その言葉が何を指しているのか一瞬分からなかったが、間を置いてそれがマニキュアのことだと理解した。そういえば、片手だけだった。

「吉華、こっちが利き腕か?」

 その質問にそうだと答えれば、間髪容れずにプロシュートさんにマニキュアを塗っていない方の手を取られた。それに呆気に取られる私を引き摺るように、彼は私がやって来たリビングへと向かう。己の指に絡められた彼の指に全神経を注ぐ私の足は、縺れ気味である。

 そして、リビングのソファテーブルの上に置かれたマニキュアを見つけたプロシュートさんにより、私はその手前にあるソファへと座らされる。手は以前取られたままである。

「塗ってやるよ」

 そう簡潔に述べた後、その指が私の指を一度あまりにも柔く撫でたので、その後の私の意識は曖昧だ。なんて、勿体無いことをしてしまったのだろうか。

 その後たっぷり触れてもらった自身の手へと頬擦りしていたら、気配も無く近付いてきたメローネにその手を舐められて洗わざるおえなくなくなったことを知らせておく。勿論、蹴ったり殴ったりしておいた。

 私の指を支える手に興奮したのは言わずもがな。しかし乾かす為に吹きかけられた吐息にぼんやりとした意識でも悦んで反応してしまった私は、まだ一般人の女子に分類されてもいいんじゃないだろうかと思う。


(manicure-マニキュア)