お手を拝借 | ナノ






 私の年の離れた兄は多少、そこら辺の人とは変わっていた。なんでも、女性の綺麗な手に興奮するらしい。それに加えて、殺人衝動とかも抑えられないらしい。それを知ったのは私が学生の頃なのだが、日常会話の間になんてことのないように挟まれたその打ち明けに当時の私はへえー、そう。と言った後暢気に夕飯の献立について考えるばかりだった。
 卒業後、就職と共に一人暮らしを始めた私だがそれは別に世間的にとんでもない秘密を抱えている兄と離れたかったわけでもなく、就職先の場所の為に離れただけだ。定期的に兄へと近況報告の電話を入れると、別段必要も無いのに兄からもその性癖についての近況報告を頂いてしまう。その頃には既に兄は世間でいう犯罪者だったのだが、私は慎ましい人生を送っていたのだ。



「や、兄さん。お久しぶりです」

 と、菓子折りを一つ差し出しながら片手を上げて挨拶した私に、兄は何度か瞬きをして状況を飲み込んだのかそうじゃないのかは分からないが数秒後に家の中に入れてくれた。来るだなんて、聞いてないんだが。とお小言を零す背中を、靴を綺麗に揃えてから追った。
 兄が台所で茶を用意している間に父にも簡潔な挨拶をしておく。父も写真の中から、なんだ、来るだなんて聞いて無いぞ。と、言ってくる。だって、言ってないし。と思いながら持ってきた菓子折りの封を切って一つ食べた。で、二つ食べ終えたところで兄がお茶が入った湯のみを持ってやってきた。呆れた顔をしている。

「で、どうしたんだ?急じゃあないか。その後は変わりないか?」

「ん、元気元気。変わりない。そちらも、どうもお変わりなく……あ、「彼女」さんは変わってるようだけど」

 僅かに食み出した指先に視線をやりながらそう言えば、新しい「彼女」さんを紹介された。名前なんてどうでもいいのですよ。「彼女」さんに頬擦りをしながら恍惚とした表情を惜しげもなく披露する兄を端目にお茶を啜った。茶柱は立ってなかった。

「あんね、イタリアに旅行行くんだ。だから、お小遣いちょーだい。ま、冗談冗談」

 お小遣いの単語にむすっ、とした兄を笑い飛ばして、ただお土産の希望を聞くのとついでに久しぶりに顔でも見ておこうと思っただけだと続ける。たまには会っておかないと、いつ会えなくなるか分からないじゃあないか。世間はこれでも物騒なのだ。いつ犯罪に巻き込まれるかわかったもんじゃあない。ね、兄さん?

 そして私は、一泊した翌朝には飛行機に乗り込んでいたわけです。兄に言ったあの言葉の意味は自分が犯罪に巻き込まれるとか、そういうことを指し示していったつもりじゃあなかったんです。その時の私はイタリア料理に思いを馳せるばかりだった。