お手を拝借 | ナノ






 非番であった吉華は特に用事も無いままに、疎らに人の行き交う街路をふらふらと気分の赴くままに歩いていた。彼女のマニキュアで彩られた爪先が日光を受けて控え目にきらりと光る。快晴が過ぎる所為で気温は高く、片手で自身の顔に向かってぱたぱたと扇いでみても送られて来るのは生温い風ばかりだ。音にせぬままに熱いと呟いた彼女は、遠くに置いた視線でとある人物を見つけた。その場所はジェラトリア。ピンッと閃いた吉華はその場から駆け出し、視線の先の人物へと声を上げ呼び掛けた。

「ペッシ!」

「!」

 呼び掛けられたペッシといえばその肩を跳ね上げて、勢い良く彼女へと振り向いて見せた。跳ねた肩に合わせて彼の手の内のコーンに入った二段ジェラートが撥ねる。それをあわあわと取り落とさないように慌てるペッシへと駆け寄った吉華は、軽い挨拶の後に彼のジェラートの種類を尋ねた。喉に何かを詰まらせたかのように、檸檬と桃だと彼は告げる。吉華はうーん、と小さく唸る様に迷った後、檸檬にしようかなと言って、店員へと告げた。檸檬。カップで。そうして自身の財布から御代を取り出そうとした彼女の視界の端からにゅっと伸びてきた拳が、彼女の目の前で店員に硬貨を手渡した。

「グラッツィエ、ペッシ」

 端からたかるつもりではあったが、言う前に払ってしまったペッシに僅かにきょとんとして見せた吉華は、それでも悪戯が成功した子供の様ににんまりと笑みながらお礼を言った。そうして二人は、それぞれ自身の手の内のジェラートへと近くのベンチに座ってから口を付けた。

「美味しー」

 ペッシは、スプーンでカップの中のジェラートを突付く隣の吉華をちらりと見てから、少し離れた向かいにあるショップへと視線をやった。彼女は彼の向けた視線にジェラートから視線を上げ、彼の視線の軌道を追うようにして、同じショップへと目を止める。

「プロシュートさんは、お買い物?」

「うっす。吉華、さんも買い物っすか?」

「……ペッシ、私は君の後輩だよ」

 吉華はペッシが自分の名前の後に付けた敬称に僅かに眉を寄せて見せた。立場は先輩後輩であるというのに、彼の態度は終始反対の立場のようなそれで接してくる。それに彼女もさすがに思うものがあったのだ。ジェラートを運び込んだスプーンをカチリと噛んで、吉華は呆れたように言う。ペッシはその言葉にあー、だとかうー……、だとか煮え切らない返事のようなそれを漏らし、大柄な身体を縮こまらせる。

「じゃ、じゃあ……吉華は」

 申し訳なそうに敬称を消して呼び掛けた時、ショップから出て来た兄貴分を目にして、彼は中途半端に言葉を途切れさせた。ペッシと吉華の視線の先で、プロシュートが徐に髪を掻き揚げている。眩く太陽の光を受けてきらきらと輝く男のブロンドや、その絵になる姿に二人してほぅと半開いた唇から吐息を漏らした。

「あ」

 ペッシはプロシュートへと一人の女性が駆け寄り声を掛けたのを見て、声を上げた。見目も美しい為に声を掛けられるなんてしょっちゅうだ。しかし、今このタイミングはよろしくないんじゃあないか。ペッシはそろそろと視線を隣の吉華の様子を盗み見る様に泳がせる。彼女は、檸檬の酸味に瞬きをしつつ酸っぱい、と感想を漏らしていた。

「……良いんすか?」

「え、何が?」

「えっ……いや、だって、……普通は妬くんじゃねぇかって……」

 ペッシは正面へと視線を一度戻してから、彼女の表情を窺った。吉華はパチパチと瞬く。そうしてから、やはりニンマリと笑むのだ。

「私、恋人じゃあないし」

「そ、そうっすか……」

 変わってるなあ。そう思ったペッシの指に、溶けてきたジェラートが垂れる。ベタベタと肌を汚すそれと溶け続けるそれに、ペッシは慌てた様子で残りのジェラートを食べ切った。檸檬と桃の混じったそれがベタベタとする。ペッシはそれを自身の服へと擦り付けて拭ってしまおうと腕を動かしたが、それを制するように、彼の視界へとひょいっとハンカチを掴んだ手が潜り込む。勿論、吉華だ。彼女は視線も身体も正面へと向けたまま、ペッシへとハンカチを差し出していた。

「あっ、ども」

 そうして彼女の差し出しているハンカチを掴んだままでペッシは、動作を止めた。

「うん、でも、まあ、嫉妬しちゃうよね」

 そう言う吉華の表情を見ながら、ペッシはぼんやりと思った。今は手という部位しか愛してないにしても、吉華は遠くない未来に兄貴を愛するんじゃあないか。そう、思った。彼の兄貴分は勘が鋭い。そうしてその弟分の彼も、マンモーニと呼ばれながらも悪くない勘を持っている。檸檬と桃の味を口内で巡らせながら、ペッシはぼんやりと思い浮かべるのだった。

(caldamente)
(-熱をもち)