お手を拝借 | ナノ






吉良吉影独白

 その日は新しい彼女と手を取り合ったばかりで、鳴り響く電話を鬱陶しいと思い、それに出るのも躊躇う甘いひと時を『彼女』と過ごしていた。諦めを知らぬ電話音の前に私はしょがなく、『彼女』に断りを入れて席を立つ。そして手に取った受話器の向こうで誰とも知らぬ声の持ち主が、事務的に用意されていたであろう文を、上辺の感情を添えて口にした。

 分かりました。とだけ言って受話器を切った私を、電話してきた人物は誤解するだろう。きっと、肉親の死の前に悲しみの淵を味わい、それを受け容れることの出来ないままに、震える手で受話器を下ろしたのだと。
 そうだ、妹の吉良吉華が死んだらしい。誰とも知らぬ声が伝えてきたのは其の旨だった。旅行先でギャング同士の抗争に巻き込まれたらしい妹は、若くしてその生の幕を下ろした、と。妹さんで間違いがないか確認しに来てくれ。そうして遺体を引き取ってくれ、と。
 なるほど、私の唯一の妹は、理解者は死んでしまったのか。私は無感情で頷いた。


 そして翌日。確認の為に通された個室。何とも質素で嫌な空気の漂う部屋の真ん中に位置するテーブルへと、妹は横たわっていた。白いハンカチーフなんてもので顔を覆って。
 それを控えていた男がぺろりと捲って、数秒の後に私は妹で間違いないと告げた。私が口を閉ざせば、その男は部屋の外へと出て行った。遺族の悲しみの時を共有するのは、彼の仕事内容に入っていないからだ。

 ありきたりな言葉かもしれないが、そこに横たわる吉華はただ瞼を閉じて眠っているように見えた。今にも上半身を起こして、空気も読まない発言で私の眉を吊り上げさせる。そんなことをやってのけそうな顔をして、横たわっていた。
 勿論、妹は上半身を起すどころか、指先をぴくりとも動かさなかった。その動くことない指先を見た後、私は思考を巡らせ部屋を出た。部屋の外で待機していた男と、その後のことについてのやり取りを話し合った後、何時もと変わらぬ足取りで私は帰路を歩いた。

 スーツのジャケットのポケットの中の『彼女』の指先をするりと撫でる。慰めてくれるのかい?いいや、それは結構だ。私は一片足りとも悲しんでいないのだから。

 吉華の手は綺麗だ。

 それは私が自分の性癖を妹へと打ち明ける前から、そうなるように仕向けていたからなのだが、あの横たわる彼女の手は残念なことに、妹の手以上の魅力を持ち合わせていなかった。。
 そうだ、吉良吉華だとされたあの彼女は、妹とは別人だ。姿、形は確かにそっくりそのままだが、「手」が違う。分かる。分かるのだ。自分だけは、分かる。ほんの些細な違いも目に付くのだ。
 ほぼ完璧な死体を用意された経緯は解りかねるが、分かることがある。未だ吉良吉華は生きているということだ。唯一の妹で理解者は、今も何処かで鼓動を刻み、その指先を動かしていることだろう。

 だから、私を慰めることなど必要ないのだよ。「彼女」を指先で撫でると、己の勘違いに照れたのか、「彼女」はポケットの中で身じろいだ。



 もし、本当に死んだその時は、私が育んだといっても間違いではないあの手を、暫くは懐に頂きたいものだ。

「あぁ、嫉妬しないでおくれ。別に異性として欲しているわけではないんだ。君が、誰より一番だよ」

 なんら悲しいことなどないさ。きっと妹と会うことはもうないだろうけど、ほんのちょっぴり、切った爪ぐらいだけさ。寂しさなんてものは。
 妹はきっと平凡な人生の中に僅かな煌きを見つけたのだろう。吉良吉華の指先が摘み上げたそれが妹にとって、素晴らしいものであることは、間違いない。だから、唯一の兄である身として、それを祝ってやるだけさ。


(morto B parteggia-死者 B side)