わたしはあなたに近づきたい | ナノ






 ソーレはふらふらと揺れる身体と縺れる足で、綺麗とは言い難い路地裏の壁へと背を預けた。ずるずると座り込みはしなかったが、はぁ。と、吐き出した溜息は疲労感を十二分に含んでいる。そして一息毎に身体が骨が、軋む思いだ。震える手を一度握り締め、確かめるように彼女は開いて己の目前へと翳した。任務前には綺麗に塗り揃えていたいたそれのどれもが歪に剥げている。生爪が剥がされなかっただけ、マシなのだろう。彼女は肌の荒れた手で、携帯電話を取り出した。斑に青で彩られた爪。その親指で着信履歴の項を開き、一番上となっている人物の名前も見ずに発信した。

「……もし、予定が無いなら、迎えに来て……欲しい、かも……?」

 そしてソーレは、ふぅ。と、肺の空気を吐き出した。通話先の相手は至極落ち着いた様子で現在地を彼女へと訪ねた。彼女は数秒考えた後、待ち合わせに適した場所を指定した。それに了解の言葉を口にした彼に、彼女はよろしくと小さく笑って電話を切った。会話の後ろで荒げていた声の主が、今頃落ち着いていた彼の頬を殴り抜けていることだろう。その様子が脳裏に浮かんで頬が緩む。瞼を閉じ切ればそのまま意識を失いそうで、瞬きに押し留め、彼女は待ち合わせ場所へと痛む身体を引き摺るようにして向かうのだった。




 そうして疲労困憊の彼女、ソーレは任務完了の報告と共にアジトへと帰宅した。ただし、何時もの笑顔と明るい挨拶は無しだ。疲れているらしく、ぼそぼそと唇から漏れた言葉はリビングにいたメンバーには解せないものであった。その表情は見えなかったが、満面の笑みとはいかないだろう。リビングにいたホルマジオ、プロシュート、リゾットは、三人各々に視線を向けた。

「おま、担ぎ方……」

 ホルマジオが引き攣った口角で呟くように言った。彼に一度視線を流したのは、ジェラートだ。ソーレを担ぎ上げている、ジェラートだ。彼女は彼の右肩の上で腹から身を折るようにして、されるがままに担ぎ上げられている。だらん、と彼女の両足がメンバーの視線の先で揺れ、ジェラートの背中の方では彼女の首や髪、両腕が揺れていることだろう。
 リゾットやソルベと比べてはいけないだろうが、彼等より細身で身長もないジェラートでも、彼女を横抱きには出来ただろうに、彼が選んだのは俵担ぎであった。

「……支障は?」

 リゾットはジェラートへと問うた。問われた彼は己の服のポケットを弄り、目当てのものを指先で挟んで引き抜いた。出てきたそれをそのままにリゾットへとぽいっと放る。放物線を描いたそれがリゾットの手中へと収まると同時ぐらいに彼は片方の口角を上げて言った。

「疲れたァ、眠い!ってぇわけ。それに一部始終の会話入ってるよ。勿論、標的は始末し終えたって」

 ぼそぼそぼそ。ソーレが何か言った。それは声量の為にジェラートにしか聞こえなかったが、それを伝えるようにジェラートが復唱する。

「赤は嫌。白ワインが良い。だって」

 プロシュートがちらりと横目でリゾットを見た。一方ソーレは一度低く呻いたと思うと、またぼそぼそぼそっと言葉を発した。

「ん?シャワー?了解ぃー」

 ジェラートは、よいしょっと掛け声一つにソーレを抱え直した。ただし俵担ぎはそのままだ。方向転換と共に踏み出した脚は要望からシャワールームへと向かうらしかった。


 リビングの三人が任務事項について二三話している最中に、ソルベが其処へと足を踏み入れた。彼は右手に持っていた紙、任務報告書をリゾットへと差し出す。リゾットもそれを受け取って物も言わずにスッと活字を簡単に追った後、小さく分かり辛いぐらいに頷いた。


「ソルベー!オレとソーレの着替え持ってきといてえー!」

 ジェラートの荒げた声は勿論リビングまで響いてきた。ソルベは言葉の内容に呆れた表情を浮かべながら口内で呟く様に言う。

「用意して行けよ……」

 呆れながらも、潜ったばかりの扉を再度潜り直し引き帰して行く彼は、結局はジェラートにあまあまなのだ。

 さて、ソルベがリビングから姿を消して数秒後、疑問の声を上げたのはホルマジオだ。彼はプロシュートへと目を合わせながらその疑問を口にする。

「……ア?おかしくねえか?」

「何だよホルマジオ」

「なんでジェラートまで着替えがいんだよ」

「…………」

「…………」

 プロシュートが片眉を吊り上げる。目を合わせたままに二人は、十秒程の沈黙を保った。後に二人は揃ってリーダーである男へと視線を流す。その視線を受けて、リゾットが報告書の活字を追う視線を一文字に留めたままに薄く唇を開いた。

「……つまり、そういうことだろう」

 疑問の眼差しを向けていた二人は互いに口角を歪ませて、揃って歪んだそこから言葉を漏らす。

「「あいつ等の関係が謎だ」」

「…………俺も知らん」

 ソーレの癖の入った文字を幾ら見続けても、その答えは生み出せない。三人各々に疑問を持ちながらも、当事者に問い質すことはしないだろう。そんなことをしてしまえばここ一ヶ月はそれを話の種にされること間違い無いからだ。隔してジェラートとソーレ、二人の関係を言い表す正解の言葉は二人のみぞ知ることになった。……おっと、ソルベの存在を忘れていた。三人のみぞ、知る。