わたしはあなたに近づきたい | ナノ






今回の話は、オリキャラ×夢主の要素を含みます。言ってしまえば、チエーロ×ソーレな話で御座いますので、この時点で無理だと感じた方はお戻り下さい。読まずとも、本編には響かない話で御座いますので。出てくる原作キャラもソルベのみです。兄妹同士での行為を匂わす文章もあります。それでも読んでいただけるのであれば、スクロールをお願いいたします。長々と、失礼しました。





 二つのグラスが打つかり合い、硝子の甲高い悲鳴が響いた。グラスの中では透明度を含む赤の液体がそれに合わせて揺れている。先程開けたばかりの、僅かに容量の減ったボトルはテーブルの上に身を預けていて、其処にはつまみを乗せた白い皿も一枚鎮座していた。無作法な指が、皿の上から生ハムを一枚掴み取り、そのままに開いた口にそれを放り込んだ。そして含まれる赤いワイン。胃に下る過程にこくこくと上下する喉仏。それを見ながら、彼女、ソーレは自身も同じようにグラスを傾けた。

「っつーか、ナイわー。邪魔な本妻を殺してくれ?愛人とくっ付く為に?」

 嚥下して口内を空にした彼、チエーロはその唇を少し突き出して言う。隣でそれを聞くソーレは熟成した深い香りに、ホゥと息を吐きまたグラスを傾けた。聞き手である彼女が返事もしなければ、相槌もしないことを気にも留めない彼は、彼女の肩へと回した腕はそのままに、ぞんざいに組んでいた足を組み直す。

「本妻の方がぜっっったい美人だったのに!さ」

 彼のグラスを空けるペースは速い。ソーレは未だ並々とあるボトルを傾け、チエーロのグラスに二杯目のそれを注いだ。その間に彼の口からつらつらと流れる美貌を賛辞する形容詞は、今夜のほんの数時間前に彼の手によって葬り去られた女に向けたものだろう。それを聞くソーレが僅かに苛立ちの気配を見せたので、チエーロは一旦口を噤んだ。そしてニンマリ笑んだ後、ムッとするソーレの眉根へと唇を落とした。

「可愛い。美しい。素晴らしい。オレにしたら、全てお前のものだよ」

「兄さん……」

 アルコールの所為だけではない頬の赤みが見て取れるソーレ。ただ、胸はもう少し大きい方が。だなんて、続けて言ったチエーロの横っ腹に遠慮無い力加減で肘を入れた彼女は、自身のグラスのそれを全て飲み下した。そして噎せ込みながら笑うチエーロと、彼女は唇を合わせたが、互いに同じ物を飲んでいたから、深い妖艶な香りがどちらのものか分からなかった。




「よう、ソルベ。相変わらず老けてんなー!」

 何とも失礼な言葉を、日常の挨拶のように言ってのけたチエーロを、彼、ソルベは眉を寄せて見た。チエーロは何時も通りにこにこと唇を吊り上げて彼へと、手をひらひらと振っている。その手に黒光りする銃さえなければ、堅気に見えるというのに。ソルベはチエーロの足元へチラリと視線を一度やった後、煙草を銜えたままに言った。

「待ち合わせ場所か時刻を、間違えたか?」

「いいや、お前は間違えてないよ。オレだって間違えてないけど」

 つまり、態とさ。と、チエーロは言って己の足元の死体をツンツンと靴で小突いた。そしてソルベとの距離を詰める途中で、その手に持っていた銃を彼へと放る。いい加減に投げれられたが、それはソルベの手の中へと無事収まる。受け取った彼というと、何故こんなものを寄越すんだとばかりにチエーロを見返した。チエーロは何時もの調子で言う。

「やるよ」

「いらねぇよ」

「貰っとけって。オレの忘れ形見になるんだからさー」

 ソルベの眉が吊り上がる。視線がどういうことだ。と、問う。チエーロは己のシガーケースを取り出して、そこから一本抜き出した煙草を銜えてどんより曇った空を仰いだ。太陽は、出ていない。今にも雨が降り出しそうだ。彼は、火を点そうとして思い出した。お気に入りのジッポは、三日前に失くしてしまったのだと。忌々しい、その日に。

「ソーレは」

「まだ言ってない。が、勘付いてる。いやあ、さすがオレが惚れ込んだ女だよ」

 そう言ったチエーロは、心の底から誇らしそうに笑んでいた。




「チエーロ、嘘ならもっとマシなものを言って」

 呆れたようなそれが、演じているものだとチエーロは直ぐに分かった。小刻みに震える指先を一視し、彼はソーレを抱き締める。あぁ、嘘だよ。まさか、そんなわけがないじゃないか!そう言ってやりたかった。それでも、真実、そうなのだ。偽りではないのだ。チエーロは彼女の耳元で、溜息のような吐息を押し出しながら、確認の様に、再度言った。

「任務は完了。ターゲットは無事死んだ。ただ、そいつの所為でオレの人生に予定より早い期限が付いちまっただけ、さ」

 ソーレがチエーロの腕の中で遂に泣き出してしまった。震える彼女の背を、彼はその手で何度も擦る。彼は分身の名を呼んだ。そして現れたそれに目配せをすると、それが横一文字の唇を薄く開き、旋律を流し始めた。チエーロの腕の中にいるソーレの鼓膜を擽るそれは、やがて彼女の悲しみの瞳を瞼で閉ざし、彼女は襲う睡魔に抗うことの出来ぬまま、眠りの淵へと堕ちた。
 眠る彼女の頬を指先で辿った彼の、弧を描いていた唇が、引き結ばれ悔しそうに噛み締められていた。




 加熱されたトマトの甘酸っぱい香りが食欲をそそる。好物のプッタネスカを、適当な量フォークに撒き付けて口に運ぶのに忙しいチエーロへと、ソーレは何時もの流れで問うた。時刻は1時過ぎ。つまりプランツォの時間帯だ。

「今日の予定は?」

「あー、今日が終わるか、どうかで帰ってくるかな」

「ふーん」

 ソーレは自分から聞いたというのに、興味無さそうに言って、チエーロの唇の端を彩る赤に目を向けた。トマトだ。それに小さく笑った彼女に、彼は何を笑われたか分からないので小首を傾げる。好物を咀嚼しながら、だ。



 仕事を無事終えたらしいチエーロが帰宅したのは、昨日が二時間前に終わった頃だった。足音も、気配も消したままでリビングへと足を踏み入れた彼と、ソファで膝を抱えるようにして、待っていたらしいソーレの視線が打つかる。彼女の唇が彼の名を紡いだ。チエーロ。ただ、彼の名を紡いだ。
 ソーレとの距離を詰めたチエーロは、彼女の髪を一房掬い取り、そこに口付ける。そしてその足でバスルームへと向かった。彼女はその背を見送った後、ソファから腰を上げ、ベッドルームへと姿を消す。



 チエーロの銀糸から雫がポタポタと落ちてくる。彼の唇は弧を描いているというのに、まるで泣いているようだ。と、ソーレは彼を見上げながら思う。胸に仕舞い込んでいるもの全てを吐き出しながら、喘ぎ、大粒の涙を零す。そんな様を思い浮かべた。しかし実際、チエーロは泣いていないし、喘ぐのはソーレだった。己と良く似た、しかし完全に同じではない顔に見つめられ、彼女はやがて何も考えられなくなり、ただただベッドへと身を沈めることになる。



 チエーロはシーツに広がるソーレの髪を眺めている。彼女はいつも彼自身の髪を好いて、自身のものを卑下するが、チエーロは妹の髪が好きだった。いや、髪だけじゃない。自身を見つめてくれる目や、愛を囁き返す唇。絡める指先。心地好いリズムを刻む心臓だって好きで、彼女の性質、纏う空気等、即ち全てを好いて、また愛している。
 チエーロは横一文字に引き結んだ唇を薄く開けて、彼女の名前を呟いた。眠りに就いている彼女は返事を返さないが、微かに睫毛が震えた気もした。穏やかな寝顔だ。
ソルベとの会話をチエーロは思い出した。そして笑う。




 蝕む病で、人生の期限が目に見えてしまっていると、チエーロは言った。ソルベは視線を返した。言葉無くとも、それは問いかけであった。

「大丈夫。妹は、姉は、母は、親友は、彼女、ソーレは強かだ。オレが愛した女だからな」

 チエーロは笑みながら、銜えた煙草を臓器の痛みに耐えるように、噛み潰した。二本分の紫煙が、湿気混じりの空気に掻き消えていく。路地裏の、綺麗とは言い難い壁なんかに背を預けて、彼は、二人で行う仕事の際に背を預ける片割れのことを、思う。

「オレが死んでもソーレは変わらずこの世界で生きる。変わらずオレ以外の男に触れる。腹が立つが、それがオレ達の生き方だ」

 チエーロは短くなった煙草を地面へと吐き出して、ソルベが差し出した彼の煙草を代わりに銜えた。

「ソーレの幸せを、願ってるよ。誰にだって?あー……そうだな、お前に、しようか。神様なんてのは傍観者だからなー」

 安物のライターで火を点す。ソルベの物だ。ゆらゆらと、紫煙が昇る。

「何れソーレに男が出来て、あぁ、本当の意味での男だ。愛する男が出来て、キスして、抱かれて、子を孕んで、産んで、家族が出来る。すなわち、平凡且つありふれた、それでいて何より切望する幸せ、だ。それをソーレが手に入れることを、望んでるんだ」

 そこでチエーロは不味い。とソルベの物だった煙草を吐き出して、踏み消した。雨が、降りそうだ。

「ま、ソーレに愛される男に妬いちまうけどな。なんだったら、呪ってやりてー。オレの愛した女を幸せに出来ないなら、呪ってやる。例えば……そうだ、砂糖と塩を間違えて入れちまうような、呪いだ」

「殺さねぇのかよ」

「ばっ、そんなことしたらオレがソーレに殺されるだろ。その男を愛してるわけだからさあー」

 ピリリリィ。パンツのポケットの中で、携帯電話が着信を告げた。チエーロはそれを抜き出して、文字で相手を確認する。ソーレ。その文字をそのまま心の中で呟いて、彼は電話へと出た。

「……プロント。兄さんは、お前を愛してるよ!」

 電話の向こうで笑って彼女も愛を返した。ポツリと、空が零した雨粒が、何だか泣いているようであった。