わたしはあなたに近づきたい | ナノ






 リゾットがふらりとキッチンへと入ったのは偶々だと言える。ここ数日は自身がキッチンへと立つ事が無かったので、冷蔵庫内に鎮座する食材の確認をふと思い立った故に、彼はそこへと足を踏み入れたのだ。
 時刻はあと僅かで午前十時きっかりとなる頃。朝食を大体飲み物で済ませるイタリアーノが、やっと食事らしい物を口にする時間帯である。リゾットは己の空腹具合を意識して、確認作業の方がついでになりそうだと瞬きをした。

「あ、リーダー」

 マキネッタ片手にキッチン入り口を振り返ったのはソーレ。彼女は自身のカップには注ぎ終わっているらしく、それを少しばかり持ち上げて、彼にも入れるかどうかを尋ねた。リゾットがそれに頷いたのを見て、ソーレは棚から彼のカップを取り出す。そこまでを見届けたリゾットは冷蔵庫の扉へと手をかけて、開けた。開いた扉からは冷気が流れ出ている。
 アジトに今夜いるのは自身だけであったはず。チェーナには困らないな。と、彼は充分にある食材を見ながら胸中で呟いていた。

「プランツォの時間帯にはソルベ、ジェラートがいて私が作りますが、リーダーご予定は?」

「デスクワークだ」

「なら、四人分作りますね」

「助かる」

「いえいえ。あぁ、砂糖は二杯ですか?」

「いいや三杯だ。……何だと?」

「はい、どうぞ」

「あ、あぁ……」

 視線で確認作業をするリゾットの背へと、会話の中の自然な流れで問いかけたソーレに、彼もそのままに返事を返し、間を空けて違和感に振り返りつつ冷蔵庫の扉を閉めた。
 ソーレはリゾットが僅かに狼狽えているのを気にも留めず、差し出したカップを彼が受け取ると、キッチン台へと置いていた自身のカップへと向き直ってしまい、リゾットは片眉を吊り上げたままにキッチンを出る他無かった。ソーレはカッフェをカプチーノにするのに忙しい。

 リゾットはソーレが淹れたカッフェを片手にリビングへと戻り、シングルソファへと腰掛けた。糖分の加わったそれに口を付ける前に米神へと指を当て、暫し考えたのだが、やがてそれも無意味だと思い液体を喉へと流し込んだのだ。やはり、口内へは甘味の加わった芳ばしい香りが広がる。そしてその時に、コルネットやペイストリー等何かしらの食べ物を持ってくるつもりであったことを思い出し、忘れていたと目を細めた。


 出来上がったカプチーノを片手にしたソーレと、任務を終えた朝帰りのジェラートがリビングへと足を踏み入れたのは、ほぼ同時であった。
ジェラートは少々の疲労感を背負いつつ、声を荒げて言う。

「だァアアア!疲れたッ、シャワー!寝る!」

「はいブォナノッテ、ジェラート」

「でもその前に甘いものくれッ!その手に持ってるやつでもいいけど」

「これは駄目、リーダーの分。取ってくるけど、コルネット?買ってきたビスコッティもあるけど」

「ビスッコティちょーだい!」

「あぁ……疲れた」

「お疲れ様。ソルベは何か口にする?」

「いらねぇ」

「じゃ、オレがソルベの分も食べるからコルネットもくれ!」

「意味が分からないわ」

 彼女は遅れてやってきたソルベにも尋ねた後、自身のカプチーノの入ったカップを何時もの位置に置いて、リゾットの目の前にコルネットの乗った皿をコトンっと置いた。そして直ぐに踵を返したのは、ジェラート御所望の甘い物を取りに行く為だ。
 リゾットは数秒目の前の皿を見つめた後、視線を感じてそちらへと目を向けた。その先ではジェラートがカップに口を付けながら、吊り上がる唇を隠そうともせずに彼を見返している。リゾットは薄く唇を開きかけ、止めた。何を言っても無駄だと思ったからだ。彼の予想通り、ジェラートには何を言っても無駄だろう。

「はい、ジェラートお待たせ」

「ありがと。じゃ、ソルベ引き連れて部屋戻るから」

「……ジェラート、唇にミルクの泡が付いてるんだけど」

「ごちそーさま」

 ジェラートがソルベを連れて部屋へと戻るその背を見届けずに、ソーレは先程置いた自身のカップの中を覗き込んだ。カップの底が彼女を見返していた。飲まれた。
 ソーレは溜息を一つ吐いて、ソファへと腰を沈めた。飲み物は無くなってしまったが、持って来た自分の分のビスコッティを食べるためだ。袋に入ったそれを一つ取り出して口元へと運ぶ動作の途中、不意に思い出したかのように彼女はリゾットへと向き直った。

「甘い方がお好きなんですよね?」

 彼女の言葉は疑問系はなく確認のそれで、リゾットは自身の嗜好の偏りがやはりばれていると、後ろめたい事は何も無いはずなのに、何となく視線を泳がせてしまった。泳ぐ視線の中でちらりと彼女へと目をやった彼は薄く唇を開く。

「……笑うんじゃあない」

「怒るより良いじゃないですか」

 くすくす笑うソーレの声が鼓膜を震わせる中、リゾットはカップの中に残っていた甘いカッフェを一思いに飲み干した。そしてリゾットが眉を寄せたままコルネットを食すので、腹を抱えて笑い出したソーレに、リビングへと足を踏み入れた朝帰りのホルマジオは呆気に取られるのだが、八つ当たりのメタリカを喰らう事になるとは思いもしないことだろう。