なれないよ、父親なんて | ナノ






 「あれ?」と、私は思わず声を漏らした。殺風景な壁に無造作に取り付けられたカレンダーを捲ったり、月を戻ったりしながら瞬きを繰り返す。何度かその行為を繰り返す内に段々と顔色が悪くなる。嘘でしょ……。と心中呟いて震える指先を下ろし浅い深呼吸を繰り返す。絶叫したい。喜べばいいのか、悲しめばいいのか分からないから、うへぇ。なんて意味不明な言葉を出してしまった。

「メローネなら、明後日帰ってくるが」

「!」

 勢い良く振り向けばリーダーが立っていた。特徴的な眼で私を見下ろしている。私とメローネは所謂同僚兼恋人で、私がカレンダーを見ていたので恋人の帰りを待ちわびているように映ったのだろうか。半開きの唇を閉じて吊り上げてみる。上手く笑えているだろうか。数秒ぶつかる視線、後に私が逸らした。

「ちょ、ちょっと買い物行ってきます」

 あぁ。と短く返された言葉とリーダーを後にして、逃げるようにアジトを出た。

 早足が、軽い走りになり、気付けば仕事時並の速度で私は通りへと出ていた。速度を緩めながら、気は焦るが目的の店へ駆け込みブツを手に取る。そのままの流れでそれを買い、コートのポケットへと押し込む。
 足早に店を出て通りを抜け路地裏へ。短くもないアジトへの帰り道の途中、何かに押し潰されそうになりしゃがみ込んでしまった。両手で顔を覆って、震える深呼吸を数回して気を持ち直して立ち上がる。早く帰ろう。そして、確かめなければ。

 がんっ!と音を上げたアジトの扉もそのままにそこへ駆け込む。

「何だよ、そんなに我慢してたのかァ!」

 後ろからはジェラートの茶化す声が聞こえてくるが無視だ無視。奴とソルベには無縁の悩みだろう。そして買ってきたそれのパッケージを剥がし、試し、その結果に、私は余計にどういう心境を持てばいいのか分からなくなってしまった。

「大丈夫か?」

 ふらふらと出てきた私のあまりの顔色の悪さにソルベが問いかけた。視線は直ぐにジェラートの独り占めに戻ったが。私は小さく大丈夫じゃないといいながら自分に宛がわれた部屋へと向かう。階段途中に飾られた鏡から上半身だけ飛び出させたイルーゾォの頭を叩いて、私は暫しの引き篭もりを計画した。ちょっと叩いただけなのに、必要以上に痛がるイルーゾォの抗議なんて聞こえない。

「イジメは許可しないィーッ!」

 潜り込んだベッドは私の物だというのに、メローネの匂いがして余計に私を悩ませた。胎児のように身を丸めてシーツの海でぐるぐるとした思考に溺れる。嗚呼、やっぱり絶叫したい。息を吸って準備してみるけど、それは何度も飲み込んでしまって実行には移せなかった。
 そうして時間が経った頃にノック音。居留守を決め込んだけど扉に鍵は付いてないので、それは私の意志も無視して迎いいれてしまった。視線を頂くも動くつもりのない私を見て、ホルマジオは具合でも悪いのか?と聞いてくるけど首を縦にも横に触れなかった。

「しょうがねえなあーっ」

 お決まりの台詞と共に出て行ったホルマジオは、どうやら今日の料理当番を代わってくれるらしかった。今なら嫌いな物でも栄養だって考えれば食べれる気がする。

 半分沈み込んだ意識で私は扉が蹴破られるのを見た。イライラを前面に押し出して踏み込んでくるギアッチョを半眼で睨む。耳を塞ぐのも忘れずに。どうせ大音量過ぎて意味も無いけれど。

「ケイタイは携帯しろっつーんだッ!」

 そうしてベッドへ叩き付けられた携帯は私のではなくギアッチョのだ。ランプを光らせたそれは通話中を知らせていた。横目でギアッチョがずんずんと出て行くのを確認したら耳を塞いでいた両手でそれを取って、耳に近づける。彼の声がした。明後日お帰りの彼はギアッチョを通じて私に電話をかけてきたらしかった。はぁい、と呼びかける。

 数日振りになる恋人の電話は、メローネの仕事の報告とは名ばかりの官能小説朗読で台無し。やはり、メローネである。私がしない相槌も気にせずにつらつらと電波に乗せていた朗読がぴたりと止まる。私の思考も止まる。

「ところで、今回なんか早く終わちゃってさぁ。今アジトの前なんだ。もちろん出迎えてくれるだろ?abbraccio(ハグ)とbacio(キス)をくれ!」

 手から滑って落ちた携帯が床とキスした。
 亀裂が入った様な音のしたそれには眼もくれず部屋を飛ぶように出る。階段を転ぶように降りながら視線はメローネを捕らえた。メローネは両腕を広げて待ち構えているから、その胸に勢いを殺さず飛び込んでやった。ちっとも堪えないみたいだけど。
 素早くメローネの背に腕を回しぎゅっ。放して、両腕を掴んで頬に片方づつ口付け最後に唇へ。さっさとハグとキスをしてメローネの腕を引く。

「メーラが今日は大胆だ。もしかしなくてもこれから俺はお楽しみか?ベリッシモ、イイッ!」

 にやにや、にたにた。そう笑うメローネを彼の部屋へと押し込み、そのままベッドに座らせた。その横に私も座る。座るけど、どう言い出せばいいのか分からず、あー、だとかうー、だとか唸る私の頬をメローネは指で突付いて来る。
 覚悟を決めようと意気込む私の口の中にまで指を突っ込んで来るメローネに向き合う。私に突っ込んでた指を抜き出し己の唇に押し当て「ん?」と微笑むメローネ。
 メローネは残念な程にメローネなんだけど、最愛の人。だから私はついにそれを口にした。

「子供出来たの、私。メローネの、子」

 メローネの微笑みが、固まった。

「だから、あの、えっと、その…………ねえ、メローネ」

 何も言わず俯いてしまったメローネ。だから表情も声色も伺えない。ただ私の漏らす言葉だけが静か過ぎる部屋に響く。嗚呼、何だか静寂に耳鳴りが聞こえてきそうだ。シーツに少し沈んだメローネの手に触れようとした時に、彼はやはり俯いたままに静かに言った。宣告だ。

「…………なれないよ、父親なんて」

 それは私の中にすとん、と落ちてきて。


 嗚呼、終わった。
 と、思うころには私は自分の部屋に帰ってきて呆然としていた。気付いてベッドに潜り込んだらメローネの匂いだけが私を抱きしめるものだから、苦しくて、苦しくて仕方なかった。