暗殺チーム | ナノ






『夜明けのブルースモーク』参加作品!

 ソファテーブルの上にはカップが三つ。糖度は三種三様。一切の甘味を加えていない無糖。ティースプーン四杯分のブラウンシュガーを溶かし込んだもの。そして、角砂糖を一個だけ沈めたもの。
 カッフェの芳ばしい香りが支配するリビングの三人掛けソファにはソルベとジェラートの二人が身を寄せ合って腰を沈め、その傍らにあるシングルソファに一人座っているのは暗殺チームの紅一点である彼女、ナマエだ。

 甘味の強いカッフェへとふぅふぅと息を吹きかけながら飲み頃の温度を待つナマエは、猫舌ながらもその時間を充分に楽しんでいるようだ。組んだ脚、太股の上へと預ける形で読んでいる雑誌は、片手のカップとは反対の手でページを捲くられている。
 沈めた角砂糖は疾うにその身を崩してカッフェへと溶解した。ソルベは数口で空けてしまったカップをソファテーブル上へと返して、香りの残る吐息を押し出した。そうして彼は、ちらりと壁掛け時計の指針を見やる。プランツォには気の早い時間帯。
 珈琲本来の味そのものを一口分喉奥へと流し込んだジェラートは、レーズンバターを間に挟んだラングドシャを咀嚼して残りのカッフェを飲み切った。そして彼は時刻を確認し終えたソルベと目を合わせる。口を開かぬままの数秒の会話。

「ナマエ、任務はないわけ?今日は」

 ソルベと合わせていた視線をナマエへと向けたジェラートは、唇を薄く開いて、吊り上げた頬で彼女へと任務の有無を尋ねた。意味深に細まった目。彼特有の悪戯な笑みだ。
 今季の流行色を見開きで紹介している紙面からゆっくりと視線を上げたナマエは、打つけた視線の後にジェラートと同じ様な笑みを浮かべてその問いへと答えた。

「任務終わったよ。一応、今日」

「あァそうなの?お疲れ様ァ」

「ごくろーさん」

 労いの言葉を送る二人に、彼女は軽く竦めた肩で反応を返した。

「どうもォ。二人は?今日は非番なの?まぁ、見た感じそれっぽいけど」

「んー、そう。見たまんま」

「暇を持て余してる」

「世間は平和ってことね」

 言い終わったナマエはくすくすと控え目な笑い声の後に、「他の皆は出払ってるけど」と続けた。皮肉にも仕事が無くなることはないようだ。それこそ、全人類を一層してしまわぬ限り。

 ソルベとジェラートに数分遅れてカッフェを飲み切ったナマエがソファから腰を上げた。彼女は左手の指に自身が飲んでいた分のカップを引っ下げて、もう片手にソルベとジェラートの分を纏めて持った。ソルベとジェラートが「グラッツェ」と口を合わせる。三人分のカッフェを淹れたのも「プレーゴ」と返した彼女である。

 カップを片付けにキッチンへと向かうナマエのその背が見えなくなるまで視線を送った後、ソルベとジェラートは互いに顔を見合わせた。
 ナマエが片付けを始めたであろう数秒後、まずはソルベが口を開いた。

「近場だと時間が余る」

 チクタクと時を刻む時計は彼が確認してから然程指針を進めてはいない。一回頷いたジェラートが続いて口を開く。

「遠方過ぎればお断りされるかもね」

 立てた人差し指を左右にゆらゆらと動かしたジェラートは、ピンと固定した指で閃いたとばかりに言った。

「ジュレの波間を泳ぐ南国果実!」

「あぁ、この間見た雑誌の。……成る程、イイ具合だ」

「海岸沿いをドライブだなんて、狙い過ぎ?」

「俺に聞くなよ」

「ドライバーはやっぱりソルベかねぇ」

 うんうん頷きながら言うジェラートにソルベは眉を寄せて、スピード狂でいて映画宛らスタントめいた運転を好む彼へと苦笑を送った。ジェラートの言った通り、ドライバーはソルベになるようだ。

「じゃァ、そういうことで」

「健闘でも祈るか?」

「誰に?」

「神だとか、か?……ないな」

「ないねぇ。じゃァ、ソルベにでも祈っとくよ。頼むよオレのソルベ様ァ」

「荷が重ぇ」

 キッチンからリビングへと返って来たナマエを、ソルベとジェラートの二人は合わせた視線で出迎えた。どこか胡散臭い笑顔のジェラートが彼女へと口を開く。

「ねぇ、ナマエも暇を持て余してるなら、可哀相な野郎二人に付き合ってよ」

 ソファに腰を沈めず背面に片手を突いたナマエは、吊り上がったジェラートの頬を細めた目で見た。その横のソルベの視線が僅かに横へ泳いだ。弧を描いた口唇でナマエが言う。

「それってデートのお誘い?」

「そのつもり。ん、もしかして先約がいた?」

「まさか!二人と違って独り身よ。んー、でも、それなら……私はいない方が良いような?」

「まさか!新作ドルチェを男二人で突付くほど、むさ苦しいもんはないでしょ?」

 実際、ドルチェを突付くのはジェラート一人で、ソルベとジェラートが二人だけで食事を楽しむだなんて日常茶飯事のことではあるが。

 ジェラートは右手と左手の人差し指と親指を使ってフレームを作ってみせた。瞑った左目とぱちっり開いた右目。フレーム内に収まったナマエが穏やかな笑みを浮かべ、それに釣られたように緩んだ目元で彼は言う。

「お熱い太陽の光を受けて輝く海を、その後胃に収めるってぇ計画だけど」

「それはロマンチック!とは言えない計画ね。でもらしいわ。……まさか、ジェラートの運転じゃないでしょ?」

「下心を抱きようも無い相手なら、オレの愛車に乗せるけど?」

「百年の恋も冷めちゃうものね。うーん、ソルベなら無事帰宅出来そう」

「少なくとも、俺はオフに常軌を逸した走りはしねぇからな」

 人差し指を唇の下に当てて僅かに上目で考えるナマエに、暈した表現を除いて行き先やらを告げたジェラートは再度傾げた小首と共に「どう?」と彼女へと尋ねた。彼女の答えは――。

「華が必要でしょ?」

 悪戯な笑みはジェラートのそれに似ている。ソルベが取り出した車のキーが金属の音を小さく鳴らした。



 それから幾分時間が経った頃、ナマエは走らせる車の生む風に髪をたなびかせていた。流れる景色、ガードレールの向こうには砂浜が広がり、その先には日光を受けて目に輝かしいばかりの海が在る。
 潮風に肌を撫ぜ抜けられながらたなびく髪。それを添えるほどに押さえたナマエは、隣のソルベへと視線を送った。

「何時の間に車変えたの?」

「偶には色を変えてぇ気分の時もある」

「色どころか車体が違う!」

「所謂盗難車っつーわけでぇ、乗り心地はいかがですかナマエさん?」

「イイと思いますよジェラートさん!」

 オープンカーだなんて、半回転も少し越えてしまうイメージチェンジだ。深緑色の車体がキラリと光る。ナマエは眩しさに目を細めた。

「あ、そうだ。ダッシュボード開けて?」

 後部座席、ソルベの後ろの席から彼の首へと腕を回していたジェラートが、斜め前に位置するナマエへと声を掛けた。彼の言葉のままにそこへと手を掛けて開けた先、姿を見せたのはサングラス。これも三種三様だ。

「お好きなのをどーぞ?」

 ジェラートの言葉にナマエは小さく噴き出した。黒に茶色、そして桃色。そのサングラス達を見ながら。

「えー、これ私が黒を選んだら誰がピンクをかけるの?」

 そう言いながらも、既にナマエはソルベがそれをかけるのを想像しているらしい。笑ってしまうのを抑えているらしい口角がひくついている。

「そうなると俺はかけねぇっつー選択肢しかねぇよ」

 眉根を寄せたソルベが言う。

「そんなお固いこと言うなよソルベ」

 そう言いながら、ソルベの首へと回しているその腕でその場所を絞め上げるジェラート。表情こそ笑っているものの、力の入れ具合は本気のそれだ。

「っ、ん、私はピンクでいいよ」

「笑ってんなよ」

「じゃァ、俺はブラウン。良かったねぇソルベ」

 ナマエの手から茶色フレームのそれを受け取りながら浮かべる意地の悪い笑み。バックミラー越しに合わせた目で数秒の後にソルベとジェラートは同時に噴き出した。その笑い声には直ぐに、ナマエのものも混じる。

「ハイになってらァ!」

「最高にね!」

 笑って涙が滲んだ目尻を人差し指で拭ったナマエは、かけたサングラスでソルベへと向き直り、「どう?」と言いながら歯を見せて笑った。
 呆れたように笑ったソルベも遅れてサングラスをかけてみせる。
 スモークの入ったレンズ越しに見ても眩しかったのは海かはたまた――。



 リキュールで風味、蒼く色付けされたジュレが、掬ったスプーンの上でその身を震わせている。寄り添うように在るパイナップルの強い黄みが映える。翠のコンストラストを魅せるミントは、人差し指と親指でひょいっと摘まれてソルベの飲んでいるカッフェのソーサーへと添えられた。ジェラートにとってはメインとなるドルチェが彼の口内へと運ばれる。
 ナマエはパイナップルの酸味を感じたのだろう。ぴりぴりと痺れる舌先をちろりと覗かせて、濡れたグラスを手に取り添えられているストローを唇で挟んだ。彼女の指先を濡らした露はそのままに手首へと伝っていく。

「海辺のリストランテともなると、良い景色ね」

「あぁ、……そうだな」

 開け放たれた窓から見える海へと思いを馳せて、細めた目と薄く開いた唇でナマエは思わずといった感じで言葉を漏らした。
 それに同意を示すように開かれたソルベの唇から出た言葉とは裏腹、彼の視線は海なんて一瞬も見ていない。同じく海へと視線をやらず、突いた頬杖でナマエの横顔を観察するジェラートが緩めた頬で呟くように「うん。イイ景色」だなんて漏らす。窓から入り込んできた潮風が彼等の頬を撫でて抜けた。

「こういうのを、世間でいうありふれた日常っていうのかな」

「感傷的だなァ」

「だって私達にとってのありふれた日常なんて、浪漫の欠片もないでしょう?」

 ナマエの瞳の中の海が細められた目に追いやられる。短い、溜息にも思える吐息を押し出した彼女は頬杖を突いてやがてはその瞳を閉ざした。「――同じことの繰り返しでも、繰り返すものの差で大違いでしょうね」そう呟いた彼女には潮騒がより近付いたような気さえした。

 頬杖を頬から離したジェラートは僅かに目を見開いて、後にソルベの方へと顔を向けた。そうしたらソルベもそのタイミングでジェラートの方へと顔を向けていたようで、二人の視線が音の無いままに打つかる。困ったような、それでいて嬉しそうな笑みを浮かべた二人は穏やかな眼差しをナマエへと送った。

「なぁ、ナマエ。俺とジェラートだが」

 ソルベが静かに言う。そしてそれに続くように、ジェラートが唇を開いた。

「できてるんじゃァないかってよく言われるけど、――実際できてる」

 ゆっくりと瞼を押し上げたナマエはぱちぱちと瞬きをすることで少々の驚きを露わにして、そうして口角を緩ませた笑みを見せた。

「知ってたよ。でも、何で行き成りそんなカミングアウトを?」

 彼女が自身らの事情を認知済みであったことなどには驚きの色も示さず、ジェラートは悪戯な笑みを浮かべたままに言葉を紡いだ。

「話はまだ続くから、そう焦んないでよ」

 カランッ。グラスの内に残っていた氷が溶けて硝子の面へと打つかった。

「俺はジェラートを」

「オレはソルベを」

「まぁ、なんだ、あぁ……」

「愛してんだよ。それくらいはっきり言えよソルベ」

 照れ臭そうに言い淀んだソルベの横っ腹をジェラートは小突いた。二人のやり取りを微笑まし気な表情で見守るナマエの目は、海を見やる時よりも眩しげだ。

「そんでもって、それと同じくらい互いに好きな女がいるわけよ。さァ、誰だと思う?」

 ジェラートの言葉にナマエは細めていた目をハッと見開いた。彼女の不意を突けたことに二人は満足気な笑みを浮かべて、ちらりと向け合った視線を打つけ合う。

「……それ、ひっかけ問題とかじゃぁ――」

「そんなわけねぇだろ」

「至極簡単。ヒントいる?つーか答えは目の前だって回答を放り投げるほうがいいかな」

 ソルベとジェラートの視線から逃げるように顔を逸らしたナマエは、その先に海を見る。

「眩しいわ」

 彼女の髪間から覗く耳の赤さにジェラートは小さく噴き出した。怒ったように振り向いてみせたナマエは「もうっ!」だなんて口先だけの怒りを露わにしてから、少しばかり泣き出しそうな笑みを浮かべた。



 帰りは安全運転を無理矢理約束させられたジェラートの運転だ。彼は黒いフレームのサングラスを押し上げて、横目で見た海、夕日が沈む様に口笛を吹いてみせた。それに同じ様に茶色いフレームのサングラスを外したナマエは堪らず感嘆の声を漏らした。
 遠く、赤々と燃える太陽が地平線を焼くかのように染め上げながら沈んでいく。夕日の色に染まりながらも近くに見える海の蒼さ。混じり染まりきらない海が目前には広がっている。

「ありふれた日常から抜け出せそうか?」

 外したサングラスを手中で弄ぶソルベが、海の輝きに瞬いた後ナマエへと尋ねた。
 肺を満たし、舌の上でも塩辛い潮風はじんわりと涙さえ滲ませる。双眸に海を抱いた彼女が、それをより強く抱き締めるように浮かべた満面の笑みが答えだ。

 答えに良しとしたソルベの手から、外されたばかりのサングラスが道路へと放り落とされた。
 コンクリートと熱い口付けを交わしたレンズは亀裂の入った視界で、あっという間に小さくなる車を見えなくなるまで見送った。置き去りにされたそれは、車の向かう先がアジトではないことなんて、知らないだろう。

 三人を見つめていた太陽も今、その身を沈めて眠りに就いた。



(デイ・ブレイク・ラプタス)