死ネタ注意
「俺が死んだら、どうする?」
フォークに刺さった白身魚の欠片。ソース付きのそれを私自身の口内へと運ぶ行為の最中、徐に恋人が吐いた言葉に私は開けた口の目的を、食事から会話へと変更した。
未だ料理の刺さったフォークは皿の端へと預け、此方へと視線を寄越す彼、リゾットへと目をやった。思わず背を正してしまう。
「まず、リゾットの物を処分する。ゴミ袋に詰めるんじゃあなくて、焼いたりして。次にリゾットと私とを繋ぐ物、繋がる物も処分する。何から何まで、全部。一片も残さない」
「……それでいい」
頷いたリゾット。その動作が中断となっていた食事再開の合図だ。私はフォークを手に取り、預けていた魚の欠片を口内へと受け取って咀嚼した。味付けは彼好みにちゃんと出来ているだろうか。目の前で同じように咀嚼するリゾットにちらりと視線をやって、悪くはないんじゃなかろうかと自己完結と共に一度頷いて、食事を再開した。
薄情だ。と、人は言うだろうか。恋人から己が死んだらどうするかと問い掛けられ、前述のようなことをすらすらと口にした私に。
しかし、私の口から流れるように出たその言葉は、私の意志では無い。
それは彼と同棲することになった際に、彼によって約束させられたことだった。ギャングで、尚且つ暗殺チームなんてところに所属するらしい彼は、何時死んでもおかしくない。自分の死後、自身の存在が私を脅かすことを恐れての約束だった。
彼は恋人である私にそう約束させたが、私はそうなるとは夢にも思わなかった。勿論、彼の身分を疑っていたわけではない。リゾットの纏うそれは一般人である私とは全く異なったものだったから、彼の言うとおり本当に裏の世界で生きている人なんだとは思っていた。それでも、リゾットに約束させられたそれを実行に移す日なんて来ないと、思い込んでいたのだ。あの日の私は。
そして今、この時。私はあの日の約束をぼんやりとした頭で思い出している。
彼からの着信が途絶えた携帯電話の前で、静かに瞬きを繰り返す私には部屋の静寂が耳に、身に痛い。
息を吸って、吐いて、瞬いて。
恐る恐る伸ばした指先は小刻みに震えているが、それでも番号を押し間違えることは無かった。耳に押し当てたそれからは、無機質な音が鳴り響く。
コール音。コール音。コール音。繋がらない。繋がらない。繋がらない。
決められた数字がある。リゾットから約束させられた、それ。その数字を過ぎてしまえば、俺は死んだと思えと言われた、それ。その数字を跨ぐことなど今まで無かったではないか。
その数字はとっくに過ぎてしまって尚且つ、私からかけても繋がらない。
響き続けるコール音を切った。携帯電話をテーブルへと置いて立ち上がる。深呼吸、深呼吸。息を吸って、吐いて、瞬いて。
「……まず、リゾットの物を処分する。ゴミ袋に詰めるんじゃあなくて、焼いたりして。次にリゾット、私とを繋ぐ物、繋がる物も処分する。何から何まで、全部。一片も残さない」
『……それでいい』
そう言って頷く彼はもういないじゃないか。
瞬き、嗚咽、瞬き。
ぼろぼろと零れる涙に彼との約束を守れそうにもない。
リゾットの物を処分するなんて出来ない。彼と私とを繋ぐ物を処分するなんて出来ない。繋がりを消すなんて、出来ない。出来ない。リゾットとの思い出を消すなんて。彼が唯一残していくものを消しきるなんて、私には出来ない。約束は、果たせない。
リゾットとの記憶を自身の中に閉じ込めて、それ以外は掻き消すなんて出来るほど私は出来てないって知っているじゃないか。私は強くない。むしろ弱い人間だというのに。それなのに、いなくなってしまうなんて。
まず、リゾットの物を処分する。ゴミ袋に詰めるんじゃあなくて、焼いたりして。次にリゾット、私とを繋ぐ物、繋がる物も処分する。何から何まで、全部。一片も残さない。
何回でも、すらすらと言ってみせるから、どうか何時もの声色で、「……それでいい」と頷いて欲しい。
あの日に、あの日に戻れるというのなら、頷いてもらわなくても良いから、そんなこと出来ないとリゾットへと縋りつくというのに、彼はいない。もう彼は何処にもいないのだ。
滲む視界の端、私の指で光る指輪が余計に涙を溢れさせた。
(果せぬ約束)