おりじなる | ナノ






「犯人は君だっ!」

 そう高らかに宣言した彼、夜壱恭夜さんは私の雇い主であり、へし折ってしまいたくなる人差し指を突きつけられている私―苗字名前―はこの家に勤める通い家政婦の一人である。職を求めて彷徨っている所にひょいと出てきたなんとも美味しい高給に思わず即決してから早一月。そろそろ彼という人となりにも慣れてきた。突きつけた指を上下させながらぺらぺらと彼曰くの名推理を吐き出している夜壱恭夜、その人は変わり者だった。
 親の残した莫大らしい遺産のお陰か災難か、若干三十路で無職独身の身をこの屋敷に引き込めているらしい。完璧な引き篭もりという訳でもなく稀に外へとぶらりと出て行くこともある―私はその稀の際に雇われた―。ただ、社会に出ることなく家でごろごろしている所為か彼の元からの性分かどうかは分からないが、その人は変わり者だった。

「夜壱さん、朝から騒がしいです」

「君、僕の推理を聞いていたか!?」

「はいはい、聞いていましたとも」

 彼の言ったことをそっくりそのまま書き出すと長く鬱陶しいことこの上ないので漸くすると、どうやら朝食の一品―鮭を焼いたもの―が目を放した際に無くなっていたらしい。そして推理は冒頭の台詞へ繋がる。何処から引用してきたか分からないが残念な推理力だ。彼はその残念な推理力を持って探偵という職に就きたいと夢見ている。もういいから一度社会に出てみろと私は言いたい。それで足りないものを補えるかは不安だが。

「では、僕のことは今日から恭夜先生と呼んでくれたまえ」

「夜壱先生、名推理お見事ですが犯人が後ろを通ってます」

 にゃーん。とは鳴けないが、ぶち模様の猫が窃盗物を加えてとことこと歩いているではないか。犯人は事件現場に戻るものらしい。人ではないが。兎も角、夜壱先生流石の名推理である。四速歩行相手に習って同じように地面に手と膝をつき、この成人男性は何をしているのだろうか。

「僕の鮭!」

「夜壱さん、味噌汁が零れるので大人しくして下さい」

 猫に、良心の呵責は無いのか!と訴えていた(態々目線を合わせて)かと思えば、私の一言にはっとして座ってもじもじし始める。何とも忙しい人である。味噌汁と私をちらちらと見比べて忙しなく動く目に落ち着け、と。
 何故か雇い主と対面の席へと座り同じように並べらた食事に手を合わせていただきますと言うと、彼も小さく続いた。彼に合わせた朝食の時間は遅いがこれも契約内容で、自身の作った味噌汁を啜れば目前の雇い主も続いて啜る。

「その、……君の作る味噌汁は上手い」

「ありがとうございます」

「毎日君が作っては、どうだろうか」

「明日の担当は菊代さんです」

明日の担当は先輩家政婦の菊代さんだと言えば、何だか落ち込みながら鮭―私の分を差し出した―を突っつく。
 なんともへたれな男だろうか。夜壱恭夜という人は。この変わり者、遠回しに君の作った味噌汁を毎日飲みたいと一種の古い文句を言ったのだ。と、いうかちゃんと言えたとしても家政婦にそれを言っても、じゃあ今度から私は味噌汁専属担当になりますね。で、終わってしまうではないか。
 まったくもってこの男、へたれでいて変わり者である。何故彼は私なんかに思いを寄せているのだろうか。ずいぶんと的外れな推理を語る際ははきはきと物を言うくせに、男女のそれを匂わせるものに関してはてんで駄目。若干三十路のこの初心な男は私の名前は愚か苗字さえも滅多に口にしないし。

「夜壱さん、今日の御予定は?」

「君、今日は探偵本の新刊の発売日だ!楽しみで仕方ない」

「お出掛けになるのですね」

「古書店を回ろうと思う。あ、君。今日の午後は……」

 続きを言おうか言うまいかで迷う唇は彼の動き動揺にもじもじしている。さて、今日の午後の仕事の予定は―と考えていると彼、夜壱さんの斜め後ろ背後に先輩家政婦さん達が。どれもいまいち解り難いジェスチャーだが、皆さんが何を促しているのかは手に取るように分かってしまう。それでも私は何か言うでもなく口は食事を咀嚼するだけ。終いには皆さんが痺れを切らしてしまったようだ。つかつかとやって来たのは菊代さん。

「坊ちゃん、午後から名前ちゃんは手が空きますよ。名前ちゃん、坊ちゃんのお供でもしなさいな」

「菊代さん」

「っじゃ、じゃあ君、午後の仕事はそれで」

「分かりました。荷物持ちでも何でも」

 菊代さんが家政婦集団の輪へと戻っていきハイタッチをしている。夜壱さんといえば咀嚼をするその口が孤を描くのを妨げることも出来ないでいる。食事を飲み込んでも、小さく呟いたデート、の単語は飲み込めなかった様だ。聞こえてます。聞こえてますよ夜壱さん。はっきり面と向かっては言えないくせに。
 午後に出来た予定に内心嬉しくなっているのは二人してなのだけど、私は絶対に教えてあげませんよ。名推理お待ちしております恭夜先生。