最低限の業務が終わるとすぐに、さっと湯あみをする。
くつろいだ浴衣に着替え、半纏を羽織ると、やってきた使いの狐から荷物を受け取る。
ああやっぱり…!今日は木曜日。
新鮮な海の幸がたくさん市場にあがってきていたようだ。刺身用の殻つきホタテとトロの切り身、それから水タコの足。どれもつやつやとしていておいしそう。
あまり嗜好品ばかりを伝令の狐に持ってこさせるとお上から叱られるのだが、たまにならバレやしないだろう。刀なしでは万屋へはいけない決まりになっているので、審神者が刀にないしょで物品を手に入れるためには、狐に使いを頼むしかない。
つまり、わたしは鶴丸をおどろかせて、笑顔にさせたかったのだ。
へらへらしているようで、いつもみんなに気を配り、わたしを不安にさせないように必要なことだけ優しく耳打ちしてくれる優秀な近侍。隣でいつでも見守って、頑張っているときはしっかりと褒めてくれ、頑張りすぎなときは適度なところでゆるりと手を止めさせてくれる、やさしい近侍。うちの鶴丸は世界一、と自負している。他のどの刀にももちろんそう思ってはいるけれど、わたしは、鶴丸に関してとことん、異常なほどに甘いのだ。でもそれだって彼が、わたしをぐずぐずに甘やかしているせいだから、きっと文句は言えないだろう。
湯上りのさらりとした肌が気持ちいい。
さて、支度をしよう。
鶴丸にばれてしまわないように、早めに夕餉の準備を始める。
ふわふわに巻いただし巻き卵、さっぱりとしたトマトサラダ、ネギとお豆腐の味噌汁、塩昆布とおだしで揉んだキャベツ、厚揚げはこんがり焼いておかかと生姜をたっぷり。それと、忘れちゃいけない。さっきの魚介をさばいて、丁寧に盛り合わせる。
魚介以外はありものだったけど、すっかり素晴らしい夕餉の献立だ。
さて、あとは。
この前みんなで月見酒をしたときに一本だけ余らせておいた、この白い和紙ラベルのボトル。月と鶴がきれいに描かれたラベルが気に入っている。
今日は少し冷えるから、燗にしようか。鶴丸はたしか、ぬる燗が好きだった。そんなことを思いながら、ゆったりと温めた湯に、錫の徳利を鎮める。
そろそろ鶴丸が気づいてやってくるころだろう。
「きみ、こんな時間からなにして…」
ほら!思った通り。
「なんだ、コメの酒を飲もうってのか?」
「それならたしかに、おれが相手をしてやるのが、おあつらえ向きだよなあ」顔を見なくてもわかる、ニコニコとうれしそうに口角をあげている。お膳に広げられたおいしい夕餉、もとい酒のあてを確認したのであろう、きれいな神様が、くつくつと笑いながら、近寄ってくる。
「…きみは、ほんとうにかわいいなあ」
予想していなかった言葉に息をするのを忘れていると、背後に涼やかな体温を感じる。
「ほんとうに、かわいいよ」
なんと腰に手を回されているようだ。頭上から静かな息遣いが聞こえる。
びっくりしすぎて、振り向くこともできない。そんな、まさか。
鶴丸にこんなに気安く、しっかりと触れられたのははじめてだ。
もちろん嫌悪を感じるわけではないのだけど、ひどく動揺してしまってつい手元の徳利を湯の中にぽとん、と落としてしまう。「熱っ」ああ、まったく、情けない。
「おっと、すまん、大丈夫か」
鶴丸はわたしからすぐに離れて、湯がはねてしまった手の甲を、指を、すぐに冷や水につけてくれる。
「湯は、火傷のあとが残りやすいんだと薬研がいっていた、しっかり冷やそう」
「しかし、そんなに驚くとは思わなかったな」わたしの手指が腫れていないことを確認すると「もう痛くないか」と問う。わたしは無言でこくりとうなずく。
なんだか、立場が逆転してしまったみたい。困ったなあ。
(20.12.22)